月下香の開花

長編/藍田理

 

 夕方にスマホから鳴り響くニワトリの鳴き声。

 まだ閉じたままで暗闇しか映らなかった目がオレンジ色を感じ取った。目は開けたくないので、腕を横に伸ばして手探りでスマホを探す。ベッドのシーツを撫でるようにして腕をスライドさせると、指にスマホが一瞬触れて、ベッドの下の方でガタンと音がした。

「あっ……クッソ」

ひとり言はニワトリの鳴き声にかき消されるほど小さなものだった。

 寝起きで鉛のように重たい身体に力を入れて起き上がり、上半身だけを動かしてスマホを拾った。画面上を指でなぞって、うるさいニワトリを黙らせ、画面にヒビが入っていないかを確認する。画面が無傷であることに安心しつつ、何となく部屋を見渡す。

 太陽が沈みかけ、窓からは茜色の光がカーテン越しにうっすらと透けて見え、部屋を染めている。

 昼には起きられるようにとアラームを設定していたはずだが、どうやらニワトリはかなり前から鳴き続けていたらしい。朝までずっと起きていたのだから、いっそのこと仮眠を取らなければ良かったのかもしれない。まずい、遅刻してしまう。今日から夜間部の学校に通うことになったのだ。転校して初日に遅刻は避けたい。「支度をしなければ」とは思っていながらも、考えだけが浮かぶばかりで、身体は頭の中のように、スムーズには動いてくれないようだ。のそのそと気だるげにベッドから降りて部屋着を脱ぎ捨て、Tシャツにパーカー、ジーンズという無難な組み合わせの服を選ぶ。とはいっても、同じようなシルエットの服しか持っていないので、選んでいるというのはなんだか違う気がする。

 パーカーをはおり、玄関のドアを開けて家を出ると、ほぼ寝起きで明るさに慣れていない状態の目を刺激するほどの赤い光が視界に飛び込んできた。まぶしさで反射的に目を細め、入ってくる光を最低限にとどめながらアパートに背を向けた。

 

***

 

 若干早歩きをしたおかげで、なんとか夕方の内に学校まで到着できた。校門にたどり着くと、昼間部所属の生徒が数人で集まって下校している様子が見えた。校門前でスマホをいじっている生徒、全力疾走で下校する男子生徒たちがこちらに向かって来て、真横を通り過ぎて行く。生徒たちが自分から離れて行くのを無意識に、じっと目で追っていると誰かに声をかけられた。

「おはよう。久しぶりだね」

 声がした方に顔を向けると、1人の男がゆっくりと歩いて、こちらに近づいて来た。入学前に面談をした先生だ。今の時間は「おはよう」に当てはまるといえるのだろうか、という疑問はひとまず置いておいて、軽い会釈と挨拶をした。

「……おはようございます……先生」

 名前が思い出せず、少しの沈黙を挟んで挨拶を返すと、そのことを察した先生は苦笑交じりに答えた。

「ホマレ先生ってよく言われてるよ。けど、名前は別に覚えなくても大丈夫だから、気にしないで。念のため聞いておくけど、名前は姓がツキモト、名がコウ、であってるよね?」

「あってます」

「よし。じゃあこれ、学生証ね。それじゃ、さっそく教室に行こうか」

 そう言って歩き出す先生の背中を追って歩き出した。

 

***

 

 廊下の窓に目をやると、赤い空がくすんで、外の景色は薄暗くなっている。別の学校の昼間部に所属していたときは、家で深夜になるまで死んだように眠っている頃だ。     

深夜になってからは、人が恋しくなるというか、眠ることに集中できず、ついつい出歩いてしまう。恋しくなるとはいっても、誰かと遊ぶということはないのだが。学校で見飽きているはずなのに何となく、人が動いている様子を眺めていたいという衝動に駆られる。それには自分の目に原因がある。生き物の心臓部分が透けたように見えるのだ。学校では、そんな自分の視界が気持ち悪くて仕方がなかったはずなのに深夜になると、視界に映る世界が気になって眠れない自分がいる。

深夜に出歩いて補導されないのかという疑問が浮かぶだろうが、人気の少ない路地や陰になりやすい場所をメインに散歩していたおかげか、警察に補導されることは全くなかった。その徘徊癖のせいで、寝る時間も確保できず、ほぼオール状態で学校に行っていたことを思い出す。面談では先生が、「そんな状態でよく1人暮らしができたよね」と言っていたのを覚えている。確かに、ここまでよく生き延びられたなと自分でも思っている。あのまま昼間部に所属し続けていたら、睡眠不足で死んでいてもおかしくはないだろう。先生の提案を受け入れて正解だったのかもしれない。

 後ろであれこれ思い返していると、先生は教室の引き戸の前で立ち止まり、初めてこちらを振り返った。

「今日は比較的親しみやすい子たちが出席してるから問題ないとは思うけど、何か困ったことがあれば相談してね」

先生は自分がクラスに馴染めるかどうかを心配しているようだ。確かに、悪目立ちせず、うまくやっていけるか不安だというのもあるが他にも、もう1つ疑問がある。

「ありがとうございます。……あと先生、課外授業って何をするんですか?」

 座学授業の後には課外授業が行われると面談で聞いたが、詳しい内容はまだ知らない。そこでは自分の視界や徘徊癖をコントロールできる方法が見つかるかもしれないと言われたが、本当にそんなことができるのだろうか。

「ああ、詳しくは座学授業が終わってから説明するよ。……大丈夫! 普段通りにやればいいから。それじゃ、ようこそ夜間部の教室へ」

 そう言って先生は自分の背中を押しながら、教室の引き戸を開けた。

教室の中には4人の男女が1つに集まって雑談をしているところだった。教室の中へ一歩踏み出した瞬間、全員の視線がいっせいにこちらへ向けられた。

こちらの視界にも4人分の心臓がはっきりと映し出される。相変わらず気持ちが悪い。

1人の女子生徒は、いきなり見知らぬ生徒が入ってきたせいか、肩をびくつかせている。

もう1人の男子生徒は「誰だ」と言わんばかりに眉をひそめていた。

そして、最後に男女2人の生徒なのだが、おかしな状態でこちらを見ている。どの辺りがというと、男子生徒が米俵のようにして女子生徒を肩に担いでいるところだろう。常に心臓にしかいかなかった目が、初めて人の全体を捉えたような気がした。どう反応していいのか戸惑っていると、肩に担がれている女子生徒が教室の沈黙を一番に破った。

「あ、こんにちはぁ。転校生ってあなたのことぉ?」

 ふらふらとした不安定な口調で米俵状態の女子生徒が尋ねる。担いでいる男子生徒の方は黙ってこちらの様子をうかがっているようだ。

「……多分そうです。ツキモトコウです。これからよろしくお願いします」

 そう言いながら軽く会釈をした。

「よろしくねぇ。私はキイロって言うのぉ。あなたもキイロって呼んでねぇ。ほらぁ、シノブもちゃんとあいさつしないとぉ」

 そう言いながらキイロは、横にあるシノブの頭をぽんぽんと軽くたたいた。

「おいやめろ。……タチバナシノブ。呼び方は言いやすい方でいい。よろしく。……ほら、お前らも言っとけよ。顔と名前一致させとかないと動けないだろ」

 シノブは残りの名乗っていない2人にも自己紹介をするように促した。

 すると、教室に入って来たときに肩を震わせていた女子生徒が慌てたように話し出す。

「ヨツズミ、ヨツズミカリンです……好きに呼んでください。よろしくお願いします」

 彼女に続いて、彼女の隣に立っている目つきが悪めの男子生徒も口を開いた。

「シライセンヤ。呼び方は何でもいい。よろしくな」

 彼の顔を見ると、どうしても「よろしく」の雰囲気ではない。言葉には表れていないが、明らかに不機嫌な表情をしている。何か気に食わないことがあるのだろうか。とはいえ、直接「どうして怒っているのか」と聞く勇気もないので、とりあえず無言で会釈をしておいた。

「自己紹介は済んだし、さっそく授業始めよっか。じゃ、席についてね。ツキモト、空いてる席ならどこでも座れるから、好きに座って」

 自分の後ろに引っ込んでいた先生はそう言いながら、教壇の方へ向かって歩いて行った。

「はぁい。ほらシノブ、動いてぇ」

「分かったから、たたくのをやめろ。落とすぞ」

2人の会話を合図に残りの2人も席につき、立っているのは先生を除いて自分だけになった。一番前の列が綺麗にすべて空いていたので、先生の真正面の席に座ることにした。これなら先生のみが目に映るだけなので集中できるだろう。カツカツと黒板とチョークが触れる音に耳を傾けながらノートを開いた。

 

***

 

 授業はあっという間に終わり、課外授業前の休み時間に入った。

昼間部よりも拘束される時間が短いおかげで目が疲れない。そして何より、居心地がいい。ここには多分、変わり者しかいないのだろう。そんな感じがする。だからこそ、自分自身の異質さが薄れているのだと思う。ここなら、自分は普通に見えるのだろうか。椅子の背もたれに身を預けて、ふぅっと息を吐きだした。その直後、教室の戸がガラッと音をたてて開き、先生がブックファイルを片手に入って来た。

「お疲れ様。課外授業始まるから現地に向かってね。ツキモトは詳しく説明した後で先生と一緒に出発するから、みんなは先に出発しといて。あと、シライはこれ、現地の地図ね」

 カリンと雑談をしていたセンヤが教壇上にいる先生の方へ歩いて来た。

「了解っす」

 先生がブックファイルからA4サイズの用紙をセンヤに手渡すと、それを合図にキイロとシノブが出発の準備を始めた。

「はぁい。行ってきまぁす」

「動くのは俺だけどな」

「もぉ、そんなこと言わないでぇ。コウちゃんも、またあとでねぇ」

 シノブは椅子に座ってこちらに手を振っているキイロを肩に担いで、教室を出ていった。

椅子に座るときは米俵ではないのか。

「行ってきます……」

 そう言ってカリンは、何も言わずに出ていくセンヤのあとを小走りで追いかけて行った。

教室には自分と先生の2人しかいない状態になり、しんと静まり返っている。その静けさを破るように、先生が口を開いた。

「で、夜間部はどう? 居心地よかったんじゃない?」

 先生が自分の隣の席に腰掛けて、目線を合わせるように前かがみの姿勢になった。

「授業は短くて目は疲れないし、居心地も昼間部より圧倒的にいいです。夜眠れないこともなさそうです」

「だろうねぇ。面談で聞いた壊滅的な生活習慣が改善できそうでよかったよ。あの4人以外にもクラスメイトはいるから、会ったら仲良くしてね。……それじゃあ早速、課外授業について説明しようかな。まず、ウチの学校の夜間部はね、警察とつながってるんだ。警察じゃ対処できない依頼を課外活動って名目でこなしてる。夜間部は“ちょっと変わった子たち”で構成されてて、その子たちの力を借りて、警察は問題を解決してるって感じだね。依頼内容は毎回変わるけど討伐、偵察、警備の協力とかがメインで、メンバーは適性で選ばれる子と、その日に出席した子で組むことになってる」

「だから、自分に声をかけたんですね」

 ここまで聞いて、「ヤバい学校だな」と思う人は正常だろう。だが、自分は正常な方ではないので、驚きもしなかった。むしろ、自分が何故ここを居心地がいいと感じられるのかが分かって納得している。「変わった子たち」というのは「ヤバい学校」であることを考えるとおそらく、自分のようにおかしな能力を持っているという意味だろう。

「確かにツキモトの力は依頼に役立つとは思ったよ。でも、初めて会ったとき困ってたでしょ? 課外授業で慣らすことができるかもって思ったんだ。でも、当然危険だから参加は任意。座学授業を受けてそのまま帰るのもオーケー。決めるのはツキモトだよ」

 確かに、現在進行形で困ってはいる。先生と初めて会ったとき、先生から目が離せなくなったことがあった。身体が頭の言うことを聞かなくなり、身体の動くままに尾行してしまったのだ。その結果、近づき過ぎたせいで気付かれた挙句、軽く投げ飛ばされた。正直、これ以上目のせいで振り回されたくはないし、後にも引けない。

「……参加します。けど、何を討伐、偵察するんですか?」

「警察と夜間部ではガラクタって言ってるよ。文字通り使えない、どうしようもないゴミだよ。でも普通のゴミじゃなくて、人の形をしてるんだよ。不気味だよね……何でできているのか、何故そこにあるのか全く分からない存在のことだよ。ちなみに、今日はそれの討伐が仕事」

 先生の説明に少し引っかかる部分があった。ゴミという物体に対して、「討伐」と言うのはどういうことだろうか。

「ガラクタっていうのはモノなんですよね? 自分の力、生き物にしか反応しないですよ」

 自分の目は生き物限定で急所とも言える心臓が見える。物体は当然見えない。そのことは面談で先生にも伝えていた。

 しかし、先生はその問いかけを気にせず話し続けた。

「前までは全く動かなかったんだよ。でも稀に襲い掛かって来るのもいるみたいでね、最近増えてきたらしいんだ。動かないのも動くのも両方、警察の手には負えないみたいでさ。だから、ツキモトにはガラクタに心臓があるかどうかを見てほしい。それで戦えるなら、討伐にも協力してほしいと思ってる」

 意思があって動くのであれば生き物なのかもしれない。どの道、参加することには変わりないので、特に悩むこともなく承諾した。

「大丈夫です。戦います」

「お、悩まないんだね。まぁ、初めて会ったとき先生は気付いたけど徘徊するとき、普段は人に気づかれないでしょ? あと投げ飛ばしたとき、ちゃんと受け身取ってたし大丈夫そうだね。……分かった。じゃあ行こうか。現地まで送るよ」

 そう言って席を立つ先生の後を追って課外授業へと出発した。

 

***

 

 車を走らせて数十分、ビルが立ち並ぶ街に到着した。先生が安全運転過ぎたせいか、今はかなり眠い。気晴らしに車の窓から外を見ると、街の一角が「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた看板で囲まれているのが見えた。さらにその近くを数人の警察官が見張っている。おそらく、あの先が先生の言う現地なのだろう。

 車に乗っている間、一切話しかけてこなかった先生がようやく助手席に座っている自分を見て半笑いで声をかけてきた。

「あははっ、眠いの? もう着くから寝ちゃだめだよ」

「……車で走ってる間、なんか喋っててくださいよ……」

「無茶言うなぁ……運転するの緊張するんだよ。荒い運転で乗り物酔いさせなかっただけ褒めて欲しいんだけどな」

 確かに乗り心地が悪いよりはいい方が助かるのは事実だ。しかし、瞼はまだ重いままだ。眠気覚まし用の目薬は生憎切らしている。まだ到着しないのか。なんとか抗っても半分まで閉じかかっていた瞼を完全に閉じようとしたとき、車のブレーキがかかった感覚がして身体が少し前後に揺れた。

「到着。降りるよ」

 軽く肩をたたかれて、その衝撃でしっかりと目が覚めた。先生はシートベルトを外してドアに手をかけていた。それに続いて自分も車を降りる。

 車を降りてすぐに、先生はスマホを取り出して誰かに電話をし始めた。

「もしもし、到着したから現地戻るついでに迎えに来てあげて欲しいんだけど……うん、分かった。じゃあ、よろしくね」

 通話を切った後、そのまま歩き出す先生の背中を追って自分も歩き出した。立ち入り禁止の看板の先へ行っても見張りの警察官に止められることはなかった。夜間部と警察がつながっていると言うのは本当らしい。

 辺りをキョロキョロと見回していると、自分の前を歩いていた先生が突然立ち止まった。

「どうしたんですか、急に止まって」

「ここでシライと合流するんだよ。先生は現地には行けないから、この先はシライが案内してくれるよ」

 あの電話の相手はセンヤだったのか。初めて顔を合わせたときは不機嫌な顔をされていたが、大丈夫だろうか。

「なんか……シライ君に嫌われてるっぽいんですけど、何が原因かとか先生分かりませんか?」

「えっ、なんで。なんか言われたの?」

「いや、心当たりは無いですけど、なんか不機嫌そうな顔してたし」

 それを聞いて先生はフッと吹き出した後、肩を震わせながら静かに笑い出した。

「それよく他の生徒にも相談されるんだけどさ、シライはただ目つきが悪いだけで、ツキモトに対して不満に思ってることは何も無いと思うよ。むしろ、転校生が来るって知ったときは興味津々だったし、クラスの中で一番面倒見がいいタイプだし、いい子なんだよ。本っ当に、目つきが悪いだけなんだよね」

「……そうっすよ。ただ目つきが悪いだけなんで、これが真顔みたいなもんなんだよ」

 先生のいじりに対して、後ろの方からぶっきらぼうに答える声が聞こえた。振り返ると、片手にビニール袋をさげたセンヤがこちらに近づいて来ていた。

「買い出しお疲れ様。ほら、初めは緊張してたから固まってたけど、今はだいぶ表情柔らかくなってるでしょ?」

 先生がセンヤの方を示しながら自分の方を見て尋ねてきた。

 確かに初対面のときと比べると、なんとなくではあるが厳しさが薄れてとっつきやすい印象になっている気がする。    

じっと顔面を見つめてくることに気まずさを覚えたのか、センヤは目線を少し下げた。

「困らせることしないでやってくださいよ。じゃ、もう行きますんで。ツキモト、離れんなよ」

「気を付けて、いってらっしゃい」

 自分たちを送り出す先生に軽く会釈をした後、背を向けて歩き出すセンヤを追いかけて歩き出した。

 

***

 

先生と別れてしばらく歩いた先にビルが見えた。劣化具合を見ると、今は使われていないのは明らかだった。

「ガラクタが集まってんのはこのビルの中だけだった。入り口はこの正面だけだ。ここを中心に街の一角を広めに囲んでもらってる。討伐はできる限りビルの中でやってくれ。外に逃げた奴はキイロとシノブのペアが対処する」

「先生からは襲って来るって聞いたんですけど、逃げる奴もいるんですか?」

「なんでかは知らねえけど、夜間部には襲って来ねえんだ。討伐では逃げる奴しかいねえ。……敬語やめろ、タメ口でいい」

「……分かった」

 「おう。んで、ここからはガラクタの急所らしきモンは見えるか? 壁をすり抜けて急所が見えるって先生からは聞いてっけど」

 ビルが目に入った瞬間から、見えているには見えているのだが、それは心臓ではなく、黒い渦のように見える。こんなものは初めて見た。

「ビルの中に何かがいるっていうのは見えてるけど、心臓かと言われると違う気がする。センヤには黒い渦、見えてる?」

「ほんとに見えんだな。俺にはなんも見えねえ」

 自分だけにしか見えていないということは、目に映るものが心臓ではなくてもアレは生き物で間違いないのだろう。黒い渦は1つのフロアに密集しているらしい。複数の渦が集まって、わらわらとうごめいているのが見える。集合体恐怖症の人間にはキツイかもしれない。一旦、ビルから目を離そうとセンヤの方を見ると、彼の背後に小さい人影が見えた。一瞬ガラクタかと思ったが、しっかりと心臓が見える。よく見ると人影の正体はカリンだった。だが、センヤは彼女の存在に気づいていないようなので、声をかけた。

「センヤ、後ろに……」

「なんだよ。……っ!?」

 振り向いたセンヤがようやくカリンに気づいて、驚きのあまり息をのんだのが分かった。自分はセンヤと向かい合うように立っていたので気付けたが、気配も足音もなかったのでセンヤが気づかないのも無理はない。今のが彼女の能力なのだろうか。

「あっ……! ごめんなさい。息、止めちゃってました……偵察が終わったので、とりあえず戻って来ました」

 驚いて一歩後ずさったセンヤを見て、カリンは勢い良く頭を下げた。

 後ろに立っていたのがカリンだったことに気づいたセンヤは気が抜けたのか、その場でしゃがみこんだ。

「お前なぁ……俺の能力じゃステルス状態のお前は感知できねえんだから勘弁してくれよ……」

 今の出来事には本当に驚いたらしい。

「お化け屋敷とか意外と苦手?」

今もしゃがみこんでいるままのセンヤを見下ろして尋ねた。

「そうだよ、悪いか」

 ばつが悪そうに頭をかきながらセンヤが答えた。

「ヨツズミは好きです」

自分と同じくセンヤを見下ろしてカリンが答えた。

「マジで信じらんねぇ……」

しばらく、しゃがみこむセンヤを囲むようにして見下ろしていると、「ずるぅい!」と聞き覚えのある口調が耳に入った。

「もぉ! 仲間はずれにしないでぇ。屋上で集合ってセンヤ君が言ってたのにぃ、遅ぉい!」

「だいぶ時間押してるぞ」

初めて会ったときと同じように米俵状態のキイロとシノブが近づいて来た。2人は廃ビルの向かい側から出て来たようだ。シノブの片手には鉄杭のようなものが1つ握られていた。

「これ、お前用の武器にって先生が」

 キイロを抱えながらこちらに近づいて来たシノブは持っていた鉄杭を渡してきた。

 受け取ると鉄のひんやりとした感触が手のひらに伝わる。これから得体の知れない敵を討伐するというのに緊張はまったく無く、心は何故か落ち着いていた。武器を持つ手にもためらいは無かった。むしろ、どこか懐かしさすら覚えるほどだ。

「コウちゃん、頑張ってねぇ。3人が楽しそうにしてるの屋上からちゃんと見えてたよぉ。終わったら私とも一緒に遊ぼうねぇ」

 何故「楽しそうに話している姿がはっきり」屋上から見えたのだろうか。キイロたちが出て来たビルはかなりの高さだ。人の姿は豆粒程のサイズに見えるはずだが、そうならないということは彼女の能力がそうさせているのだろう。

そう思いながら、こちらの頬をふにふにと揉んでくるキイロにされるがままになっていると、シノブが一歩距離を置いてキイロの手を引き離した。

「時間が押してるって言っただろ。そろそろ放してやれ」

 気を利かせてくれたことに感謝して、廃ビルの入り口の前に立った。

「俺は向かい側のビルの屋上でキイロ、シノブと待機、ヨツズミとツキモトはビルに入って会議室と外で別行動」

 センヤが計画のまとめを説明し始めた。それを合図に、今まで和気あいあいとしたメンバー全員の雰囲気が引き締まったのを感じた。

「今日はステルス戦闘がメインだから光は使わないことが前提条件。ヨツズミは会議室の外に逃げたガラクタの討伐、ツキモトは渦が見える場所に突っ込め。逃がしてもそいつは追うな。外はヨツズミとシノブたちが対処するから、お前は外に出るガラクタの数を減らすために動け。室内の討伐が終わったら、これでメンバーに伝達しろよ。安否確認も含めて絶対に忘れんな。」

そう言って手渡されたのは耳に取り付けるタイプのトランシーバーだった。

「分かった」

改めて自分の手に馴染んできた鉄杭を握り直す。

いつの間にか自分の隣に移動していたカリンは、彼女の武器と思われる短刀を鞘から抜いて戦闘の準備をしていた。こちらの視線に気がついたのか、カリンは「よろしくお願いします」と小さく呟いて会釈をしてきた。

「あとツキモト、これ持っていけ」

 ビルに入ろうとする自分にセンヤに何かを渡された。手元を見ると目薬だった。清涼感は最高レベルのスーパークールと書いてある。

「先生に頼まれたんだよ。眠気覚ましに必要なんだろ?」

「……ありがとう。行ってくる」

 もらった目薬をパーカーのポケットに入れて、入り口で待っているカリンと共にビルの中へ足を踏み入れた。

 

***

 

 ビルの中は真っ暗で、カリンが持っている懐中電灯だけが進行方向を照らしている。ガラクタの渦は上の方に小さく見えていることを考えると、3階辺りに固まっているのだろう。2人で静かに階段を上る。

「ガラクタも光を感知できるみたいなので、討伐のときは使えないですけど、階段は危ないのでつけますね」

「了解」

「2階です。近くにガラクタはいませんか?」

「このフロアにはいない。多分次のフロアに大量にいると思う」

「ありがとうございます。……ツキモトさんが現地にいてくれて助かります……普段は私だけが現地に偵察をしに行くので、結構時間がかかりますから。私の息も長くは持たないですし」

「息って?」

 そういえば、センヤの後ろに立っていたときも「息を止めていた」と言っていた気がする。

「息を止めている間、姿を消すことができるんです。ステルス状態って言われてます。監視カメラ、鏡とかにも姿は映らなくなります。課外授業ではそれを使っての偵察がメインですけど、討伐のお手伝いもしてます。私だけのときもありますけど、大抵は2人1組で行動させてもらってます。屋内での戦闘が得意な子がいるんですけど、今日は調子が悪くなってしまって欠席みたいです」

 だから自分とペアを組んだのか。しかし、能力面から複数戦闘には向いていないだろう。ガラクタを大量に逃がしてしまうとカリンの負担が大きくなってしまう。

「できる限り、会議室内で仕留めるようにする」

 その言葉を聞いたカリンは少し困惑した様子を見せたが、眉をひそめて微笑みながら「助かります」とこぼした。

 

***

 

 徐々に渦に近づいてきている。この階段の先がガラクタのいるフロアのはずだ。最後の1段を上り終えて、改めて辺りを見回す。

「どうですか?」

「このフロア以外にはいない。全部、ここの会議室に集まってる」

外から見ても、ここから見ても黒い渦が密集していて気持ちが悪い。外からでは見えなかったが、よく見ると渦は同じタイミングで左右にゆらゆらと揺れているようだった。先生が「不気味だ」と言う理由が少し分かった気がする。

「私は外で逃げて来たガラクタを討伐します。できれば逃げられたとき、報告してほしいです」

「了解」

 2人でガラクタが集まっている会議室の入り口まで行き、目を合わせる。そっとドアを開けて、自分だけが中に入る。

会議室の中には満員電車を思わせるような密度で灰色の人型が力なく突っ立っていた。その胸には握りこぶし程の黒い渦がある。ちょうど人間の心臓にあたる部分にそれはあった。

果たしてすぐ倒れてくれるだろうか。仕掛ける前に目薬を差す。眼球全体が冷たく覆われている感覚が心地いい。目を開け、鉄杭を握りしめて、近くにある黒い渦を杭で突き刺した。人型は一瞬もがく素振りを見せた後、あっけなく崩れていった。人型だったものは泥のような液体になって地面を汚している。

「っはぁ……っ」

 ほんの一瞬止めていた息を大きく吐き出す。周りの人型はまだ気づいていないようだ。耳鳴りがする。数秒間、地面を眺めていると不意に懐かしさを覚えた。

「危険」、その単語が自分の頭をよぎった。何故だろう。どこかで同じような気分になった記憶がある。それはいつだろうか。頭ではそんなことを考えながら、身体はガラクタを次々と泥にしていく。

何故、こんなにも身体が軽いのだろうか。何故、持ったこともない武器をためらいなく人型に突き刺せているのだろうか。嫌だ。何故、杭が人型に突き刺さる感覚がこんなにも心地いいのだろうか。気持ち悪い。徐々に頭と身体が別物になったような感覚に襲われる。

地面に這いつくばって、もがいているガラクタを押さえつけて渦に杭を突き刺す。

「ふぅー……っ」

 心を落ち着けようと細く息を吐き出すが、身体は休むことなく動き出そうとしている。いつの間にか自分の周りが騒がしくなっていることに気づいた。顔を上げると、残りの人型が自分から逃げるように距離をとっていた。ドアは閉まったままなので、1体も外には出ていないようだ。この身体ではカリンとの共闘は無理だろうと直感的に判断し、ドアに近づいて鍵をかける。再び杭を構えて動きが少ないガラクタに狙いを定めて地面を蹴った。人型を壁に押さえ杭を突き刺し、ドアに向かう奴に足をかけ地面に転がし、淡々と泥に変えていった。耳元からセンヤの声が聞こえた気がするが、その声に応えようとしても喉の奥から出てくるのは自分のものだとは思いたくない程の乾いた笑い声だけだった。

 

***

 

「っは……っはっ……はぁーっ」

静寂に包まれる会議室に自分の荒い呼吸だけが響いている。1体も外に出すことなく討伐を終えた。まだ頭と身体は切り離されたままだった。見えたらまた身体が動いてしまいそうだ。

「討伐完了……っ」

 トランシーバーを手で押さえて、待機しているセンヤに伝達する。トランシーバーの向こうは砂嵐のような音がする。戦っている最中に壊れたのだろうか。

「ツキモトさん! 大丈夫ですか……ツキモトさん!」

 ドア越しにカリンが必死に呼びかける声が聞こえる。心臓が見えている。ドアの前に立っているのだろう。無理やり開けようとしているのか、ドアノブがガチャガチャと音をたてて揺れている。

ダメだ、見たくない。またか。力なく座り込んでいる身体が亡霊のようにゆらりと起き上がり、ドアに近づく。手には杭が握られていて、もう片方の手でドアを開けようと鍵に手をかけている。

「カリンっ……! 逃げて」

 そう言ったのと同時にドアを勢い良く開けて杭を振りかざした。直後、腹部に衝撃が走り、その衝撃でバランスを崩して横向きに倒れた。何が起こったのかよく分からないが、助かった。衝撃のおかげか、身体が勝手に動かない。頭と身体が一体化できたようだ。

「大丈夫かよ、戦闘狂」

「センヤ……」

 カリンの隣にはスタンガンらしきものを持ったセンヤが立っていた。さっきの衝撃はおそらくそれだろう。

「助かった。ありがとう」

 センヤが来ていなかったらカリンを殺していたかもしれない。

「カリンも、ごめん」

「大丈夫ですよ。でも……心配しました」

「おら、立て。帰んぞ」

 自分の腕をセンヤが掴んで肩に担ぐ。

「私も手伝います」

 もう片方の腕をカリンに掴まれて、2人に支えられながらビルを降りた。

 

***

 

 ガラクタの討伐開始から終了まで、あまり時間はかからなかったらしい。空を見上げても、まだ黒色が広がっている。ビルを離れて、立ち入り禁止の看板の場所まで行くと警察官と先生の姿が見えた。

 カリンとセンヤに支えられている自分を見た先生は苦笑交じりに声をかけてきた。

「なんか1人だけボロボロじゃん」

「こいつマジでヤバいっすよ。1人で片付けるわ、カリンには襲いかかるわで。ステルス戦闘どこ行った」

「でも、ガラクタは全部倒したからいいじゃないですか。倒したのはツキモトさんだけですけど……」

「まぁ、こうなればいいなぁ、ぐらいに立てた計画だから気にすることはないよ。みんな無事ならいいから」

 「みんな」という単語を聞いて何かを思い出したセンヤが先生に尋ねた。

「そういえば、キイロとシノブはどこ行ったんすか」

「あぁ、何もすることなさそうだから先に帰るって言って帰ったよ。タチバナは運搬係りだから無理やりだったけど」

「マジか……自由だな。仲間はずれにされるとうるせえくせに」

 自分を含めて雑談をしている4人の近くをパトカーが通った。ガラクタの討伐が終わったから撤収作業を進めているのだろう。    

それを見た先生は「さて」と手を打った。

「ヨツズミとシライはもう帰っていいよ。ツキモトはボロボロだし先生が家まで送るから」

「了解っす。またな、戦闘狂」

「分かりました。ありがとうございます。ツキモト君、お大事に」

「……ありがとう。ごめん。お休み」

 カリンとセンヤから離れて先生の腕につかまった。自分から離れていく2人を見送りながら先生が尋ねてきた。

「ヨツズミに襲いかかったんだって?」

「はい……いつも以上に身体の言うことが聞かなくなって」

「やっぱりそうかぁ」

 先生はそう言いながら車のドアを開けると、後ろの方の席に自分を座らせた。横になりやすいようにと考えてくれたのだろう。もう座る気力すらないので遠慮せず横になることにした。

「認めたくないかもしれないけど、ツキモトの根本には殺人衝動があるんだよ。多分、視界に影響を受けてるんじゃないかな」

「え……身体は仮にそうだとして、頭はそれを否定してるのに、人を殺したいなんて思う訳ないじゃないですか」

「でも、心地いいって思ったんじゃない? 突き刺すとき、少なくともちょっとは快感を覚えたんじゃない? それに、先生を尾行してたときさ、そういう目してたよ?」

 その返しに心臓が大きく脈打った気がした。図星だ。確かに、あの感覚をきっかけに身体が余計に言うことを聞かなくなった。それに先生を尾行したときも、同じような状態だった。

「今まで思考で押し殺してきた衝動が、あふれ出して身体がそれを叶えようとしてるって感じかな。だから初めて人を殺す感覚を体感して衝動が膨れ上がったってこと。その証拠に、今はすっきりしてるでしょ?」

「はい、なんか清々しいというか……心臓にもあんまり目がいかないです」

「今日のでほとんど発散した感じだから、明日はだいぶ楽だと思うよ。深夜徘徊したくなったり、人を見るときに心臓にしか目がいかなかったりとか生活に支障が出そうなことは減ると思うよ。討伐の依頼が来ても、今日みたいなのにはならない。なっても止めるから大丈夫。みんな慣れてるからね……車動くよ」

 実際、止められたので、その言葉に噓はないのだろう。一般人に危害を加えることを常に心配し続けて怯えるよりは、討伐の依頼である程度まで発散させて過ごす方が自分にとっても周りの人間にとっても安全な方法なのかもしれない。それに、自分自身が初めて「ここにいたい」と感じられている場所を離れたくなかった。

 現地へ送ってもらったときのように眠気が襲ってきた。後のことは家に帰ってから考えよう。先生の安全運転に揺られながら静かに瞼を閉じた。