今から十年前、遠いどこかの王国が滅んだ。端的に言うと、民の小さな不満が重なって爆発したことで王家が信用を一気に失い、隣の大国に弱ったと見なされ目を付けられた。
王は暴君ではなかったが、政治の手腕は良くも悪くもそこそこで、民には貧富の差があった。それは初めのうちこそ小さな綻びでしかなかった。だが、王家の想像する以上に不満は膨らみやすかったのだ。
王国を狙った隣国は為政者の統治の巧さゆえに大国だった。経済は潤い食も多岐にわたり、娯楽も人の数だけあるといわれていた。土地を広げる際は相手の知性を見定める鋭い目を以て相手を判じた。性質が穏やかであれば、禍根なくかつ呑まざるを得ない条件を出して追い出す措置を執っていた。『随分と詰めが甘い』と評する周辺国も少なくなかったが、仮に相手が血気盛んな王であれば、対応は考えずともお察しであろう。
そんなわけで穏やかな質と類された国王は、王族に提示された幽閉か追放の二択において悩み、民の生活が良くなるのなら国を明け渡すしかないと考えた。そして、そういう争いでもし捕らえられてしまえば多かれ少なかれ処罰を受けるものだと知っていたために王族の亡命を決意した。他国で市井に下り静かに暮らそうと考えてのことだった。
かくして王子と姫君が騎士を少しずつ連れ、それぞれ親交のあった国へ行き、王は見届け王妃は付き従い、揃って王国に残り幽閉されたというのが一連の顛末である。
そんな元王国に今、足を踏み入れる男がいた。
「治める者が変わり多少の混乱の中で新領地と呼ばれていたこの地も、年月が経てばここまで見違えるのか」
首都だった街の外れには、隣町にまで伸びた街道に沿うように以前来た時とは違う建物が並び、人々の顔は明るく活気にあふれている。
すれ違う人に怪訝な顔を向けられながら門を通って進む男の足取りは少しぎこちなかった。
一方その頃、近くの市場に快活な少女がいた。
「嬢ちゃんや、今日は何を持ってきてくれたんだい?」
「野菜も果物もいつもと同じですよ。ですがよくお気づきになりましたね! 今日はなんと……」
「なんと?」
「子供用のおもちゃを用意しました! いかがですか、奥様がたー?」
じゃーんと音がつきそうなほど大げさに腕を広げ声を張り上げるやいなや、わっと群がった母親たちへのセールストークが始まる。この移動販売の可愛らしい商人は市場の店主たちに交じって、巧みに言葉を操り品物を売り捌いていくのが常であった。
「今日も完売とはなぁ。アンタ途中から外の観光客にも売りつけてなかったか? そのくせ俺たちの店も宣伝してくれるってんだから憎めないぜ」
「私の稼ぎがいいとうちのボスが喜んでくれるからいいんですよ! 今後とも仲良くしましょうね!」
「あの商会、最初こそ突飛なもの売ると思ってたがあっという間に成長しちまって今じゃすっかり俺たち市場店の身内だもんなぁ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないですか! 冥利に尽きますよ」
にこにこと花が綻ぶような笑みを浮かべて和やかに談笑するその場に、男が通りかかり、目を見開いた。
「は? ひ……」
「な! まだそのようなことを言う輩がいたとは心外です! 曲がりなりにも……”贔屓ばかりの商会”だなんて! 撤回していただけないようならお引き取り願いますよ!」
食い気味に詰め寄った少女は店先に置いていた荷物から簡素な棒を出してぴし、と男に突きつけた。
「待ってくれ言いがかりだろう」
「言い訳無用! うちにちょっかいを出さないでくださいな」
そこらの犬や猫ほどに迫力こそないが、一歩ずつ足を踏み出して後退させていく。
「……そこまで押し切られては仕方ない。退けばよいのでしょう? お騒がせしましたとも」
手厳しく追い立てられたのが気に障ったのか、男は引き攣った笑みを浮かべてその場から去って行った。
「懐かしい光景ねぇ、お嬢さん」
「おばさま! お買い物はお済みですか?」
「ええ。さっきピンクの可愛らしいお花を買ったところよ。お嬢さんは相変わらず心が強いわねぇ。私なら足がすくんでしまうのに」
「あれくらい強い態度を取っても戻ってくる輩、どこで商売を始めてもたくさんいましたからね。今じゃもう慣れました! 手の平でころころーですよ!」
ころころーと両手を器のようにして左右に傾ける仕草が何度目かの往復で止まった。あのおじさんも手強そうです、見回った方がいいかもと零した少女には心なしか疲れが見える。野放しにはできないとそのまま駆けだしてしまった少女を市場の面々が止めずに送り出すのは、少女の追い出す線引きが上手いからである。ああいう手合いの客は機嫌取りをするとつけ込んでくるとは少女の言だ。
「今は違うのですしあの呼び方はまずかったですか」
「そうですよー! 考えなしにもほどがあります」
はてさて、駆けていった少女は路地にいた。やはり男はそう離れておらずうまく見つけられたらしい。だが。
「ええ。環境の変化に混乱していた民衆も落ち着いたと聞いて、こんなところまで来てしまった。まさかそこであなたに会えるとは、シャル様」
「……あら、わたしだって懐かしい愛称で呼んでくれる知り合いにここで再会できるとは思わなかったのよ?」
──お久し振りですね、グラン護衛隊長
「流石、お分かりでしたか。まさかこんな形でご存命だと知るなんて夢にも思わなかったものですから。言い訳無用からのやりとりは久し振りに聞いたので懐かしかったです」
「押し切られた、なんて返事まで再現しておきながらあっさり去っていくんだから内心焦ってしまったわ」
「そちらの方が幾分か自然でしたので。しかし、お淑やかになられましたね」
「えっ?」
褒められているはずだが真に受けるほど馬鹿ではない。先ほどから男もといグランの口角がおかしいのだ。
「失礼、少し感極まってしまいまして。あの“お転婆姫”がここまで人らしくなるとは」
「ひとらしく? 訂正してもいいわよ。何て言ったの、ねぇ」
「いえ何でも」
「……変わっていなくて安心したわ」
軽口を叩きあう男と少女は主従関係にあった。厳密には国に仕えた騎士団の護衛隊長と姫君であった。
「ところでどうしてこの国に?」
「あの商売は本当にわたしが任されている仕事よ。引き取り先が商会を営んでいて、数年前から厚意でこの国での商売ができるよう手回ししてくれたの。あなたはどういう経緯で? ねぇ、兄上の様子はどうかしら」
「私は一人で気ままに行動していたところですよ。ふと思い至って入国してみただけです。国が滅んだあの日からもう役職に就いてはいませんので。王子殿下もいずれ一度は訪れたいと話しておられましたよ」
一人で気ままに、ね。動揺が隠しきれていないような、言い訳に似た言葉が続く。顔を見た時からどこか沈んだ空気はあったがあちらには何かあったらしい。
「噓ね。分かりやすすぎるわ。何があったのか、隠すなら聞かない方がいいのでしょうけど」
「いえシャル様、もう少し、時間をくださいませんか。必ずお話をしますから」
「この国に来たのにはいくつか目的があるの。そのひとつが、十年前にこの国を出るときにお父様に『もし戻る機会があれば郊外に隠した宝を探しなさい』と言われてたことでね」
市場に戻って店主たちに男が知り合いの遣いだったことを伝え、今日の店仕舞いを済ませて歩く。道すがら、生まれてこの方その手の話など聞いたことがなかったというシャルの言葉に、確かに宝を溜め込んだり隠したりはしない御方だったな、と思い返しつつグランは当時の王の意図を汲めないでいた。
「ではその宝を探しに行かれるのですか?」
「そうなのよね。金目の物を貰うつもりはないのだけれど、他のみんなには言わず兄上やわたしに言ったということは持ち主が決まっているからだと思っているの」
「陛下から殿下たち二人へのプレゼントだと?」
「ええ。確かに、場所には心当たりがあるのよ。ただ立地上一人で行くのは避けたいと思ってたところで、知り合いが一人現れた」
ついと差されたしなやかな指はグランの方を指す。
「お父様はこれも分かっていたのかしら。あなたなら信用できるし、これで募集する手間も省けたわ。本当に良かった」
大きな街道を抜け脇道に逸れたりしながら、少し手前で森に入り丘陵を登る。
「やはりここでしたか」
「ええ。覚えてる? 今でも途中の脇道は恐ろしいけれど、ここからの景色が全て吹き飛ばしてくれるの」
「そうですね。通るたびに王妃様がシャル様にいたずらなさるので私にしがみついていましたっけ」
「凄く恥ずかしいけれどそれも楽しかったわ。小さい頃は家族四人とお付きの皆でこの丘に登って、ピクニックをするのが特別だった」
別に兄上もわたしも王族に戻りたいわけじゃないの。流石にお父様が国を治めるにはいろいろ下手だったことは分かっていたのよ。でも分かるだけじゃダメでしょう? 統治者本人が持つべき最低限の政治の技量さえ、もう誰も持ってはいなかった。二人とも後継者になる気はなかったわ。薄々分かっていたからお父様はわたし達を国外へ逃がした。機微には聡かったもの、言うことはなかったけれど察していたんでしょうね。けれど結局、あの日もお父様は最善の手段を取れなかった。そしてわたし達兄妹はこの日初めて、お父様が何を考えているのかギリギリまで気付けなかった。
「王を名乗る者から贈られた手紙に、ここに『薬の長がある』などとでたらめに書かれておりまして。筆跡に見覚えがないのですが、見当はつきますか」
渡された便箋を見やったシャルはすぐに、お説教が確定した子供のような嫌な顔でグランにそれを突き返した。
「この字、うちの商会長だわ」
「は?」
「迂闊に話したところから失敗だったのかしら? 全部調べたのね……デリカシーのないひと」
眉間にしわを寄せた複雑そうな顔で、手紙を摘まんで
「つまり私達はそちらの国の侯爵に引き合わされたと?」
「間違いないでしょうね、これくらいのことに引っかかるなと怒られてしまい そうだわ。薬の長ということは酒か万能薬という見立てのようだけど、もし当たっていたら怖いどころじゃないわよ」
「それは何ともお茶目な方ですね」
「これはわたしから商会長に渡すべきかしら? あなたが近いうちに持って来てくれる? それとも、」
──あなた達が奪って燃やしてしまうのかしら!?
ゆるりと振り返った先には鈍く光を反射する剣を持った男たちがいた。
「貴殿ら、かの王国の王女殿下と護衛隊隊長と、お見受けする」
「言葉の割に拙い言い方のようだが、本当に貴殿らは国に仕える者か?」
「それは関係ないことだ」
「失礼した。だが、分かりやすい嘘は感心しないな。私の肩書きの意味を理解していないとみえる。私は貴殿ら相手に後れを取るような鈍らではないぞ」
「さてシャル様、何か武器をください」
「嘘、あなたまさか丸腰だったの?」
「そうではありません。手持ちの剣ではやりすぎてしまうからですよ」
「レイピアでやりすぎるってどういうことよ……短剣でいいわよね、ほら」
投げられた鞘付きのそれを掴んで屈み一、二、三人と次々に柄で眉間や腹を殴っていく。ふと後ろを見れば取りこぼしがシャルに首を殴られ沈んでいくところだった。
「意識のないうちに縛りましょう。私達の返答に動揺していましたから、命を奪う覚悟ができていたとは考えにくい。途中から話がわざとらしく聞かせるような形に変わったのは情報を掴ませここまで引き付けるためですね」
追手の荷物やポケットに刃物や火が付くものがないか改め、可能な限り回収しながら二人は話し続ける。
「その辺りはまだ未熟ね。追手の興味は引けたけれどお喋りが過ぎてしまったわ」
少ししょげてしまったシャルとは対照にグランの言葉は驚きから来るものだった。
「反省したならばまずはこの結果を喜ぶべきでしょう。何より剣の腕です。戦わず下がっていてくださっても良かったのですよ? まさか今日まで鍛錬を積んで腕を磨いているとは驚きました」
「昔の無茶なお願いに押し負けてわたしに剣を教えてくれたのはどこの誰かしら」
「さて、存じ上げませんね」
丘の頂上から国の防御壁が今も残っている方角へ向けて下り、森の中でも特に木の密度が高い区画を目指して歩いていた。
「さっき襲撃してきた一団の装備、特にあの紋に覚えがあるのよね。兄上とあなたたちの隊が逃れた国でしょう。何をすれば狙われるようなことになるの? それに服装こそあの国の兵と同じだけれど、まるで動きが違うわ。まさか着せ替えただけの民を寄越したんじゃないでしょうね?」
「そうですね、確かに見覚えのない顔でした。可能性としては充分あると思いますよ」
「冗談であってほしい話だけれど、それにしても色々知っていそうな顔じゃないかしら? ねえ何を見たの?」
──それに、さっき掠めて切った服を押さえているのに修繕しようとしないのはどうして?
「それだけは、申し上げにくいと言いますか」
口籠るようにして顔を逸らし気まずそうに考え込んでいる。
「全て繋がっているのでしょう? ここまで仄めかしておいてまだそんなことを言うの?」
「まず最初に、王子殿下の亡命は……成功しましたが失敗でもあったのです」
グラン曰く、国に入ることはできた。結果的に王子は相手国の王族のもとで保護されたと。向こうの国に入るなり嗅ぎ付けられて有無を言わせず城に”お招きいただいた”ようだがどうやら国は荒廃していたようだった。疲弊しきったあちらの王は一泊分の世話はしたが、この国勢下ではそちらの王と交わした約束しか果たせないと、王子の引き取りで精いっぱいでそれ以上の大人数を抱えるのは無理だと言ったそうだ。騎士達は最低限の護衛二人を除き、行く宛もなく城の外で呆然とするしかなかったらしい。
「護衛に就いた騎士との連絡は?」
「続いています。約束だけは守るという言葉を違えず養子のような扱いを受けているようです」
「そう。兄上の状況は分かったわ。次よ」
話をしながら潜っていった小さな洞窟の奥に不自然に設置された岩の大扉を開き内へと手招いているのは、進むことと同時に秘密を聞き出すための外堀を埋められているような気もしなくない。この話だけはしたくなかったというグランに対しての逃がさない、白状させるという意思は強く、口を開かざるを得なかった。
「あれから仲間と亡命先で暮らすうちに奇病に罹ってしまいまして。この有様です」
袖の下の皮膚は色こそ健康そのものだが、手だけでなく腕の上部までもが握りつぶした紙のようにくしゃくしゃに引き攣れ、年齢にそぐわない皺に覆われたようになっている。これが足にも及び、支障はないがどこか違和感のある歩き方になってしまうらしい。
「今にして思えば、薄手の長袖シャツに手袋なんておかしな組み合わせよね」
「幸いにも人から人には移らない病だそうです。外出可能なのはそういうわけなのです。完治してはいますが、この後遺症で怖がられるので肌を隠しているのですよ」
町は酷い状況で病が蔓延し、病院や診療所でも手が回らない。住民は既に消耗して原因の究明や対処をしようにも腰を上げることができない。国としても経済が回らず、資金不足に苦しみ幾つかの国に何度も援助を頼んでいたようだが、原因の所在が分かっても正体が分からず解決の手掛かりが見えないためにそれを断られ続けていたようで、衰退しきっていた。
「どうにかこれ以上病人が増えないよう対処ができたのですがこの時点で隊員は半減。そんな時に症状が和らぎ私と何人かが動けるようになった。それを見た部下が、せめて原因の対処法だけでも探ってこいと言って送り出してくれたんですよ」
周辺諸国を回って薬師を見つけては診てもらうのですが生憎と今のところどの軟膏も効かないんです、という言葉には僅かに生き甲斐に似た何かがもたらした希望が見えた。
「あちらの王はまだ諦めずに他国に援助を頼んでいるようです。私もこの国に来るまでに各国の薬師と連絡を取り症状に合わせた薬を買い占めて送っておいたので緩和ができると思います」
「良かったわ。きっとあなた達が外部から来たことで環境が変わり転機が訪れたのよ」
扉の先の空間はまさしく宝物庫だった。だが壁一面の本棚にはほとんど書物がなく、代わりに時計や鞄や絵画が置かれていた。
「城から少しずつ運ばせる、にしては少なすぎるわね。まさかお父様が自ら持って来ていたのかしら?」
呆れるほど武器の類がないなんて流石というか“らしい”。改めて父の宝物があるのだと実感させられる。
「見つかりましたか?」
「ええ。多分これよ」
シャルが手に取ったのは数ある鞄のひとつだった。
「また随分とたくさん入っていますね」
「きっと選べなかったのよ。思いついたもの全て入れたような感じがするわ」
抱え直し、二人で覗き込みながら中身を取り出していく。グランはどこか神妙な顔で幾つか取り出したものを眺めていた。
「何かあったの?」
「不思議だったんです。私に環境が変わり転機が訪れたと仰いましたが、変化と言えばシャル様こそ、何か隠していらっしゃるでしょう」
──例えば、十年経ったにしては“変化が少ない”とか。
振り返った表情のまま動かないのを見るに、残念ながら予想は正しかったらしい。
「そちらもそれなりのことに巻き込まれたと、そのようにみていいんですね?」
「勘づかれたとして誤魔化せると信じて疑わなかったのも、随分とおかしな話よね」
俯いて溜め息をついたのでてっきり暗い話かと思いきや、上げた顔には笑みが浮かんでいて面食らった。
「まだ引き取られて浅い頃に誘拐されたの」
「侯爵様は何をなさっていたのですか!」
聞くや否や、くわっと目を見開いたグランが詰め寄るのをシャルは手で制しつつ宥めた。
「何もしていないわ。この一つ目の誘拐は商会の自作自演だった。新人恒例の、頭の回転と身体能力を測るものだったから怖さはあれど何ともなかったの」
けれど倉庫に入れられているうちに襲撃に遭って、わたしはその地域の元締めに更に攫われた。
「二重、ではないわね。二次誘拐とでも言おうかしら。寝込んでいたところをどうにか助け出されて、商会長の侯爵邸で目を開けたらこれよ。生半可な傷はたちどころに治るわ、老いにくくなるわでもう大変だったの!」
私自身に弊害がないのが救いね。これでもっと自由に動けるようになったもの。
「そんなわけで、わたしは十年経っても五年しか老いることができないの。市場の人たちはわたしの実年齢を知らないまま、かなり長いこと小柄な少女のまま付き合ってくれているわ」
話の間ずっとわなわなと震えるグランを横目に、ほんの少しの罪悪感くらいかしら。と言いつつはにかむ姿は新たな出会いの中で健やかに成長した証といえるだろう。
「寿命が二倍に延びたのか、身体だけ若いまま死ぬのか分からないけれど、あなたに言えたことで少しすっきりしたかもしれないわ」
扉に耳をくっつけていたシャルが外に出るわよ、街に戻らなきゃと声を掛ける。
「熱心に見ていたけれど、結局私に許可を取ったあれは何だったの?」
「薬の原料です。何故これがここにあるのか……。採取することがとても難しい貴重なもので、都合よく例の症状に効くのです」
そういえばやたら遠方からたくさんのものを一気に取り寄せていたこともあったか。
「あの病って十年前はどれほど広まっていたの?」
「患者が数人出た程度ですので、ごく少人数の認知程度だと聞いています。……成程、そうでしたか」
「友好国としての付き合いだけじゃなかったということかしら。お父様はずっとお人好しだったってわけね」
「そういえばあなた、うちの商会に来る気はないの?」
国を出る門をくぐって問いかけられたそれは理解に数瞬を要した。
「スカウトするおつもりで? このまま直行してですか?」
このまま商会にまで拉致されるかと思ってしまった。
「流石にそうじゃないわよ。そちらの国のことが落ち着いて、やることがなくなったらのこと」
「寂しいんですか。そちらの騎士たちも付いているでしょうに」
「あなたねぇ! そりゃあ知り合いの近況を聞いて、兄上の無事も聞いたならそうなるものでしょう」
「揶揄い過ぎましたね、すみません」
あなたも商会長に負けず劣らずよ、と口を尖らせて歩く様子ひとつとっても、城にいた頃の面影はあれど確かにあの頃にはない成長が垣間見える。
「どうしたの? 商会長の手紙、きちんと持って来てくれるんでしょう?」
いや、やはり撤回だ。たとえ僅か十年で己の肌が変わろうと、彼女の体質が変わろうと、未来を見据えて挫けないこの方が健在であるなら、今後もずっと親交は続いていくし、こんなやりとりだってこれからも変わらないのだろう。
「では、近いうちにお茶会でも催してください。私と、あなたと、その時には兄君も。揃ってお邪魔しますから」
「ええ、いの一番に招待してあげるわ」