何故、私は書くのだろうか。ここまで来て、ふとそう思い至った。今までは、自分から湧き出てきた言葉や、イメージをそのまま言葉にしてきた。自分の経験をそのまま言葉にしてきた。そうやって、書いてきた。
この話は何が伝えたいんだ、そう問われたとき、私にはその答えが分からなかった。何か多様な意味が存在しているようにも、何も意味なんて存在していないかのようにも感じられた。だから、私は自分では、何も言えなかった。自分が書いたものは、自分だけでは完成させることができなかった。
だからこそ、一度踏みとどまって、考えてみることにした。何故、書くのか。
私は、世界をただ綴りたいのか、はたまた美しい世界を創造したいのか。何故そう考えるのか。
友人たちや、海や木々と言った自然を観ていると、世界はなんて美しんだと、ため息が漏れ出る。だが、他人や、それが作り出す社会を観ていると、なんと醜いものかと、唾を吐き捨てたくなる。
新しい世界を自分で創ってみると言ってもね、何もかもが新しいってわけじゃないんだ。そんなことは到底出来っこないんだからね。もし、そんなことできたしても、そこに私が求めるものは、ありはしないしね。
右往左往、色々考えてみれば、私はきっとこの世界を私から見て、より良い姿にしたいから書くんじゃないかなと思った。嗚呼、きっとそうだろうね。でも、それはきっと、誰かからすれば全然良いことじゃなくて、余計なお節介だと思う。それは当たり前のことだ。
私のエゴも、その誰かのエゴも、この世界に共にあって、ただ交わっていないだけなんだ。でももし、誰かは何もしないで、私は書いているとすれば、私の書いたものを読んでくれた誰かは、もしかすると私に寄り添って、交わってくれるかもしれない。その誰かの為に、私は書くんだ。
私は私の為に、そして誰かのために、今もこうして書いているんだ。
責任は、どうして生まれるのだろう。あれもこれも、どれもそれも、空虚なものだ。互いに押し付けあって、互いに奪い合って、必死になって、だから見えなくなってしまう。惑わされてしまう。あなた自身を、その空虚は隠してしまう。
あなたは、あなたの本当にしたいことをすればいい。
おや、そんな無責任なことを言うんじゃないと聞こえてきたね。いけないよ、そうじゃないんだ。
無責任だなんて、そんな言葉の中に意味はないんだから。言い訳して、逃げちゃいけないよ。
なんだか、ずっと抽象的になってしまったね。でも、私が今書きたいのはそんな抽象的な事なんだ。
あなたが本当にしたいことを邪魔しているのは、あなた自身ではない、決してそうではないよ。邪魔をしているのは、空虚な社会や、それが作り出してた嘘っぱちな空気だと私は思う。金が、時間が、あれやこれやがない、そんなことを気にしていちゃいけない。もしそうなってしまえば、気づいた時には雁字搦めになって、身動き一つとれなくなっちまうよ。
一度、自分自身と向き合ってみて欲しい。親とか、他人とか、社会とか、そういったものは一度、エポケーでもしてみてね。エポケーの使い方がちょっと違うが、そこは許してね。
まあ何が言いたいかって、自由を阻害されちゃいけないってことだ。あなたの自由はあなただけのものだから、それを犯そうとするものは、決して許してはいけない。正義や悪でものを語ることができれば楽ではあるが、世界はそう単純じゃない。複雑な中で、隠れてしまったあなたの自由は、だが決して消えたわけじゃない。
だから私は、あなたたちのため、そしてあなたたちの自由のために、こうして書いている。