愛犬家

短編/矢坂物黒

 

 犬を飼いたいと最初に思ったのは保育園の頃だった。

きっかけは母親がつけっぱなしにしていた報道番組がしていた実際の犬の特集だった。モニターに映る犬は元気に芝生の上を走り回り、飼い主に名前を呼ばれると一目散に駆け寄る姿は、機械の犬と見た目は同じなのに、なぜか私の幼心に深い印象を残した。

 私もできることならば、機械ではない犬と共に暮らしてみたい、共に遊びたい。そう強く願った。

 だがしかし、現実は残酷なものだった。

 犬に夢中な私のために両親が、遠く離れた動物園に連れていってくれた日、ふれあい広場で本物の犬を触らせたもらった直後のことだった。突然、私はくしゃみが止まらなくなった。それがあまりにも酷かったもので、慌てた両親は最寄りの病院に連れていかれ、検査を受けた。

 その結果、私は犬アレルギーと診断された。

当時、重苦しい口調でそのことを告げ、ごめんねの言葉を繰り返す母親の姿を今でも覚えている。一方で、初めて触った本物の毛は思ったよりも硬かったことも覚えている。

 

 社会人はボーナスが入ることに喜びを感じる。これは社会人の共通認識だろう。しかし私ほど今日この瞬間を喜んでいる社会人はいないと断言できる。

私は家路につくと、自分の口座アプリを開き、表示されている数字を見て顔をほころばせる。

それから私は、とある会社の公式サイトを開いてその中にある通販ページへと移動した。そして迷わず商品を選択して購入手続きを済ませた。もちろん、今回のボーナス一括その場払いで。

『注文した商品が届きました。商品に心当たりがない場合、商品が注文と異なる場合はすぐに発送元へご連絡してください』

口座アプリの支払いの確認を完了させると、お届け物の到着を知らせるアナウンスが部屋に響いた。注文した商品が即座に届く二十三世紀万歳、と思いながら私は玄関に向かい、届いた荷物を居間に運んで、早速開封した。

箱を開けると、大量のクッション素材と一体のコーギー犬が姿を現した。

私はおそるおそるコーギー犬に手を伸ばした。あの時と同じ細く、硬い手触りが見事に再現されており、手はそれを感知しているが、箱の中のこの子にはぬくもりがなかった。

「まさか、私がペットロボットに手を出すとは」

元々は動物愛護の観点と伝統文化保護の観点から作り出されたそれらは、いつしかだれでも本物に近いペットとの生活を楽しむことができるという点や、彼らの寿命がない点から、現代のペット市場における主流となっていた。

私はコーギー犬の初期設定をするために箱に入っていたコードをパソコンにスキャンし、ペットロボットのユーザー専用のアプリをインストールした。しかしそれをすぐには立ち上げず、私は別のアプリを開いた。

そのアプリを通して、先ほどのユーザーズアプリを選択した。

すると、パソコンのモニターは暗転して一面にソースコードを映し出した。

 

本物の犬にあこがれた私がペットロボットに手を出した理由、それは動画サイトを通して彼らを個人で改造し、思い思いに愛犬と過ごしているのを知ったからだった。

改造という手段を知ってからの私の行動ははやかった。すぐさま改造用のサイトを探し当て、それに必要なアプリをインストールし、ペットロボットの価格を調べて購入計画をたてて今日を迎えた。

私は改造サイトの情報を頼りにまずはアプリに組み込まれているメーカーにデータを送信するためのプログラムを解除し、削除する。

例のサイトによれば、これが解除されていないと、改造してもそのことがメーカーにばれて自動的にプログラムを修正され、しばらく設定をいじることができなくなる。

もちろん、くりかえせばペットロボットを初期化され、なおかつ二度と設定をいじれなくなるらしい。

それから私は、改造行為を誤魔化すためのプログラムを、さきほど削除した分を埋めるように組み込んでいく。

これを組み込んでしまえば、サーバーには偽装データが送られ、改造行為を確認されにくくなる。

容量には制限がある。

だからいらないプログラムを消して空いた分に欲しいプログラム……ペットロボットにやって欲しいことを、モニターに刻んでいく。それを繰り返すことで改造を進めていくのだ。

 私にはこの子と幸せな日々を送るために、組み込まなきゃいけないプログラムがたくさんある。

 そのためには、それと同じ分不要なプログラムを消さなければいけない。

 幸いこの子には必要ないものが組み込まれてしまっているから、それを消せばなんとか足りそうだ。

 まずペットロボットは娯楽性を優先しているため、再生した曲に合わせてダンスを躍ったり、歌を歌ってと頼めば歌ってくれたりしてくれる。けれど、犬は踊らないし歌も歌えない。この機能はいらないから削除する。

 次に、ペットロボットは安全性に配慮された造りとなっている。そのおかげで、私はこの子を買うことができたのだが、嫌なところを撫でられても怒らないのは犬らしくないから、これも削除しよう。

 ペットロボットには、飼い主の影響を受けて性格が変化するという特性を持っている。けれど、せっかく安くないお金を払って、せっかく改造をほどこしたのに、悪い子になっちゃったら困る。

 だから、いらない性格につながるプログラムも一部削除してしまおう。

「これで、だいぶ容量が開いたかな」

 

 さて次はいよいよ、組み込みたいプログラムを入力していこう。

 私は携帯から例のサイトを開き、その中にある[このサイト内のお気に入りのページ]と書かれた表示をタップした。

 すると、私があらかじめお気に入り登録をしておいたページのリンクがモニターに現れた。私はそこにあるリンクから、お目当ての内容をプログラミングできるソースコードの情報があるページに移動した。

 最初に入力するのはペットロボットをより犬に近づけるためのプログラムだ。

 具体的には、家犬の習性をまとめたデータだ。これを組み込んで、より本物らしくしていく。やっぱり、犬なら元気いっぱいに外を駆け回るのが、猫は気まぐれであるのが一番かわいいのからだ。

 犬らしくなった時の弊害でこの子は他のペットロボットよりも、凶暴さやしつけのしにくさが目立つだろうが、昔はそれがふつうだった。それに、動物を飼うときの大変さも動物らしさの一部だ。それをないがしろにすることは私にはできない。

 次は、性格形成プログラムの固定化だ。

 いらない性格はさきほど削除したが、残った性格だけではこの子が動いても他のペットロボットよりもあの子らしさが出ない。そこで、今この子に残った『元気いっぱいで、身体を動かすことが好きという性格』を細分化させる。

「ああ、早く一緒に遊びたいな」

 私はよく休日は外に出て体を動かしているが、これからは長年夢見た犬とのアウトドアを楽しめると思うと自然と口元が緩む。

 最初はどこに連れて行ってあげようか、比較的近場の運動公園にしようか、それとも隣町にある穴場の公園も悪くない。

 少し考えただけでもやりたいことが頭の中をいっぱいにしてくる。

 それもそうか、この改造を終えて初期設定を済ませたら、いよいよ愛犬との生活が実現するのだ。浮かれても仕方ない。

 そう思っているうちに、入力作業も大詰めを迎えた。

 まず、改造データをアプリに適応させる。それから、ユーザーズアプリが起動できるかを確認する。ここで、起動できなければ何かしらの不備が起きているのだが、幸い問題はなさそうだ。

 

 無事に改造できたことが分かり、私は安堵のため息を漏らした。

「初期設定は、休憩してからでいいかな」

 思えばこの子を買ってからすぐに作業を休みなしでやっていてからか、少し疲れた。続きは何か一杯飲んでからでもいいだろう。私はキッチンに向かうため、その場を後にした。

 

多くの人でにぎわう休日の運動公園、そこにあるドッグランで一匹のコーギー犬が走っている。

「デイジー」

 デイジーと呼ばれたコーギー犬は、すぐさま声の主……自身の飼い主のもとに走り出した。デイジーが駆け寄ると飼い主はいい子いい子と言いながら、自分の身体をなでまわす。やがて満足がいったのか、なでる手を止めてデイジーの首輪にリードをつけ、歩き出した。

 しばらく歩くと、地面が整備された石の道から土のものに変わっていく。

 やがて黄色い花が一面に咲く花壇が現れたところで、飼い主は足を止め、デイジーに語り掛けた。

「見てデイジー、これがデイジーの名前のもとになったお花だよ」

飼い主の言うとおりにデイジーは自分と同じ名前の花を見る。

「デイジー、大好きだよ」

 飼い主の声を確認したデイジーは、その言葉に合わせた反応を行った。