ダン・ガン

中編/ハッピーアワー

 

 『企業がもたらした黄金』、皮肉を込めてこう呼ばれるのは、工場の排煙に含まれる重金属と細片が混じった、日の光を受けてキラキラと輝く大砂漠のことだ。企業の利益の下に繁栄する一部の大都市を除いて、世界のほとんどがそうした不毛の大地に覆われることとなったこの時代、地平の彼方まで広がる砂漠は、ありふれた光景となっている。

 

 『ベスキートV2000』、時代錯誤のレシプロ式蒸気機関を心臓部に据えたこの超大型二輪は、砂漠の砂地をものともせず、重厚なエンジン音を響かせて疾走する。その操縦席にどっかりと腰を下ろし、黒のテンガロンハットを目深にかぶったいかにもガンマンといった風貌の男。

 彼の名はダン、またの名をダン・ガンスリンガー。

 前方に見える中規模都市、その象徴たる巨大貯水槽の影を睨み付けた後、ダンはバックミラーにちらりと目を向ける。

 ベスキートの後部に伸びる六本のマフラーはブラストパイプの後押しを受け、威勢良くスモークを噴き上げる。その煙幕の合間からかすかに見える追跡者の姿に、ダンはため息を付いた。

煙塔から火柱を吹き、砂嵐と見紛うほどに砂塵を巻き上げて激走する六輪の巨体、タイヤ一つで軽く四階建てのビルほどもあるそれは、俗に銃装要塞(ガンフォート)と呼ばれている。

バックミラーに映る巨体の影は、一時間ほど前に絡まれて以降少しもその大きさを変えていない。

「ったく、このポンコツが! あんなデカブツも振り切れねぇのかよ!」

 殴りつけた拍子にカバーの砕けたタコメーターは、相も変わらず過回転域を示すレッドゾーンで針を震わせている。

 

 再び都市に目を向けるダン、迫る砂塵に人々が慌てふためく様子がはっきり見えるほどにその距離は迫っている。

 いい加減この冗長な追いかけっこにも決着を付けねばならない。さんざん後回しにしていた課題をようやく片付ける気になったときのような気持ちで、ダンはスチームペダルを二度ふかしてから、排気ダクトのハッチを閉める。

 高圧蒸気の噴射による気流の吸い出し効果で一旦真空になった煙室が全開走行時に発生する煙を排出せずに留めておける限界はおおよそ十秒。左足でハンドルを押さえ、防風カバーを蹴り上げて立ち上がったダンは、風にばたつくテンガロンハットを左手で押さえ振り返る。マフラーから立ち上っていた煙が薄れ、くっきりと銃装要塞の姿が現れた時、ダンはガンベルトから愛銃を抜き放った。

 

 

 『タウン4889』、はぐれもの達の溜まり場。企業の庇護下から外れ、かといって大陸末端程の無法地帯でもないここは、没落者と野心家が隣り合って暮らす、人種と思想の境界面。

 野次馬を巻いてダンの飛び込んだ酒場はかすかに熱気の残る異質な静寂に包まれていた。昼間から安酒場を賑わすのはその半分が職なしの飲んだくれ、そのような連中は今頃町外れに燻る銃装要塞(ガンフォート)の残骸に群がっていることだろう。

 カウンター席に腰掛けたダンは、懐からコインを二枚取り出して卓上に置く。

「スクリュードライバー、ノンアルコールで」

 グラスを拭っていた手をぴたりと止めた後、怪訝な顔で店主はボトルを取り出す。

 都市部の奇特なバーラウンジならノンアルコールウォッカなどという用途不明の嗜好品を置いているところもあるようだが、生憎とこの辺りで酒に酔いたくないような変わり者はいない。

 ものの十秒でグラスに注がれたオレンジジュースを受け取ると、ダンはぐるりと酒場を見回す。今ここに残っているのはスクラップ拾いで日銭を稼ぐ必要のない連中、何より彼らの持つ大仰な銃が、彼らが何者であるかを明確に示していた。

 

「お前さん、こういう所ははじめてかい?」

 店主の言葉に振り返ったダンはグラスの半分を流し込んでからニヒルに笑った。

「いいや、よく来るよ」

「だったら知ってるだろう、あまりじろじろと周りを見ちゃいけねぇ」

 余計なことに首を突っ込んで得られる得は一つも無い、しかし今回は特別運が悪かった。店主に聞までもなく、頭上を覆った暗い影にダンは振り返った。

 見上げるほどの体躯に、レザーコートをパンパンに引き延ばす黒光りする筋肉、オイルでも塗り込んでいるのかテカテカと艶のある坊主頭にはランタン風ライトの揺らめく光がゆらゆらと反射する。しかし最も目を引くのは男のバカと無粋と暴力性を象徴するかのように上腕部から生えた20㎜4門ガトリング。

 日常生活の利便性とか、文化人としての体裁とか、そういうものをかなぐり捨てた、いっそ笑いがこみ上げてくる風貌の男はダンの隣にどっかりと腰を下ろすと、ウィスキーのグラスを叩き付けるように置いた。

「兄ちゃん、あんたバウンティハンターだろ」

 にやにやと見透かしたような顔をする男に、ダンは小さく肩をすくめる。先に示したように、この時間、こんな酒場に現れる人間はそう多くない、むしろダンのような見た目の男に向かって「訪問販売の方ですか?」などと聞く方が正気を疑う。

「見たぜ、さっきの。銃装要塞(ガンフォート)を一撃で吹っ飛ばすたぁ恐れ入ったぜ」

 果たしてさっき振り切った野次馬の中にこんなに目立つ男がいただろうか。そんな事を考えつつ眉根をひそめるダンに、男はその巨体をずいと乗り出して続ける。

「なあ、あんた俺と組まねえか?」

 突拍子もない提案にダンが目を丸くしていると、どういうわけかその様を了承と受け取った男はさらに身を乗り出し、耳打ちするように囁いた。

「窓側、扉から三番目のテーブルに座ってる女、ビスケッタっていってな、今マティーニを煽ってる洒落た女だ」

 顔を寄せた男から漂う強烈なアルコールの臭気から逃れるように顔を背けたダン、その視線はある一人の姿に止まった。昼間から薄暗い店内で、辛うじて日に照らされた窓沿いのテーブル席、それに向かう丸椅子にこちらに背を向けて腰掛ける一人の女。深紅のラバーブーツに包まれた足を組み、机に肘をついて気だるそうに座っている、他にダンの位置から確認できるのは右手にマティーニのショートグラスを握っているくらいで、その表情は腰まで伸ばしたボリュームのある赤毛に阻まれてうかがい知れない。

「先月現れた新人でな、あっという間に四七〇万G(ゴールド)まで駆け上りやがった」

「ひと月でか? そりゃすごい」

 賞金稼ぎにとって、自らにかけられる賞金はコインの裏と表、誰かの利になる依頼は、そのほとんどが誰かの不利益と恨みを呼ぶ。仕事が出来る賞金稼ぎは必然的に自らの賞金額もかさんでいくのだ。

 この辺りの組合では賞金額が五〇〇万Gを越えた賞金首は区画を越えて手配書が出される。晴れて一流の仲間入りというわけだ。

「あんたも同業なら分かるだろ、あと少しで大台に乗るって手合いは無茶をする、今が狩りどきなんだよ」

「オーライ、あんたの提案は分かった」

 要するに男の提案はちょっと美味しい賞金首を協力して討伐しようというものだ。どこの酒場でも珍しく無い、なんとも小物らしい提案であろう。ダンとしは即却下して店を出てもいいような内容だったが、気まぐれに最も不可解な部分を追求することにした。

「それで? わざわざよそ者と組みたい理由は何なんだ?」

「後ろからまとめて撃ち殺すためよ」

 面食らったように押し黙った男から視線を外し、ダンは声の主へと振り返る。燃えるような赤毛に藍色の瞳。男がビスケッタと呼んだ女をダンは違う名で呼ぶ。

「よお、カヴン、相変わらず似合わないことやってるな」

「ハーイ、ダン、あんたの帽子はよく似合ってるわ」

 皮肉交じりのやりとりを片手間にこなしつつ、ダンは視線でカヴンに話の意図を問う。

「その男はヴィジャブ・ダッカニア。ここらじゃ有名な新人狩り(ニュービーキラー)よ、あんたに声をかけたのは災難だったけどね」

 同情するようなカヴンの視線、それが向かう先はダンではなくヴィジャブである。

「てめぇら、知り合いだったのか……」

 口惜しそうに歯がみするヴィジャブ。

 

 一瞬の静寂の後、機関砲の鈍い駆動音が響くのと、ダンが抜き放った銃口をヴィジャブの眉間に突きつけたのはほとんど同時だった。

「おっと動くなよ、とりあえずそいつを止めな」

 ヴィジャブの頬を冷や汗が伝う。

 その場の誰もが身じろぎひとつ出来なかった程の早抜き。

 しかし、今回ばかりは彼の早抜きが裏目にでた。

「おい! あいつ何してやがる!」

 ただダンが銃を突きつける光景だけを見て早とちりした外野の怒声が響く。ライフルのスライドを引く音にダンは動いた。

 振り向きざま、一発を男の持つライフルの機関部に打ち込んで作動を止め、続く二発目で男の利き手を撃ち抜く。

 束の間の静寂の後、呆れた声でカヴンが言う。

「撃っちゃダメでしょ」

 何を置いても、酒場では先に手を出した方が悪だ。

 一斉に目の色を変えて銃を抜く先客達を相手に、ダンの大立ち回りが始まった。

 

 

 五千番台に近い外れの町にある男がいる、トラブルメーカー気質で、やたらと争いごとが大好きな男。マシンガンの斉射をかいくぐって跳ね回る男の名はダン、またの名をダンシング・ガンマン。

 如何せんダンの銃は回転式(リボルバー)であるため、装弾数は少ない。四人目の右腕を吹き飛ばした後、二人の敵を残してシリンダーは空になった。

カウンター裏に飛び込んだダン、そこかしこ風穴だらけな安酒場でも、このカウンターだけは内部に金属合板の固い心材が仕込まれている可能性が高い。

 予想通り、耳障りな金属音を絶え間なく響かせつつも、ダンが背中を預けたカウンターは弾丸の嵐を食い止めた。

 シリンダーをスイングアウトして空薬莢を捨て、新しい弾込めようとポケットに伸ばす、流れるような一連の動作が、しかし途中で止まったのは、ダンの視界にある古酒の瓶が映ったからだ。

(せっかくならこいつを使ったほうが面白そうだ)

 ダンはポケットにかかっていた手で古酒の瓶を取り上げると、絶え間ない銃撃のわずかな間を縫って一人に向かい投げつける。

 飛んできた瓶を銃で振り払った男は、砕けた瓶から中身が降りかかることも気にせず引き鉄を引いた。

 アルコール度数九十六%の蒸留酒は、発砲時に銃口から散るわずかな炎で容易く発火する。

 一瞬で火だるまになった片割れにもう一人がわずかに気を取られた瞬間を見逃さず、ダンはカウンター裏から飛び出す。

 一拍遅れて追ってくるマシンガンの射線を振り切って、大きく右回りに距離を詰めたダンは壁を蹴って最後の一人に組み付いた。

 押し倒した男にお見舞いするのは、マウントポジションから銃のグリップを使った強烈な殴打。

 殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打、殴打。

 八度殴りつけてようやく動きを止めた男の顔面から、めり込んだ銃を引き抜き、ダンはやれやれと手を振った。

「あー硬ってぇ……しかし全員がサイボーグか、こんな田舎でずいぶんとブルジョアだな」

 

 散乱する七人分の残骸からは血の一滴も流れていない、吹き飛ばされた断面を見れば明らかだが、その大部分は生身の身体でなく機械に置き換えられていた。

「今時、生身の身体の方が高級品よ、健康で健全な肉体を維持するくらいなら一年分の食費で義体を買った方が安く付くもの」

 ダンが声のする方に目を向けると、何もないはずの空間から赤い光を伴ってカヴンが姿を現した。その傍らには赤く光る糸でぐるぐる巻きに縛られたヴィジャブの姿もある。

 戦闘を丸投げして隠れていたことに、文句の一つでも付けようと口を開いたダンだったが、よくよく考えればこのような大騒ぎになった原因の九割はダンにある。

「そんな奴らがどうして酒場に入り浸るんだよ」

「目的と手段の逆転? それとも過去の習慣? そういうのはあんたの方が詳しいでしょ」

 

 嘲笑するようなカヴンの言い草に今度こそ文句を言ってやろうと振り返ったダンは、先ほどとは異なる理由で言葉をつまらせる。

 カヴンの隣で縛られているヴィジャブ、その頭がぐるぐると回転していた。

 止める暇もなく、ヴィジャブの頭がネジのように抜ける。

 冗談のようなその光景に、しかし手榴弾から安全ピンが抜ける光景を重ねたダンは、未だ気付かずにやついた笑みを浮かべるカヴンに背を向けて叫んだ。

「逃げろ!」

 騒ぎを聞きつけて酒場に入ってきた二人の男の傍をすり抜けてダンは酒場を飛び出す、残された男達に振り返る時間は与えられなかった。

 閃光と衝撃、続く轟音。筋骨隆々の人間爆弾が爆ぜた威力は周囲のボロ小屋ごと酒場を吹き飛ばすのに十分な物だった。

 小さな石造りの塀に張り付くように身を縮めていたダンは、飛び散る残骸の主な物が飛び去ったのを確認して、ひとまず胸をなで下ろした。

「あんな爆弾の上に頭のっけて生活するってのはどんな気分だろうな、なぁ、カヴン」

 ダンがそう言った直後、眼前の空間が赤く揺らいだ。明滅する光子から現れたカヴンはがくりと膝をつく。その髪色は今や薄い桃色と言っていい。

 カヴンの武装『レッドライン』は位相兵器(フェイザー)の一種で、中でも熱を伴わない瞬間的な物理干渉に特化している。自在な実体を持たせることが可能で、弾丸のように射出したり糸のように振る舞わせたり、動きのない背景に溶け込むだけなら短時間の光学迷彩も行う事が出来る。最大の特徴は携行性であり、色として定着させることであらゆる物体と一体化し実重量及びエネルギー消費を限りなくゼロに近づけた状態で運搬することが出来る。しかし継続的で不安定な衝撃に弱く、銃弾を弾くような瞬間的なシールド展開は得意だが、爆発を間近で受け止めるような場に合は著しくエネルギーを消耗してしまう。目に見えて脱色した様子を見れば明らかだ。

 

「ふざけんじゃないわよ、自分だけさっさと逃げてんじゃ――」

 カヴンの言葉が途切れる、その目から怒りは抜け落ち、代わりにいぶかしむような視線がダンの後ろへと向けられる。爆発の砂塵の中からゆっくりと身を起こした人影、正確には人型の影に、カヴンの表情が引きつった。 

「駆逐用外骨格(ジェノサイダー)よ!」

 三階建てのビルと並ぶ身長、黒鉄色の金属装甲に覆われた巨体、そして全身をくまなく覆う数多の武装と砲塔。

 巨大人型ロボットといって差し支えない様相のそれが、先ほどまで酒場だった場所に屹立していた。

 その頭部に据え付けられたガラス張りのドームの中に見知った顔が鎮座している。

「ギャハハハハ! 残念だったなぁ! こうなったらこっちのもんだ! 俺様をコケにしやがったおめえらには、この世の地獄を見せてやるぜぇ!」

 醜悪な笑みを浮かべてダン達を見下ろすヴィジャブ、その顔面に向かって、すかさずダンは弾を込め、引き鉄を引いた。

 装薬は対物水準、数十センチの金属合板も難なく貫く威力を誇る。しかし、ダンの放った銃弾はヴィジャブの頭を覆うドームに当たった瞬間、金属質な共鳴音を響かせて明後日の方向に弾かれた。

 『屈折装甲』、接触面で運動エネルギーそのものに作用しベクトルを変えることで攻撃を防ぐ事が出来る。

「効かねぇなあ! てめぇの銃じゃ鉄銃装車(ベヒモス)の装甲は貫けても、俺様の鋼鉄巨人(メタルタイタン)のフレームにゃ傷一つ付けられねぇよ!」

 やたらとしつこく追ってきたあの銃装要塞(ガンフォート)はこの男の差し金だったのか、などとダンが考えている内に、巨人の全身を覆う砲塔がたちまち火を噴いた。

 先の人間爆弾など比較にならないほどの大量破壊。周りの全てを破壊し尽くす勢いで暴れる巨体から逃げつつ、ダンは併走するカヴンに問いかける。

「なんなんだあれは!」

「言ったでしょ、駆逐用外骨格(ジェノサイダー)、廃棄地区の制圧用に設計された大量殺戮兵器よ、でもベースになった機体は企業間抗争用の機動外骨格(アームドアーマー)だからOSとフレームは最新式」

馬鹿馬鹿しい巨体と武装に反して人脳制御と屈折装甲というハイテクノロジーな中枢システムを持つ理由はそれかと納得しつつダンは思考を巡らせる。

 問題はシンプルだ。通常の武器では刃が立たないということ、そしてそれに関してはダンに考えがあった。

「俺に考えがある、ひとまずお前は時間を稼いでくれ」

 

 

 ヴィジャブは苛立っていた、とかく苛立っていた。

 戦闘が始まってから二十分、逃げ回るばかりで一向に捕まらない二匹のネズミが彼を苛立たせていることは言うまでもない、しかし、いま真にヴィジャブの精神を蝕んでいるのは、他でもない彼自身の肉体であった。

 

 機械の身体から送られるフィルターなしの感覚フィードバックは焼いた針を差し込まれるような頭痛をもたらし、その刺激に誤反応を起こした脳が幻肢痛の形で無理をヴィジャブに知らしめるのだ。バラックを踏み潰す度に足に刺すような痛みが走り、ガトリング砲を一発撃つ度に毛を抜かれるような不快感が襲う。

 ポッドを満たす幻肢痛を抑えるための、強い興奮剤の効果も相まって彼の苛立ちは増すばかりではあった。

「ちくしょうが! ちょこまかと動き回りやがって!」

 荒く息をついたヴィジャブは血走った目でダン達を探す、その時彼は視界の右端に見なれない表示がある事に気付いた。

『Safe Mode』

 見覚えのないその表示を見つめていると唐突に視界の中央に黄色と黒で縁取られた仰々しいポップアップが現れた。

 細かな文字でびっしりと書かれたその内容をヴィジャブはこれっぽっちも理解できなかったが、最終行に表示された『制限解除』の言葉と周囲に書かれたミサイルのアイコンに、彼は獰猛な笑みを浮かべた。

 

 ヴィジャブはこの肉体を与えられるに際して、整備士と名乗った男の諸注意を起動方法の他は全て聞き流していた。故に安全装置がいかに人道に配慮して付けられたか、それを解除することがどのような結果を招くことになるのかを理解していないのはひとえにヴィジャブの自業自得である。

 割れるような頭痛のあと、ヴィジャブの眼前に赤い警告灯が明滅する、それらを無視しヴィジャブはミサイル発射コマンドを実行した。

「いい加減死にやがれ!」

 外骨格の肩部が開き、ミサイルを多数搭載したサイロが空へと打ち上がる、元々軍用車や戦闘機のエンジンを想定して設計された熱源探知は、比較してわずかな熱量しか持たない人間を相手にまともに機能しない。結果として放たれた無数のマイクロミサイルは、滅茶苦茶な軌道を描きながら辺り一帯を吹き飛ばすこととなった。

 

 

 頬を撫でる水の感触にカヴンは目を覚ました。視界を覆う暗闇に動揺しそうになった心を深呼吸で落ち着かせ、カヴンは記憶を辿る。

 散々に暴れていたヴィジャブは唐突に動きを止めた直後、無数のミサイルを無差別に放った。それまでの攻撃とは一線を画する威力、規模、無差別性により支柱を壊された貯水槽が倒れてきたところまではカヴンの記憶にあった。

 察するに貯水槽から漏れ出した水に流されてどこか狭いところに押し込まれたのだろう、小指の爪に定着させていたわずかなレッド・ラインを使って光を付ける。

 目の前に壁、触れた感覚からして何か薄い板のような金属板の下敷きになっていると当たりを付け、カヴンは自分の身体がまだある事を確かめるように力を込めるとレッド・ラインの力を使って一息にそれを持ち上げた。

 差し込む光に眩む視界が再び視野を取り戻したとき、カヴン目の前の光景に言葉を失った。

 

 廃墟と化した街並みと、真っ二つに割れた貯水槽。

 彼女に覆い被さっていた板は酒場のカウンターが変形した物で、やはり場所自体は変わっていない。

 変わり果てた風景に愕然としつつも、カヴンの頭は確かな違和感を認識していた。

(水量が少ない……)

 この貯水槽の容量は二万トンを優に超える、満タンでないにしても昨日時点で断水アラートが出ていないのなら貯水量は確実に一万トン以上あったはずで、それが崩壊したのだから、本来なら一帯まるごと押し流されていても不思議ではない。にもかかわらず周囲の破壊状況を見るに放出された水はせいぜい千五百トン前後。

 眩む視界のなか、必死で考えを巡らせるカヴンの耳に、どこか気の抜けた声が響いた。

「ったく、まさか貯水槽がひっくり返されるとはなぁ」

 巨大なタンクの残骸、その中から現れたダン。

 その風体は先ほどまでとは大きく異なっていた。

 右肩から先を覆う真鍮の外殻、身にそうように作られたそれは、端から見れば古めかしい西洋甲冑の籠手のようにも見える。

 その造形はそこらの義体よりはるかに精緻で巧妙だ。

 そして何より異様なのは、彼のその腕に向かって流れる、重力に反した幾本もの水流であった。

「あ、あんた、その格好は」

「話は後だ、そいつもそろそろ起きるぞ」

 カヴンの話を制止してダンは下を指す、見るとそこには記憶に残る最後の姿のままで静止したヴィジャブの姿があった。

 唐突に鉄の巨人が震える。

「再起動したか? そうなりゃ完全に機械が本体だな」

「ダン……ダン、ダン、ダン!」

 跳ね起きるように身を起こし腕部の砲塔を振り上げるヴィジャブ、しかし、その銃口が向いたとき、その先にダンの姿はない。

 バイオロイド網膜が映し出す一万分の一秒の世界で、カヴンはかすかにダンの姿を捉えた。

 真鍮の右腕、その肘部から噴出されたジェット水流でヴィジャブの背後に回るダン。

 恐ろしい加速、恐ろしい制動、何より凄まじいのは、これだけの出力を持ちながら蒸気の噴出以外の点で熱探知に一切引っかからないその動力機構である。

 外に漏れない完璧な熱交換。エンジンとして究極の物がそこにあった。

 

 状況が飲み込めないヴィジャブの背後から、その巨体の膝裏に銃口を突きつけ、ダンは引き鉄を引いた。

 ほとばしる超高圧の水流が外骨格の関節を貫いた。

「思った通り間接部は屈折が間に合わねぇようだな」

 流れるように残る三肢を撃ち抜いたダン。

 一瞬で手足を落とされた鉄の巨人は、ヴィジャブの絶叫と共に崩れ落ちた。

 

 『MasterPEace(マスターピース)』工房(メーカーズ)の傑作にして現存する唯一の加圧式蒸気銃。六連装薬シリンダーはその役割を六機並列加圧機へと変え、装填方式も中折れ式単発装填銃へと姿を変える。 

「さてと、劣化ウランでどこまで耐えられるか」

 装填を終えたダンは、その銃口をドーム越しにヴィジャブの額へと突きつける。

「へへへ、無駄だ……撃ち抜けっこねぇ、関節が撃ち抜けたからってこいつが撃ち抜けるわけねぇんだ」

 うわごとのように繰り返すヴィジャブに、ダンはにやりと笑った。

 引き鉄を引いた瞬間、極限まで圧縮された水蒸気が薬室内に解放される。通常の装薬より遙かに高いエネルギーによって薬莢から押し出された弾頭は、銃身を駆け抜ける過程で融解、蒸発する。押さえを失った蒸気の奔流は、さらなる加速により大部分をプラズマ化させ、銃口からほとばしる。

 屈折装甲も対応出力が高いだけで原理はレッド・ラインと同じだ、キャパシティを超えた負荷には耐えきれず、限界を超えて破綻する。

 

 激しい閃光と轟音、それが止んだ時、残されたのは穴の開いたドームと、耳の焦げたヴィジャブだった。

 戦いの後、高揚感の余韻と静寂のむなしさがダンの胸中に満ちていく中、すっかり脱色したカヴンが足を引きずるようにして歩み寄ってくる。

「結局は水鉄砲ね」

「でも核融合炉だって点火できる」

 にやりと笑うダンに対し、カヴンの笑みは引きつっていた。