序章 はじめに
『象を撃つ』は、一九三六年にジョージ・オーウェル(本名:アーサー・エリック・ブレア)によって執筆され、ジョン・レイマンによるイギリスの文芸誌『ニュー・ライティング』に掲載されたものである。イギリス領下ビルマを舞台に、現地人に激しく憎まれ、鬱屈とした心情を抱えながらも任務を遂行するイギリス人警官の「私」(主人公)が、暴れ狂う象を否応なしに射殺するまでの顛末が描かれたこの作品には、一九二二年から一九二七年にかけて、実際にビルマで警官として勤務していたオーウェルの経験や所感が反映されている。
そうした作品にはきわめて象徴的で、また示唆に富んだ場面が登場する。以下に引用するのはその一連のシークエンスである。
「この人々は私のことを嫌っている。しかしながら手に持っているライフルのおかげで私は一時見るに値する存在になった。そして突然私は悟ったのだ、結局は象を撃たないわけにはいくまい、と。人々がそれを期待しているからにはそうしなければならない。二千人の思いが私を抗いようもなく前へと押しやるのが感じられた。手にライフルを持って一人立っていたまさにそのときであった。東洋における白人支配の虚しさ、意味のなさを、私が初めて理解したのは。そこに私はいて、銃を手にした白人の私が、丸腰の現地の人々の群れを前にして立っている。一見したところ、この場面の主役のようにも見えよう。しかし現実には、背後にいる黄色い顔たちの意思によってあちらこちらへ小突き回される、くだらない操り人形にすぎない。この瞬間に私はわかった。白人が暴君となる時、彼が破壊するのは自分自身の自由なのだ、と」(ジョージ・オーウェル著、秋元孝文訳(二〇一九)「象を撃つ」──『あなたと原爆 オーウェル評論集』頁六八―六九)
ここで問題とされているのは、白人支配の虚しさと主体の喪失である。しかしそれだけではない。ここにあるのは支配-被支配の歪曲した関係性についての思弁でもある。
支配とはある強大な権力が他を圧倒し隷属させるだけの、限定的で一方的な関係に納まるものではなく、むしろ、相互的・相補的な過程のうちに存立し、絶えず強化されるものである。ここに表れた、そうした、ある種の逆説的な思弁を、本稿では「支配の逆説」と呼び、考察の対象とする。
本稿は『象を撃つ』のテクスト、およびそれが書かれた背景と、その構造に関する社会心理学的説明から、この「支配の逆説」について考察していく。
第一章 『象を撃つ』の背景──二〇世紀前半ビルマを貫く「政治」と「個人」
「支配の逆説」についての考察を展開する前に、まず、本作の舞台であると推定される一九二〇年代のビルマにおける政治・文化的状況について見ていきたい。
オーウェルが赴任していた当時のビルマは、反イギリス感情の高まりの中にあった(川端、二〇二〇)。これはビルマが、イギリス領インドの属州として扱われていたにも関わらず、一九一九年のインド統治法による権限移譲がなされなかったことに端を発したものであり、それは大学でのストライキなどの全体的な運動から、後述する『象を撃つ』に登場する諸々の描写に表れているような個人レベルの行為までを染め上げていた、ある種の時代精神であった。
ここでは、そうした精神を規定していた「時代」の輪郭について明らかにした後、『象を撃つ』の描写から、ビルマに住み、植民地支配の体系の中に組み込まれていた「個人」について考える。
第一節 「時代」の中のビルマ
当時、コンバウン朝(一七五二―一八八五)による王権国家体制にあったビルマは、一八二四年から一八八五年までの間に発生した三度の英緬戦争(「英」はイギリスを指し「緬」はビルマを指す)の結果、イギリス領インド帝国の準州に組み入れられた。そうしてイギリス領ビルマ州として行政区画が再編されていく過程で首都はラングーン(ヤンゴン)に遷移され、マンダレーに移っていた王宮は占領された。その際、時のティーボオ王とスパヤーラッ王妃はインドのマドラスに追放されている。
このようにして成立した、植民地としてのイギリス領ビルマ州は、マンダレー占領時に地方へと拡散した王国の将兵らが主導したゲリラ戦をはじめとする抵抗運動を一八九〇年までに武力で抑え込むと、中央集権型の行政ネットワークで管理される近代国家として安定した。しかしそれは、武力による鎮圧とそれによる流血を基礎とした支配であり、その帰結として、双方の陣営はお互いに反感を抱いたままに接触することとなる。
そうした悪感情と植民地支配の安定が相互に影響し合い、二〇世紀を迎えたビルマではナショナリズムが高揚するようになる。「ビルマ国民」という、民族を根拠とする共同幻想に基づき、イギリスからの独立を最終目標とする思想である。これを主導したのは、第一次世界大戦期(一九一四―一九一八)にかけて出現したビルマ人中間層の人々であり、彼らはイギリスによって導入された近代教育制度を受けて育つ中で、地主・教員・公務員・弁護士・商工業経営者などの職業に従事し、植民地国家ビルマにとってなくてはならない存在として台頭した。彼らは、彼らよりも高い地位に就く、イギリス人やインド人、中国人などの「外国人」たちの存在にナショナリスティックな不満を抱くようになり、第一次世界大戦期の後半以降に登場し広く拡散した「民族自決」の概念の影響を受けながら、次第に政治運動へと積極的に関与するようになっていった。
一九二〇年代のビルマにおける反英感情を支えていたのはそうした背景であり、その受け皿となっていたのがまさに、ビルマ領内のイギリス人であった。そして『象を撃つ』は、まさにそうした人々の視点に立って描かれた作品だった。
第二節 ビルマの中の「個人」
『象を撃つ』はこのような記述から始まる。
「南ビルマのモールメインの町で、私はかなりの数の人間から憎まれていた。そんなことが自分の身に起こるほど重要な人物だとみなされたのは、生涯でもこの時だけだ。私はこの町の区域警官であったが、当地の反ヨーロッパ人感情は、直接どうこうしたいという目的のないケチなやり方であったとはいえ、非常に強いものであった」(ジョージ・オーウェル著、秋元孝文訳(二〇一九)「象を撃つ」──『あなたと原爆 オーウェル評論集』頁六〇)
イギリス人である「私」が感じていた憎悪の源泉には、先に確認してきたような時代背景がある。そしてそこにおける時代とは「ビルマ人である」という各々の民族性によって分かちがたく規定されるものであった。個人が歴史と、それと不可分のものとしての時代を作り、そうして形成された時代が、そこに内包する性質によってかえって個人を規定すること。その相補的な関係の中から、ビルマ人という個人は、イギリス人という個人である・あらざるをえない・あり続ける「私」へと憎悪をむき出しにするのである。
そうした憎悪のあり方を、続く『象を撃つ』の文章は詳細に記述していく。
「ヨーロッパ人の女性が一人で市場を歩こうものなら、十中八九、誰かがドレスにキンマの汁を吐き掛けた。警官ゆえに私はわかりやすい標的とされ、からかっても大丈夫そうな時にはいつだって馬鹿にされた。サッカー場ですばしっこいビルマ人が私の足をひっかけて転ばせ、審判(こちらもビルマ人)があさっての方向を見ていた時、ビルマ人の群衆たちはゾッとするほど大きな笑い声をあげたものだ。しかもこういうことが一度きりではないときている。ついにはいたるところで顔を合わせる若い男たちのニヤニヤした黄色い顔や、十分離れた場所にいるときに背後から浴びせかけられる侮辱的な野次に、ひどくイライラさせられるようになっていた。とりわけ、若い仏教僧が最悪であった。町にはそういう僧が何千人といて、これが皆、町角に立ってヨーロッパ人を嘲る以外にすることはない、といった感じなのである」(同上、頁六八―六九)
ジーン・シャープ『独裁体制から民主主義へ』によれば、ある種の独裁(支配)を打破するうえで重要なのは、民衆、とりわけ熱心な活動家ではない市井の人々の非暴力的な抵抗であるという。独裁(支配)は民衆の力によって政治的な力を獲得し、権威を保護され、人的資源(諸個人)を制御可能になる。ゆえに怠業やサボタージュなどの抵抗が意味を成すのである。『象を撃つ』において描写されるビルマ人たちの態度・行為には、そのような非暴力的な抵抗の性質がある。しかし「私」はそれを「直接どうこうしたいという目的のないケチなやり方」であると語る。ここにおいて「私」の目線は、ストライキやデモなどの全体的な運動と、市井の人々のささやかな抵抗とを区別している。そしてそうした認識はまた、ある程度までは妥当であるように思う。彼らの態度・行為は、一九二〇年代ビルマ人の、市民運動という形での政治的ダイナミズムの、その全体性に還元されえない抵抗であったと言える。先に挙げた『独裁体制から民主主義へ』の中では、抵抗状態においては戦略と連帯が何よりも重要であるとされ、先に挙げたようなビルマ人中間層の何割かは政治団体、ビルマ諸団体総評議会(GCBA)などの組織的な抵抗運動へと従事し、その身体から行為に至るまでを反イギリスのイデオロギーに染め上げたが、そうした意味での合目的性を、「私」が詳述するビルマ人から感じ取ることはできない。今まさに痛めつけられ迫害されているイギリス人としての負のバイアスがかかっているとしても、そこに書かれている事実が真であるならば、市井のビルマ人の抵抗とは、一方向に向かって伸びていく、意思の実現過程としての「歴史」に参与する形のものではないことになる。しかし歴史の本質は、そのような直線的な構造の裡にはなく、また時代の本質も、そうした形での歴史によって決定づけられるものではない。歴史・時代およびそこで問題となる「社会」とは、「諸個人間の相互依存が複雑な形をとっている」(E・Hカー(一九六二)『歴史とは何か』)ものであり、問題とすべきなのは単一の英雄や一つの共同体・組織・結社ではなく、常に、そうした関係性の方である。
第二章:『象を撃つ』の構造──「群集心理」と主体の喪失
第一節 ル・ボン『群集心理』に表れた人間像と『象を撃つ』の描写との相関
一章で見てきたような「個人」たちは、一見すると主体的に歴史を動かしていく存在ではないかのようである。戦略も連帯もない無秩序な抵抗には、歴史も、それがもつ文脈も存在せず、その点において放埓であるといえる。しかしそうした存在としての個人たちこそが、時として歴史的で決定的な事態を引き起こす。
ル・ボン(一八四一―一九三一)の著作『群衆心理』は、そうした現実のありかたを分析したものであった。一八九五年にフランスで刊行されたこれは、一八世紀後半から一九世紀前半にかけて進行した産業革命と、一八世紀末におけるフランス革命の結果誕生した近代市民社会の存在を前提としている。
近代市民社会という、自立した個人とそれを包摂する都市、および民主主義的なイデオロギーに貫かれた諸法によって成り立つ社会が優勢となりつつある時代の先にあるものを、ル・ボンは「群衆の時代」と呼んだ。そしてそのうえで「群衆」なるものの力についてこのような指摘を行った。
「群衆は、もっぱら破壊的な力をもって、あたかも衰弱した肉体や死骸の分解を早めるあの黴菌のように作用する。文明の屋台骨が虫ばまれるとき、群衆がそれを倒してしまう。群衆の役割が現われてくるのは、そのときである。かくて一時は、多数者の盲目的な力が、歴史を動かす唯一の哲理となるのである」(ギュスターヴ・ル・ボン著・桜井成夫訳(一九九三)『群衆心理』頁一九)
ここにおいて「群衆」は「多数者」であり、またその権能は「盲目的な力」と命名されている。そのうえでル・ボンは「群衆」に対置されるものとして「文明」を挙げるが、本書がフランス革命の騒乱を前提としていることを鑑みれば、これは象徴的な語用であると言うことができるだろう。「盲目的」と言う表現からも伺えるように、ここで群衆なるものは野蛮さと不可分の集合として解されているが、そこから類推すれば、群衆に対置されうるものとしての文明とは、ある種の秩序、ある種の体制であると解釈することができる。
しかしここにおける「群衆」についての説明は一時的・暫定的なものであり、その本質を指し示してはいなかった。その補足として、ル・ボンは続けて、群衆のありかたをこのように表現する。
「意識的個性の消滅、無意識的個性の優勢、暗示と感染とによる感情や観念の同一方向への転換、暗示された観念をただちに行為に移そうとする傾向、これらが、群衆中の個人の主要な特性である。群衆中の個人は、もはや彼自身ではなく、自分の意思をもって自分を導く力のなくなった一箇の自動人形となる」(同上、頁三五)
ここに引用したパラグラフの冒頭部に列挙された群衆の特徴は、どれも「個」の喪失という結果へと結びついている。それはまた、人間存在そのものが複数性の原理に拘束され「自分を導く力のなくなった一箇の自動人形」になるという結果でもある。
そしてそれは、取りも直さず『象を撃つ』における「私」が辿った結末でもある。
「そして突然私は悟ったのだ、結局は象を撃たないわけにはいくまい、と。人々がそれを期待しているからにはそうしなければならない」(ジョージ・オーウェル著、秋元孝文訳(二〇一九)「象を撃つ」──『あなたと原爆 オーウェル評論集』頁六八)
「私」はモノローグの中で、「手に持ったライフルのおかげで私は一時見るに値する存在になった」と状況を分析する。そしてここにおける「見るに値する存在」としての「私」はまた、「奇術師」のようであり、「中が空っぽの、ポーズをとるだけの人形」また「因習的人物であるご主人さま(サーヒブ)」でもあるという。
『群衆心理』は群衆の性質やその力が実現していく過程、および結果についての検討の中で、そのような構造についても触れている。
「思想にせよ、人物にせよ、すべて世界において威をふるったものは、主として、威厳という言葉で表される不可抗的な力によって、人々に押しつけられたものである。われわれはすべて、この語の意味は汲みとるが、この語は、種々に適用されるので、これを定義するのは容易ではない。
威厳には、簡単とか、畏怖のようなある感情の含まれることがある。これらの感情は、往々威厳の根底にさえなるが、しかし、威厳は、それらの感情が伴わなくても、完全に存在することができる。
(中略)
威厳は、事実、ある個人なり、ある事業なり、ある主義なりが、われわれの心に働きかける一種の魅力なのである。この魅力が、われわれのあらゆる批判能力を麻痺させて、驚嘆と尊敬の念をもって、われわれの心を満たすのである。そのときひき起こされる感情は、あらゆる感情と同様に、説明不可能ではあるが、恐らくそれは、催眠術にかかった者が受ける暗示と同じ種類のものであろう。威厳こそは、およそ支配権の最も有力な原動力である」(ギュスターヴ・ル・ボン著・桜井成夫訳(一九九三)『群衆心理』頁一六七―一六八)
ここで触れられている「威厳」について、ル・ボンは更に、それを二つに分類している。それが「後天的(人為的)威厳」と「人格的威厳」の二つであり、このうち、前者のかたちの「威厳」については「はるかに広く存在して」おり、「ある人間が、相当の地位を占めるとか、相当の資産を所有するとか、相当の肩書をおびるとかいう事実だけで、たとえその人格的価値は皆無であっても、威厳の後光に飾られる」とした。
『象を撃つ』の「私」が、ライフルを手にした瞬間にまとうことになった、群衆を導きうる権能としての「威厳」はこの前者の分類に該当する。
第二節 「私」が「私たち」になるとき、「私」が象を撃つ
前項の後半部で問題とした「威厳」はしかし、その行使者である「私」が群衆の一部と化してしまっていることからも分かるように、主体的に行使することのかなわないものであった。
その要因について、作中で「私」はこのように分析している。
「『原住民』をおののかせるために自らの人生を費やすというのが『原地民』を支配するための条件であり、そのためにあらゆる重大な場面において彼は『原地民』が期待することをしなければならないのだから。最初は仮面をつけていたはずが、次第に顔のほうが仮面に合うように変化してしまうのだ。(中略)ご主人様(サーヒブ)はご主人様(サーヒブ)らしく振る舞わねばならない」(ジョージ・オーウェル著、秋元孝文訳(二〇一九)「象を撃つ」──『あなたと原爆 オーウェル評論集』頁六九)
「原地民」が抱くと「私」が分析した、イギリス帝国がはじめに作り出した支配-被支配の単純な関係の基礎となるこの「期待」こそが、「私」や、それと同類のイギリス人を支配するという逆説が、ここにはある。続けて「私」はその、転倒した支配関係からの脱出の試みが招く結果についてこう分析する。
「手にライフルを持って、すぐうしろに二千人もの人間をぞろぞろと連れて遥々ここまでやって来ておきながら、何もしないまますごすごと帰っていく。だめだ。そんなことはできやしない。原地民たちは私のことを笑いものにするだろう。しかし私の人生、東洋に住むすべての白人の人生とは、ただただ笑われないがための果てしない努力ではないか」(同上、頁六九)
「原地民」の「期待」を裏切ることは、結果として嘲笑をまねくと「私」は分析する。それは『象を撃つ』の冒頭に示された憎悪と結びついたものであると同時に、イギリス帝国が政治的にもたらし、「私」をはじめとする個人に付加している支配の権能と、それが帯びている威厳を揺るがす力を持つものであった。『群衆心理』はそうした、威厳の崩壊の可能性についても詳らかにしている。
「威厳は、常に失敗とともに消え去る。前日には群衆が歓呼して迎えた英雄も、運命に叩きつけられるならば、翌日には同じ群衆によって辱められる。それのみならず、かつての威厳が偉大であれば偉大であるだけ、その反動も激しいであろう」(ギュスターヴ・ル・ボン著・桜井成夫訳(一九九三)『群衆心理』頁一七七)
象を撃たないということはここで言う「失敗」であり、その決定には激しい反動が予想される。「私」が予感していたのはそれであった。
『群衆心理』が明らかにした「威厳」の、支配―被支配のヒエラルキーを作り出す性質は、ここにおいて変質している。それはヒエラルキーの転倒・反転であり、そこには支配―被支配をめぐる逆説が介在している。本稿冒頭部で述べた「支配の逆説」の構造が、そこにはある。
「私」は、独立した個人として、ビルマ人の「けちな」蛮行を憎むのと同時に、イギリスによる帝国主義的な体制を憎み、またそれと同様に、象を撃つことについても嫌悪感を示していた。「私」は政治-個人の両面から、外的なもの、自身を取り囲む、個人を超越したシステムに、多層的に抗する。
しかし結果として、「私」は象を撃つことになった。個人が個人として抵抗する意思は、世界全体に影響を及ぼすことも、自己を自己として保護し、世界のうちに存立させることもかなわないものでしかなかった。支配の逆説の、歪曲した構造の内部において、個人は個人ではいられず、ゆえに「私」も「私たち」という複数形でしかありえない。『象を撃つ』の「私」を「抗いようもなく前に押しやる」ものとしての「二千人(作者注:その場に集ったビルマ人の多数性についての比喩)の思い」、およびそれを抱く者たちの眼差しは、絶えず「私」を監視し、生命そのものが根源的に持つ、他者に対する生理的な権力の中へと組み入れる。
ここに立ち現れた図式とは、ル・ボンが明らかにした「群衆」が生成される過程についてのモデルケースであると言うことができる。そしてここにおいて、その暴力性の本質は支配-被支配のヒエラルキーを転倒させ、権力なるものが相互に影響し合い、その強度を絶え間なく高め続ける部分にある。イギリス人警官としての「私」は、内心では嫌悪感を覚えつつも、イギリス帝国が命じるままに職務を遂行し、その政治的な権力性、官僚的な権力性をビルマ人に押し付ける一方で、ビルマ人の側から、「ご主人さま」としての振る舞いに対する期待という、アイデンティティーやモード、意思決定に介入する形の権力を押し付けられる主体でもある。
そしてそうした、主体と客体、加害と被害が転倒する歪曲した構造から抜け出ることは「私」がそうであったように困難を極める。ここの図式に従えば、イギリス帝国の命令を無視しようとすればビルマ人たちの「期待」によって軌道を修正されるが、ビルマ人たちの期待を裏切ろうとすれば、イギリス帝国の権力によって押しとどめられてしまう。そして「イギリス人」というナショナル・アイデンティティーやそれに付随する自己認識、警官としての自認、およびそれに付随する職業倫理が、メタ的にそうした相補 的な関係性を強化してしまう。
無論、個人がそうであるからといって、植民地支配の暴力性・残虐性が正当化されるわけではない。それが打倒されなければならない悪であることは間違いない。しかしここにおけるヒエラルキーの転倒は、そうした打倒の可能性を秘めてはいなかった。むしろそれは、支配構造をより強固にしてしまうはたらきを持って、絶えず個人を束縛し続けていた。ここにおける群衆は、政治的な実現とは無縁である。ル・ボンが指摘したように、群衆は、それ単体では政治的なイデオロギーを持たない。
「支配の逆説」は、そのような支配そのものの存立を強化するはたらきをもって、ある支配が実現されていく状況を覆っている。
終章 おわりに
本稿ではジョージ・オーウェル『象を撃つ』から、「支配の逆説」と題した、転倒した支配構造について見てきた。
ここではまず、それが舞台としていた一九二〇年代のビルマを取り囲む時代や政治状況、およびそこに生きる人々についての前提を確認し、『象を撃つ』の描写と照らし合わせることで、本文の社会的文脈を提示した。
その後、ル・ボン『群衆心理』から、『象を撃つ』の主人公である「私」が象を射殺するに至るまでの過程のうちに立ち現れた、人の群れが個人にもたらす権力のあり方を考察し、改めて本文における「私」が主体性を喪失していく過程について検討した。
ビルマをはじめとする旧植民地としての東南アジア諸国は、21世紀の現在においてはほぼすべて独立を達成し、西欧の直接的な支配からは脱しているかに見える。しかし今なお、その社会には旧宗主国の痕跡が残り続けており、それと連動する形で、そこに住む人々は政治的・文化的な問題と向き合わざるをえなくなっている。
1936年にイギリスで刊行された『象を撃つ』から読み取ることのできる「支配の逆説」という主題は、そうした命題について考えるうえで、今なお有効であり続けている。
参考文献
秋田茂(二〇一二)『イギリス帝国の歴史 アジアから考える』(中公新書)
開高健(二〇一三)「談話・一九八四年・オーウェル」(ちくま文庫『動物農場 付「G・オーウェルをめぐって」』所収)
川端康雄(二〇二〇)『ジョージ・オーウェル──「人間らしさ」への讃歌』(岩波新書)
ジョージ・オーウェル著・秋元孝文訳(二〇一九)『あなたと原爆 オーウェル評論集』(光文社古典新訳文庫)
ジーン・シャープ著・瀧口範子訳(二〇一二)『独裁体制から民主主義へ』(ちくま学芸文庫)
根本敬(二〇一〇)『抵抗と協力のはざま 近代ビルマ史のなかのイギリスと日本』(岩波書店)
E・Hカー著・清水幾多郎訳(一九六二)『歴史とは何か』(岩波新書)