とある女子高生の話

エッセイ/月夜見

 青春真っ只中の女子高生は、世間から見れば大人になるまでの一番楽しい時期なのかもしれない。放課後に遊んだり、お洒落してみたりと華やいでいる。だが、私の高校生活はそんなものではなかった。

 四年前、私は高校二年生だった。当時の私には大きな悩みがあった。それは過敏性腸症候群、膀胱炎、顎変形症といった三つの病を抱えていたことだった。この三つは本当に厄介なもので私の高校生活に酷く影響をもたらした。

 過敏性腸症候群は、名前の通り胃腸の調子が悪くなる。登校バスが学校に近付いた時、嫌な授業の時、集会で人が密集した時にその症状は現れ、家にいる時の症状が出ることはなかった。この頃は新型コロナウイルスの感染拡大の前であったため、リモートで参加するという選択肢がなかった。病院へ通院したり、食生活を見直したり、運動する機会を増やしてみたりしたが、症状が改善されることはなかった。

 それより厄介だったのは膀胱炎だ。これは、当時の教師や主治医もどうしたものかと頭を悩ませていた。どんな薬も症状を抑えることができず、闘病期間が長引いのだ。こちらも過敏性腸症候群と同様に、嫌な授業や集会で人が密集した時に症状が現れた。気軽にその場を離れることができない状況になると何も起きていないのに体調のことが気になって、切迫感に駆られるのだ。そしてお手洗いに行きたくないのに行きたくなってしまう。行かなければならないと錯覚してしまう。

「先生、お手洗いに行ってきます。」

 この言葉を発する勇気が内気な私には無く、常に静まり返った空間はそんなことが言える状況ではなかった。でも、もしものことがあってはならないと思い、担任と相談して席を前の方にしてもらった。しかし、教室を抜け出す勇気が湧き出てくることはなかった。思い返す度に自分の無力さに腹が立つ。

 何より厄介だったのは顎変形症だ。これは幼い頃の指しゃぶりが顎の形を変形させたことで発症した。夏休みに十日間の入院と手術をした。麻酔から覚めたときは痛さのあまり喋ることができず、自分で起き上がることもできなかった。奥歯が浮いていて噛む力も無く、食べられるものも限られ、入院中の食事に角切りのリンゴが出されたが、それすらも噛み切ることができず吐き出してしまった。大好きな食べ物が目の前にあってもそれを食べることもままならぬことに悲しみと絶望を覚えた。退院後も約一ヶ月はお粥と豆腐と具のない味噌汁しか口に入れることができなかった。おかげで体重が五キロほど落ちた。太り気味だった私はほっそりとした。

 この三つの病気は平穏な日常を奪いかねなかったが、同時に健康でいられることの有難みを教えてくれた。過敏性腸症候群と膀胱炎については人間関係のストレスが大きな原因だろう。当時の私の気持ちを理解してくれた友人がいないわけではなかったが、ちょっとしたことでいざこざになりお互いに陰口をこぼすことが多かった。そのくせ自分に不都合なことが起きると私を頼ってきて、用が済むとまた素っ気なくなる。逆に私がその友人を頼った時はろくに話を聞いてくれず、知らないふりをしてまともに取り合ってくれなかった。今はその友人と疎遠になりSNSの投稿をたまに見るぐらいで連絡を取り合うことはしていない。本当に希薄な友人関係だった。こんなことなら中学時代に勉強してもっと頭の良い学校に行けばよかったと何度後悔しただろう。

 環境が変わり、この三つの病気が完治した今も時々病気の記憶が蘇ることがある。でも、その度に心身ともに強くなったことを実感した。あの苦痛な状況でも学校を休むことなく通い続けたあの時の自分に未来の私から金メダルを贈ろう。