私は、暑いのが大の苦手だ。
階段を下りていて、目が見えなくなるくらい汗をかく。
だが、学校のクーラーは職員室管理。デスクワークをしている先生の体感で設定されている。
「先生はいいよなぁ。暑苦しい制服なんてないし、授業遅れても怒られたりしないからさ」
私は、ななかという名前だ。夏が大嫌いなのに、七夏という漢字を書く。もう七だけでよかったのにと何度思ったことか。
今日も私は、暑さと闘いながら授業に出ている。学校の大きな教室に大きいクーラーだが、その力はほんの1割も発揮されてはいないだろう。
暑さにイライラして、先生と目が合った。
「コラ! 坂口。朝から机に抱きつかないで、目を上げなさい」しかし、私が本当に見ていたものは先生ではない。その隣にいる転校生だった。
彼女は私の目には輝いて見えた。私は誰とも話さない日も珍しくなく、一人で考えたり、本を読んだりして過ごすことが好きな人間である。私の理想は私の頭の中にあり、現実の私はそれとは正反対の存在なのだ。
そして今、そんな私の興味を引く存在が先生の横にいる。自分がなりたかった理想である。髪型、輪郭、私の中ではパーフェクトだった。
自分にないものをすべて持っているであろう彼女のことを私はもっと知りたくなった。興味を持ってしまった。
しかし、それを感じていたのは私だけでなかったようである。その転校生の評判はあっという間に、学校を飛び越え、地域全体に広がった。たちまち、彼女のファンクラブができてしまうほどの盛り上がりだった。
「清水様―」
彼女はどこに行っても人に囲まれる。当然、私なんかが近づける存在ではない。
キーンコーンカーンコーン
あぁ今日もまた話しかけられず、一日が終わった。
私、坂口七夏が動けるのは、自分が小学校のときに名付けた世界、作った坂口妄想ワールドの中だけである。要するに、中学生になっても、脳内は小学校をまだ卒業できてないのだ。
しかし、十三歳の中学一年生なら、まだ小学生の中に入っても気づかれないかもしれない。干支の一周りが十二年。ようやく一周したぐらいの人生だ。今まで生きてきた時間より、これから長い人生を送るはず。人生は焦ることないぞ、七夏!
早く大人になりたいと思う。だけど、大人になって生きる時間のほうが、きっと長いから、私は子どもの「今」を精一杯楽しむんだ。
こんなことを頭の中でぐるぐる巡らせている私。
だけど、心の声はみんなすべてを口にするわけではない。そんなの口にしたら、きっと人間社会はめちゃめちゃになる。誰にも邪魔されない、自分だけの世界は、きっと誰にでも存在するはずだ。
この思考があるからこそ、日常生活は楽しいのだ。
そう、わたしだけじゃない。自分に今日も言い聞かす。
この坂口妄想ワールドができるまでは大変だった。周りに合わせるだけで、自分の言葉が出せない。一日一回は周りの放つ言葉に傷ついていた。そうして振り回されて一日が終わっていた。
なんて、自分は弱いのだろう。
「スナオニナレ、ナナカ。マタ、コウカイシタイノカ?」
私の中の私が問いかける。
今が動くときだ。
そう決断したとき、私は無意識に彼女のほうを見ていた。
無意識に彼女と目が合う。
彼女をもっと知りたい? いや、知りたくない。
そんな相反する気持ちが、坂口妄想ワールドの中で、綱引きをしていた。
こわい……
私の頭の中のブレーカーがおりた。
何が私のブレーカーを落としたのか? この胸の痛みはなんなんだ? 私の中で何かが変化しようとしている。それだけは理解することができた。それは今まで、必死になって私が守ろうとしてきたものだった。
変わったな。
私が坂口七夏であることは変わらない。しかし、何かが吹っ切れたようだ。
もう転校生のやってきた七月の初めから、十日が過ぎていた。
カワレヨ、ワタシ
私は壊れたものが一体何なのか気になって思い切って彼女に声をかけた。
「あ、あの。ちょっといい、かな」
痛い、とにかく痛い。
ギラギラの太陽の光が無数の針のように窓辺の席の私にささる。都会の前の学校に比べれば少し田舎にあるここは多少涼しいはずだが、太陽はそれを知らないのか、ただただ日課のように私を照らしてくる。
父の転勤を言い渡されて不安な気持ちで転校してきたこの学校はカーテンはあるのになんで閉めないのか。
教室を明るく保つためだとしても電気があるじゃないか。
まぁ要は、節電しているらしく電気の明るさが最低限なのだという。前の学校とは大違いだ。
「東京から来ました。清水華蓮です」
不安な気持ちのまま生徒の前に立たされて自己紹介をさせられ、一躍クラスの注目の的となる。
あの子達今何してるかな。
転校前の学校のクラスは最高だった。
やっと一年が経ってどんどん絆を深めていこうとした矢先に転校だ。
私が何をしたと言うんだ。
そんなことを考えながら空にいるであろう神様に向かって文句を言うが、さすが田舎だ。空が綺麗すぎて今までの文句が浄化される。
ここに来てから空が好きになった
当たり前のようにビルの隙間から見ていた狭い空ではない、無限に広がる空を見た時、このクラスでやっていける気がするとプラス思考にさせてくれる。
さて、プラス思考になってきたところで、転校してきてまだ全員の名前と顔が一致しない自分を何とかしようと先生から貰った座席表とそこにいる生徒を見比べる。
相澤……翔太、石田……哲平、乾……徹_____。
一人一人名前を小声で唱えながらこれから友達になる人たちを覚えていく。
ふと視線を女子の列に向けると一人の女の子と目が合った。
なんだろうあの子。
たまたま目が合った気がしなく、まさに空の神様にあの子と目が合うように仕向けられたかのような感覚がした。
転校から十日。もう学校のだいたいの人とは言葉を交わしたが、彼女とはまだ言葉を交わしたことがない。
今までも友達はいたが、今回のようなほぼ全員が顔見知りになるような人間関係は初めてだ。正直、疲れる。どこにいても顔見知りがいるという環境は。東京にいた時のような、知人ではない友人を私は求めていた。
そう思っていた時に、目が合った一人の女の子。それが彼女だった。
彼女は遠慮がちに私に寄ってきた。
「えっと……坂口さんだよね? どうしたの?」
「えっ、苗字覚えてくれてたんだ!」
互いに思わず、きょとんとする。
私は、クラスの中で、彼女が一番気になっていた。周りが私が転校生ということでどんどん声をかけてくるなか、彼女は近づいてこなかった。周りの人とのかかわりが億劫になってきていた私にとって、その存在にはとても安心感が持てた。
「清水さん、私ね、学校で見てたらわかると思うけど、人とかかわるのが苦手でね、なるべく一人でいるの。だけど、清水さんが何回か私に優しい視線送ってくれてる感じがして、今日、がんばって話してみようかなって」
「えっ、そうだったの!? 私は、周りとうまく距離をとって、一人の時間を大事にしてる坂口さんのこと、かっこいいなってずっと思ってて。無意識に坂口さんのこと見てたんだと思う! 」
「何それ! 告白みたいじゃん」
「あっ……きゃはは!」
大きな笑い声が放課後の二人だけの教室に響く。
「私たち、両想いだったじゃん!」
「そんなふうに言われたの初めて! かっこいいって受け止めてもらえて幸せ」
「ほら、ここってさ、田舎だからみんな顔見知りでしょ? そういう付き合いじゃなくて、自分は一対一の安心できる友達が欲しかったの。だけど、ここにはそれをわかってくれる人がいなくて。だから、一人でいたの」
あれ? おかしいぞ? なんでこんな今まで誰にも言ってこなかったこと、清水さんに話してるんだ?
「うっ、うわーん」
坂口さんは突然泣き出した。その姿を見て私も、涙が止まらなくなった。
「ありがとう、坂口さん。やっとやっと、ここで顔見知りじゃない、友達に会えた。私もそう。顔見知りじゃなくて、友達が欲しかった。これから私と、友達になってください!」
シンジラレナイ
私を理解してくれている人が今、ここにいる。
私は夏は大嫌いだし、自分の名前も好きではない。
でも……
この幸せを感じたあの日も、私の苦手な夏だった。