散花宣言

短編/衍字

「開花宣言から一週間が過ぎ、町のあちこちでは満開となった桜が春に彩を与えています」

 階段を降りると一階のテレビからそんなリポートが聞こえてきた。テレビとソファの間に佇んでいる机には消臭剤と数日前の半額セールを呼びかけるチラシが置かれ、その横のテーブルでは今なお、IH前でせかせかと手を働かせる母によって今日の朝食が準備されていた。

「はいはい、早く食べちゃいなさい」

 私は二階から運んできた学校用リュックを肩からソファに移し、机ではなく朝食がのったテーブルの席についた。

「あれ、お父さんは?」

「今日は早番らしくてもう先に出てったよ。彩妃(さいひ)も早くしないと遅刻しちゃうわよ」

「ほーい」

 洗い物作業に移った母と内容量三十一グラム程度の中身スカス会話をしながら目玉焼きを口へ運ぶ。因みに言えば今は焦る時間帯ではない。このままのペースで行けば余裕を持って登校時間内に教室のゴールテープを切れるだろう。さらに言えば友達と「昨日何見た話」で花を咲かせることも容易な頃合いだ。まあしかし母がいる流し前から時計を確認することは難しいだろうし、母にとってはテレビからたまに聞こえてくる「七時、七時。ズバッ!」のようなアナウンスが唯一の時間把握手段なのだろうから仕方ない。もしかしたら朝の忙しいせかせかモードのせいで、時間さえも倍速で感じているのかもしれない。と、まあこんな考え達によっての軽い二つ返事と日本の代名詞的な定番朝食を済ませた。

「ごちそうさまでした」

 いただきますは忘れていたくせに食後の挨拶は言うんだと自分を客観視しながら、食べ終わった自分の食器を母の仕事を増やすために流しへ持っていった。食べ終わり、いらなくなった食器のかわりに今日のお弁当を受け取り、わらしべ長者ってこんな感じだったのかなとあほながら思う。そういえば猿蟹合戦の柿の種しかり、おむすびころりんのつづらしかり、鶴やかさじぞうの恩返しとかも、昔話って結構物々交換多いよなあなんて思いながらお弁当をリュックに詰め込んだ。もちろん中身がグシャッとよらないように斜めではなく、底に水平になるように入れた。さて、そろそろ行きますか。

 お弁当と夢と現実と教科書と教科書と友達に借りた漫画が詰まったリュックと共に――

「行ってきまーす」

 私は家を出るのだった。

 

 学校へ向かう道のりは知っている人と会うまで基本無言だ。特に無口というわけではないけれど、特に声を必要とする行動でもないから、そんなもんだろう。ひょうきんに歌を歌ったり、漫画のように「お、今日もいい天気だねー、彩(さい)ちゃん」などと陽気に話しかけたりしてくる商店街のおやっちゃんもいないから私はこの声を温存できている。そう、温存しているのだ。我々女子高生の一日は長い。こんなところで無駄に使っていたら放課後の「『うわーまじ疲れたー。私このまま帰って寝たら冬眠できるわ』宣言」まで身が持たないのだ。この宣言を合図に、友達の「『いや今春真っ盛りだから。熊でさえ起きてるから』レスポンス」が行われ、私たちのくだらな脳死話は完成するのだ。まっさかり? まさかり? くま? 金太郎?……脳死話を下回るくだらなさが頭を過ったけど、これは過っただけに留めておこう。どこにも繋がらないし、誰の得にもならないから。

 そうこうしているうちに私は満開真っ盛りの桜並木にさしかかった。私の大好きな何の取柄もないこの街にとっても、ここだけは人気の生命線と呼べるほど春に人を呼び集めていた。今日みたいな平日の朝でさえ、何人かが花見を楽しんでいる。どこの小説に出しても恥ずかしくないほど文字通り華やかな光景だ。もちろん私はここ以外名所と呼べる所がない、閑古鳥が鳴いている細々としたこの町が大好きだけど、それはやっぱりこの並木道を含めた町だからだと思う。

 「今が花のピークよ」と言わんばかりに咲き乱れる桜の間を歩きながら私は今朝のニュースを思い出していた。

「『開花宣言から一週間が過ぎ――』」

 私は足を止め、地面をピンクカーペットに染める花びらに目をやった。

「咲き始めてから一週間が経ったのか」

 一週間前に咲いた最初の桜はもう散ってしまっていることだろう。有終の美という言葉があるくらい日本人は散り際を大切にしている。桜が咲き、舞うことを美しいと感じながらも最後に散りゆく花びらの儚さに人は最大の美しさを見出している。花火を夏の風物詩としているのも一瞬の灯、その儚さに心打たれているからだと私は思う。じゃあその後は?

 もう一度、地面に這いつくばったピークを終えた花びらを見る。散った花びらのことを考える人がこの世に何人いるんだろう。死んだ花びらを想う人がこの世に何人いるんだろう。振り返って先ほどの花見をしている人たちを見た。上ばかり見上げるあの人たちは下へと落ちていく花びらの行く末を気にすることなんてないんだろうな。散って済んだ花びらがどうなったってどうでもいいんだろうな。私はまた歩き始めた。この花たちは誰にも知られず静かに蒸発するんだろう。誰にも見られず、道の色を元に戻すんだろう。

 私は数日前に終わった半額セールを思い出した。机に散っていたあのチラシも誰も知らないうちに、思い出されもせず、消えていくのだろう。終わったものはもうおしまいなのだ。

 ……あれ? 今日って学校だっけ?

 

 あの日から二か月ほど経った。この町は飽きるほど平和で本当に何もなかった。暇で暇で、警察なんて給料泥棒の何者でもないんじゃないだろうかと感じるほどだった。警察が泥棒ってなんか面白いな。そんなこんなの日々を過ごし、桜も普通に散っていった。散っていってやはりいつの間にか消えていった。それに伴って花見客も当然のように散っていった。私は今日も学校だから、今日も余裕とリュックを持ってあの青々しくなった桜の並木道を歩いている。今月から梅雨が始まるし、それが終わったらいつも通り夏がやってくるのだろう。葉っぱで茂った桜を見ながらこれもやっぱりありだなと思えた。

 この間調べたが、開花宣言はあっても散ったことに対する言葉は当たり前になかった。しかしそれではやはり、やはりなので、梅雨が始まる前に、この青々しい桜に向かって宣言しておこうと思う。

 上を見上げ朝から女子高生が敬礼をする。あほながら、あほならではの一線を引いておく。

「読み方は「さん」と「か」である! 今日より散花宣言を発令する! お疲れさまでした!」

 

 とても有意義な声の使い方だと我ながら思った。