令和のこの時代、恋愛は時間の無駄とか、コストに見合わないとか言われることが増え、恋人のいない青春時代を謳歌する学生が多かった。多くの学生はオタ活やゲームなど各々の趣味に没頭していて異性のことなんて二の次。そんな時代でも恋人を作ることに奔走している女子学生が存在した。
桜田美玲(さくらだみれい)は大学三年生になるが、好きな異性はできても片想いで終わってしまった。もしくは恋人がいるというステータスに憧れただけで男を選び、猛アプローチした末にろくでもない異性にまんまと引っかかって失恋した。そんな自分の人生に嫌気がさした美玲は過去について何もかも考えるのを辞めて心を一から改めようと思い立って自宅から四百キロも離れた土地へ一人旅に出た。行った先で何をしようとかはなく、ただ一人になってトラウマだらけの日常生活から逃げ出したかった。周囲から甘やかされて育った美玲の旅費は祖父母から「いつも大学頑張ってるからね」と小遣いをもらい、新幹線チケットを買い、宿を予約した。
出発日の朝、美玲は新幹線の座席から見える景色の写真を撮りインスタグラムのストーリーに載せた。車窓の向こうには美玲の地元よりはるかに田舎ですぐそこに田んぼや山が広がっている緑豊かな村があり、自然の豊かさが美玲の心を浄化した。フォロワー約百人が見るストーリーには毎回大体八人から『いいね』がつくのだが、今回の写真がいつもより珍しく感じた人が多かったのか十二人の人がいいねをくれた。その中に『島福』というユーザーがあった。
「島福……誰だ」
いいね欄を見ながら美玲はそう呟いたが、片道二時間もある道中で見慣れない景色に夢中になっているうちに気に留めないようになっていた。
新幹線は終着駅に着き、美玲は改札へ向かったが構内が広すぎてどの改札を出たら良いのか分かっていなかった。なんせ一人になる時間さえ確保できたらいいとしか考えていなかった美玲はキャリーケースを引きずりながら同じところを二、三周回った。結局一番大きく書いてある中央口から出ようとするとキャリーケースの車輪で隣を歩いていた男性の足をうっかり引いてしまった。美玲は恥ずかしくなって下を向いたまま「すみません」と謝って慌てて改札を抜けた。
宿泊先のホテルへ荷物を預けに行った後、美玲は駅まで戻りバスに乗って海まで出掛けた。丁度その頃母親から『ちゃんと着いた?』とラインが届いて美玲はスタンプで返信した。美玲が一人旅をすることを誰よりも心配して反対した母親だが、なんだかんだ娘の言いなりになってしまい、渋々承諾した。いつか社会に出て独立してほしいと願う気持ちもあったのだろう。
海に着くと休日のせいかたくさんの釣り人がいた。まだ夏は始まっていないのにサングラスを掛けて麦わら帽子を被っている人も多くてここの海だけ季節が前倒しになっているようだった。美玲は人気の少ないアスファルトの階段に腰を下ろし、ほっと溜息をついた。海は太陽の反射でキラキラと輝いていて直視できないほど眩しかった。遠くを見ると海の向こうに小さな島々がぽつぽつと浮かんでいた。ぼうっと遠くを眺めていると美玲はこれまで遭ってきたことを思いだし、頭を抱えた。恋愛している自分こそが一番幸せという一昔前のような考え方から抜け出せず、幸せそうな親友を妬み、異性に弄ばれ、ずっと不幸な自分が大嫌いだった。いっそのことこの海に飛び込もうとしたが美玲にそんな度胸などなかった。昼過ぎになると近くにキッチンカーがやってきて焼きそばソースのいい香りがしてきた。どんな心境でもお腹は空くもので、朝から何も食べていない美玲は列に並んで焼きそばとコーラのセットを注文した。受け取った後、さっきのアスファルトの階段へ戻り、海をバックに焼きそばとコーラを並べて写真を撮り、またインスタグラムのストーリーに投稿した。
昼ご飯を食べ終えて、ふとスマホをチェックするとさっきの『島福』という人からのダイレクトメッセージが届いていて、美玲はすぐさま開いた。
『もしかして久地楽(くじら)海?』
美玲はぞっとした。島福は美玲の居場所を突き止めていたのだ。しかし、島福が誰なのか分かっていないので返信するのをためらった。
『俺のこと覚えてる?』
美玲の心を見透かしたようにまたメッセージが届いた。
『ごめんなさい』
美玲はそう返事をするとすぐに既読がついた。
『睦飛の友達』
島福からの返信で美玲は全てを思い出して固まった。睦飛は去年に美玲と関係を持った男性で、美玲の心が病んだ原因の一つである人物だった。島福は睦飛とデートしている時に一度だけほんの数分だけ駅で会ったことがあった。その時にインスタグラムを交換していたが、何のやり取りもなくそれっきりだった。
『そうなんだ』
美玲は素っ気なく返信するとまたすぐに返信がきた。
『今も久地楽海にいる?』
島福がなぜ地元からこんなに離れた土地を言い当てるのか不思議で、過去のトラウマから美玲は、睦飛が報復しようとしているのではないかと勘ぐって怖くなってきた。
『大丈夫、睦飛は関係ない』
島福は美玲の不安を察したようにメッセージを送ってきた。
『まだ来てるよ。どうして?』
美玲は警戒しながらもなぜ久地楽海のことが分かったのかを尋ねた。
『俺も来てる。後ろの島で分かった』
後ろに映っている島の形は確かに独特だが、こんな遠い土地でこんな偶然があるのだろうか。しかし、辺りを見渡しても島福らしき人はどこにも見当たらない。
『ほんとに来てる?』
美玲は少し怖くなって、いよいよ報復されると思い込むようになっていた。
『見つけた』
島福の返信で美玲は恐怖のあまり手が震えてスマホを落としそうになった。すると誰かが後ろから肩をポンポンと叩いた。美玲は恐怖のあまり身体が硬直して今まで出したことのないような叫び声を発した。
「あらやだ、ごめんなさいね。脅かすつもりはなかったの」
とエプロン姿の朗らかな初老の女性が大きなゴミ袋を持って立っていた。美玲は慌てて謝った。
「ゴミの回収で回って、ほら、ここら辺の海はポイ捨てが多い海だからね。あなたが持ってる焼きそばのゴミももらうね」
女性はそういってコーラと焼きそばのゴミを回収し、別の人のところへ回っていった。島福ではないことにホッと胸をなでおろした。
「美玲ちゃん?」
また後から低い声がして、今度こそ男性の声だった。美玲が振り向くとそこには黒いバケットハットに黒のTシャツにカーキ色のリブパンツ姿で、手には釣竿とクーラーボックスとバケツを持った二十代前半の男性が立っていた。顔は去年会ったことがあったので相手が島福だったのはすぐに分かった。美玲は真顔で驚くことはなく、静かに頷いた。
「久しぶり」
島福は少し照れくさそうに笑いながらそう言った。
「ひ、久しぶり、島福さん」
「島福はあだ名。本名は島田福太郎(ふくたろう)」
睦飛もそれが本名であるかのように島福と呼んでいたので、実はこれまで美玲は島福の本名を知らなかった。
「睦飛とのことは噂で聞いた。俺もあいつと喧嘩して全部のSNSをブロックしたから何も気にしないで」
美玲はその言葉を聞いて恐怖から解放されて力が抜けた。
「そうだったんだ。やっぱりあの人はちょっと色々問題ありな人だったね」
美玲がそう言うと福太郎は腹を抱えながら何度も頷いて大笑いした。
「なんというか、ねちっこいというか執着心があるみたいな、見た目はサッパリ系なんだけど。俺は高校時代から一緒だったけど、女の子からも嫌われてたね」
美玲は福太郎の言葉に共感し、クスッと笑った。すると福太郎はあることを思いだして手をパンと叩いた。
「美玲ちゃん、釣りは好き?」
「やったことないけど、別に嫌いなわけじゃないよ」
「良かったらイカを釣らない? イカ。久地楽海はイカが有名で、俺は毎年来てる。早く釣らないと他に獲られるから俺は今からすぐに行くけど」
美玲は皮肉にもさっきの睦飛の悪口で福太郎と意気投合したことで心を許し、福太郎について向こうの方まで歩いた。福太郎は場所を決めるとすぐに釣り具をセットして餌を海に放り投げて釣竿を構えた。人生で初めて釣りの様子を見た美玲の目にはその様子が新鮮で福太郎がさっきよりもかっこよく映った。美玲は福太郎から2Mほど間隔を空けてアスファルトの上にちょこんと座った。
「そういえば、なんで美玲ちゃんがこんなところに? 言いたくなかったら別にいいけど」
福太郎は釣竿を構えながら水平線の方に目線を向けたままさっきよりゆっくりした口調で聞いてきた。
「上手く話せないのだけど、自分から解放されたかったの。ずっと同じ場所にいると考えたくないことばかりが頭をよぎる。少しで良いから知らない土地に行って全てを忘れて自由になって人生一からリセットしたい」
話しているうちに美玲の表情は暗くなっていき、海を挟んだ先のテトラポットの方をぼんやりと見ていた。
「それって睦飛のせい?」
「それもあったし、なんせ過去の自分が嫌い」
「まさか、入水しに久地楽海に?」
福太郎は心配そうに目線を美玲の方へ移した。
「いや、インスタグラムで久地楽海が綺麗なのを見てなんとなく」
美玲は表情を一変させ、ケロッとしていた。
「なんだそれ、心配して損した」
そう言って福太郎はクスッと笑って目線を水平線の方へ戻した。
「過去なんか勝手に消えるもんじゃないの」
福太郎のその言葉に美玲は首を横に振った。
「消えないよ。本人の中では一生付きまとう。嫌な記憶ほど脳が覚えているからトラウマになって夜になったらフラッシュバックするの。どれだけ忘れようとしても何かの拍子にふっと蘇ってまたそれが永遠に続いていく」
「でも過ぎたことをあれこれ言ってもどうにもならないじゃん」
「そう、だから辛いの」
福太郎は釣竿をスタンドに置いて美玲の隣に座った。
「美玲ちゃん、悪いけど今を必死に生きていないから過去のことを考えてしまうのだと思う。顔の表情からしてもかなりおっとりしてるし、こんなところまで来る時間と余裕がある。本当に忙しい人間はこんなところまで来れないよ。俺は本当なら今日は仕事で、でも何とか休みとって明日までここにいれる。美玲ちゃんは大学生だよね。羨ましい」
美玲はやっと自分が過去にしか目を向けていなくて今を無駄にしてしまっていることに気が付いた。
「福太郎さんは何のお仕事を?」
「島福でもいいよ。皆からもそう呼ばれているし。俺は農家でじゃばらを作ってる。本当は工業高校出身だから自動車の専門学校行きたかったけど、高三の春におじいちゃんが急死したから俺が農家をすることにした」
「じゃばら?」
「酸っぱいけどちょっと苦い果実。みかんとかゆずに似てる」
美玲には聞いたことのない果物で、自分と違う世界に生きている福太郎のことがまた気になった。
「おじいちゃんの農園はうちから遠くて、山の近くだから飛ばしても一時間以上はかかる。台風が来たら今まで育てたものがダメになって全部一から苗を植えることだってある。春夏は虫が葉を食い荒らすし、冬は出荷で忙しい。過去を振り返る時間なんかないんだよ」
そんな話をしていると釣竿がカタカタと動いて、福太郎はすぐさま釣竿を掴んで力強くリールを巻いた。すると海からの茶色い物体を引き上げた。その瞬間、美玲の顔面に何かしょっぱい液体が飛んできて、とっさに目を閉じた。
「よっしゃ、イカが釣れた」
目の周りに付着した液体を手で拭ってようやく目を開けると、福太郎が自慢げにイカを掴んでいて、顔と服がイカ墨で真っ黒に染まっていた。美玲は途轍もなく嫌な予感がして手鏡で自分の顔を確認しようとすると、福太郎は美玲の方を見て大笑いしていた。手鏡を取り出そうとして鞄の中を開けようとすると、白い鞄の端っこが黒く汚れていた。買ってまだ一年も経っていない布製の鞄がまさかこんなことになるとは思いもしなかった。去年の誕生日に母親に買ってもらった美玲の服もイカ墨で汚れてしまっていたが、既に乾き始めていてこちらもかなり染みこんでしまっていた。一方、福太郎は服が汚れたことなんてお構いなしにイカをバケツに放った。そしてまた次の魚を捕まえようと釣竿に餌をつけて釣竿を構えた。
「美玲ちゃんも何か釣ってみる?」
福太郎は美玲の様子なんて気にも留めていなくて、いかにも釣りはそういうものであるとでも言うように毅然とした態度だった。しかし美玲は気分が参ってしまって遠慮した。
「美玲ちゃん、さっきのイカ墨がかかった時に過去の嫌なこと思い出した?」
福太郎にそう聞かれて、美玲は今に必死だったことに気が付いた。これが今を必死に生きるということなのかと納得した。こんな刺激的な出来事が健全な毎日を送るためのエッセンスだったと身をもって実感した。
しばらくして、海流が変わって魚が釣れなくなり、結局イカをリリースして釣りは切り上げた。
「せっかくだし夜は花火しない?」
美玲はこれなら服は汚れまいとせっかくなので福太郎の誘いに乗った。
夕方になり、福太郎のレンタカーでいつもいっているというおでん屋の屋台に向かった。美玲はその間も服や鞄に着いたイカ墨を気にしていた。
「そのイカ墨は酸素系漂白剤で落ちたはず」
美玲はそんなことは分かっていたが、そんなものが今手元にないから困っていた。よりによって母親に買ってもらった服と今年買ったばかりの鞄がこんなことになるのだろう。福太郎に憤りを覚えたが、人生の大切なことを教えてもらったという感謝の気持ちもあり、憤りの気持ちを心の奥にしまい込んだ。車に乗って五分ちょっとで例のおでん屋の屋台にたどり着いた。
「よっ、兄ちゃん久しぶり。おぉ、ついに彼女と来たか」
屋台の主人は四十代半ばぐらいの小太りのおじさんで頭に青の手ぬぐいを巻いていて、屋台の隣には愛犬の『まろ』のハウスがあった。
「そんなんじゃないし。よっ、まろ。元気そうだな」
小型犬のまろはきゃんきゃんと鳴き、尻尾をフリフリ振っていた。
「オヤジ、ツミレとたまごと大根」
福太郎の注文に主人は鍋の中から具材を取り出して器に盛った。出汁のいい香りが立ち込める。
「はい、美味しいとこ。もち巾着はサービスな。そっちのお嬢ちゃんは?」
美玲は屋台で何かを食べる経験がなかったので何を頼んだら良いか張り出してあるメニューを見ながら迷っていた。
「おまかせしとく? はい、美味しいとこね」
主人は美玲にもち巾着や糸こんにゃくを盛った後に大根をサービスした。主人は強面な印象とは裏腹にとても愛想がよく、サービスも良かった。おでんを受け取った美玲は写真を撮ってまたインスタグラムのストーリーにアップした。
「今日、駅でキャリーケースの人に足引かれて痛くて」
福太郎は主人に愚痴をこぼした。美玲は新幹線を降りたときのことを思い出して心臓の奥が激しく動いたような感覚になり表情を凍らせた。福太郎はキャリーケースの相手が美玲だと分かって言っているのかと不安になったが、サバサバした福太郎がこんな真似はするはずがないと考えるようにした。
「最近は観光客が多いからそういう奴もいるさ。うちも最近はインスタ映えとかで変な客が増えてきた。インバウンドも考えものだな」
これもまた美玲のことを言われているような気がして罪悪感がして俯いた。
「お嬢ちゃん、具合でも悪くなった?不味かった?」
主人の美玲は必死に首を横に振ったが、結局嫌われるのが怖いあまりに最後まで福太郎に謝ることはなかった。
「そろそろ行くわ」
福太郎はさっさと会計を済ませた。美玲は自分が食べた分は自分で払おうとしたが、福太郎はお金を受け取ることはなかった。まろはまたきゃんきゃんと鳴き、二人を見送った。
福太郎はまた車を走らせ、久地楽海の浜辺に戻り、荷台から手持ち花火のセットとライターを取り出した。二人はそれぞれ一本ずつ花火をもって順に火をつけた。花火は橙色の光を放ち、目の前を明るく照らした。
「俺、昔虐められてたんだ」
花火を見つめながら福太郎は唐突に過去のことを打ち明けた。美玲は意外さを覚えて黙って頷いた。
「それでおじいちゃんが俺を励まそうとして忙しいのに合間を縫って俺を久地楽海に連れてってくれた。そこでイカとかアジを釣って生きることの楽しさを知った。この海はおじいちゃんからのプレゼントみたいなものなんだ」
美玲は初めて福太郎の過去に触れて、福太郎がなぜこんなに遠い久地楽海に来たのかを知り、少し泣きそうになっていた。自分だけが悲劇のヒロインになった気でいたのが恥ずかしく思えていた。一方、福太郎は『過去は過去。今は今しかない』と割り切って目の前の花火に夢中になっていた。花火の火が散るとまた新しい花火に火をつけてと時がゆっくりと流れていた。
「美玲ちゃん、これ持ってみて」
福太郎は美玲の片手に手持ち花火を十本持たせた。
「これをまとめて握って欲しい」
「こんなことして大丈夫?」
「男はいつもこんなやり方だから大丈夫」
まるで花火を自転車のハンドルのように持たせた。美玲は何だか嫌な予感がしていたが、福太郎なら変なことはしないだろうと花火十本を握りしめた。そして福太郎は花火に火をつけて、一気に燃え広がり、美玲の小指まで火が届きそうになった。
「あっっっっっっっつ」
美玲は震え上がるような怖さと熱さで花火を手放し、火は地面に落ちてそのまま燃え尽きた。そんな美玲を他所に福太郎は『そんな大袈裟な』と笑っていた。しかし、美玲の小指は赤く腫れていた。美玲は海まで全力疾走し、小指を冷やした。
「島福、今日はもう帰りたい、帰ろう、早く帰りたい」
美玲は必死に福太郎に懇願したが、花火を捨てるといけないから最後まで燃やしたいと聞いてくれなかった。そんな間にも美玲の小指はますます腫れていた。最終バスに乗ろうとしたが、運の悪いことに時間に間に合わず最終便はもうなかった。
「駅まで送ってくけど、今日泊まり?」
「そうだけど」
「悪かった、ホテルまで送ってく」
美玲は今までのトラウマがぶり返し、男性に車で送ってもらうことにまた恐怖心を感じはじめたが、久地楽海からホテルまで歩ける距離ではないので駅まで送ってもらうことにした。途中でコンビニによってロックアイスを買ってもらって小指を冷やした。福太郎を待っている間も移動中もジンジンとした痛さのあまり平常心を保つことができなくなっていて車の中でも『痛い痛い痛い』と大声を上げていた。そして、二十分以上かけてようやく駅に着いた。
「今日はごめん。俺、今日は久地楽海の駐車場で車中泊するから何かあったらいつでも連絡して」
駅に着いてからやっと福太郎は美玲に謝ったが、淡々とした言い方で美玲は不服に感じた。
「うん、わかった、ありがとう」
美玲は火傷していない方の手で車のドアを閉めた。その日以降、美玲が福太郎に連絡することは二度となかった。
ホテルにチェックインして、ベッドに横になった。スマホを見ると親から沢山メッセージが届いていて『ちゃんとご飯を食べたか』『ホテルに辿り着いたか』『何かトラブルはなかったか』と心配しているのがひしひしと感じた。しかし、今日のことを話すとややこしいことになるので久地楽海に来たことしか伝えなかった。今日起きたことを思いだすと、釣りをしてイカ墨でお気に入りの服と鞄が汚れて、屋台でおでんを食べて、花火で火傷を負った。過去の自分を忘れるほどの刺激的な一日で『トラウマだらけの日常生活から逃げ出したい』という旨で出掛けたのである意味成功だったのかもしれないが、美玲にとって久地楽海は大きなトラウマとなった。