日露戦争に出兵してから君の姿を見ていない。
先日、君が便りをよこした時、奉天のほうにいるということが分かった。
僕と君は、松山の同郷で生まれて物心ついた時から、松山城を見て育った。家が近く親も仲が良かったことからよく二人で川遊びや虫取りをした記憶がある。どちらも負けん気が強い性格だったため、決着がつかないこともしばしばあった。
そんなやんちゃな君も学ぶのが好きで学校でもよく勉強していた。進学を決めようとする年のころ、君から、
「僕は、陸軍士官学校へ行くと決意したよ」
と聞かされたとき、正直、私はうろたえてしまった。君の性格は最も自由を愛する人間であるし、規律というのは中学の時でさえ守ることがなかった君が軍隊の規律というものを本当に守れるのか。それが不安だった。
しかし、男の一大決心を止めることは、やはり、正しくないのではないかと思い、私は止めなかったが、心配する気持ちが顔に出ていたのか
「一君とは昔からの幼馴染だから、君の言いたいこともわかる。けれど、僕は、どうしても行きたいんだよ」
笑う君に僕は何も言えなかった。
そして、君は東京の市ヶ谷にある陸軍士官学校に行ってしまった。僕は、その年大学に行きやはり贅沢はできず、貧乏生活を送っていた。最初の便りは、入学して半年たったころだったろうか。僕は、書生としておじさんの家に住みながら勉強をしていた。便りには「自分は立派な騎兵になりたい」と書かれていたことを記憶している。そして写真が一枚入っていた。わきに軍刀をさし帽子をかぶり立派な姿で君は写っていた。
僕は、人は半年でここまで変わるものなのかと驚いてしまった。その反面その場所に染まっていくことの怖さを知った気がした。
そういえば、君は結局騎兵になれず歩兵科に転入して、幹部候補生として勤務をしていたね。
奉天に出征したのも、ロシアの抵抗が続いて前線の少尉から大尉までの将校が不足したことが原因で、戦地未経験の君でさえ戦地に赴かなければいけなくなってしまった。
しかし、実際、戦地に赴いてみれば一日行軍するだけでもへばってしまう将校がいると聞いた時日本はだめのかもしれないと思ったけど、なかなかの奮闘ぶりだったなと後から振り返れば思うよ。つくづく貧弱な後方支援で戦った君たち軍人には頭があがらないと思っているよ。僕といえば、大学を出てから君が卒業すると同時に新聞社に拾われて、職業としているから、やっぱり日露戦争の状況もわかっていた。その分、僕は、東京に来てからそこで就職することになって、家族を呼び寄せ松山に帰らなくなっていた。松山のことは日々過ぎていく中で、忘れてしまっていた。君は陸軍士官学校を卒業して、奉天出征の前は松山の連隊に勤務することになって、自分の故郷の近くで勤務できることを喜んでいた。そして、君と僕はなかなか会えなくなるからって、ぼくのいきつけの飲み屋に行ったときは君はかなり酔った。
「自分は上に立つ人というものはこうであるべきだという確固たるものがあるんだよ。しかし、今の日本のままではだめだ。なぁ、そうは思わないかい?」
と、絡んできた。
そんな君を見て茶化しながら訊いた。
「軍人でも国家に思うところがあるんだね」
と聞くと
「あたりまえさ、君は、軍人を機械だと思っていたのかい」
と、君は珍しくやけになっていた。
「しかし、君も明日から新しい場所で国家のために頑張りたまえ」
と、私は激励した。
「しかし、こんなご時世だけれど、きみは結婚なんて考えていないのかい?
と聞いた。君は黙っていたが、少し決意したように、
「実は、自分は恋をしているんだ」
突然、そうきりだした。
「それは初耳だね。一体誰に恋しているかい」
この年で、そう切り出す君の恋に慣れていないというか真面目さを感じた。
「ここの飲み屋さんの娘さんなんだけど、一君もよく通っているから知っているだろう」
彼は、周りの人に聞かれることを避けるため少し声の音量を下げた。
「しかし、自分は話しかけることができないんだよ。どうしたらいいだろう?」
僕は、君のさっきまでの大声で言っていたことに驚いていたが、打ち明け話にもっと驚いてしまった。
「なんだ。そんなことならもっと早くいってくれればよかったんだ。実は、ここの店は僕の親戚の店でここの娘さんとは従妹の関係になる。彼女は、よく働いて母親を支えているし、まだ結婚もしていない」
君は酔っていたのか。話が呑み込めずにいた。そして、間をおいて納得したのか。
「紹介を頼んでいいかい、一君」
と、頭を下げて頼んできた。
僕は、頷いて。
「じゃあ、彼女を呼んでこよう 少し待っていてくれないかい?」
君は、驚いて椅子をガタっといわせた。
「一君・・・・待ってくれ」
彼は、見るからにうろたえている。
「しかし、君はもうすぐ松山の連隊にいってしまうんじゃないのかい?いま言っておこうじゃないか」
君は、しぶしぶ納得したかのようにまた椅子に座りなおした。
「分かった。待つよ」
そして、僕は奥にいき料理人の女性に訊いた。
「すみません。親戚の一です。おばさんいますか?」
女性は顔みしりだったので頷いて隣の調理場へ入っていった。
それから、おばさんが出てくると、さっきのことをしっかり熱意をもって伝えた。
すると、あっけなくお話をしようということになり娘さんを呼び、僕も立会いのもと話が始まった。
第一声が、
「実は、私もあなたのことが気になっていたのです。たまにおじさんの家にお邪魔したとき、従兄のお兄さんと仲良くしていたお友達がここで働いてから軍人さんになっていて、それを見ていながら話しかけようと思いたのですが話しかけられずにいました」
そう早口で言い終えると、彼女は顔を俯かせてしまった。
そんなことを思っていたということに気が付かずにいた私と君は本当に驚いてしまった。つくづく女の人の考えていることはわからないものだと思った。
「では話が早い。しかし、彼も近々、故郷の松山にある連隊に配属されることになっているのでここにいる時間はそう長くないんですよ」
というと、おばさんは、「分かりました」といい、日をおいて落ち着いてから結婚式をしようということになった。
しかし、結局、僕は君たちが結婚したのかを知らずにいた。
君たちの晴れの門出を祝ってあげたかったけれども、僕のほうも、ヨーロッパ留学が決まって旅立ったころだった。
僕が、二、三年して帰ってくると、戦争の様相も変わっており、厳しい戦いになっていた。
君と会えなくなる日も近いんじゃないかと不安になり手紙を書いて送ったのだがなかなか返事がなかったのが、やっと返事が届く頃には君は戦地へ向かうことになっていた。
僕は、急いで汽車に乗ってから、船を使って、二日かけてやっとの思いで松山に着いた。
これほど時間を大切に思ったことはなかった。 あと数時間で君は戦地に向かわなければいけない身なのだ。しかし、君は約束の時間になかなか来ず、四月のまだ寒い船乗り場で三時間も待たされる羽目になった。
君が来た頃にはあたりが真っ暗になりかかっており、僕は、今日ばかりは怒ることはできなかった。君の軍服姿を見たとき、なぜか涙が出そうになっていた。昔から連れ添ってきた友人の最後の姿であるかもしれないのだ。
「やあ、久しぶりだね。これからどうしよう?」
君は少し悩んでから、
「最近、松山でもいい店が増えたんだよ。近くに飲みに行こうじゃないか」
本当に松山は店が増え変わっていた。
大学に入ってから全くと言っていいほど帰ってなかったからか故郷に帰ってきたという実感がわかなかった。
君は飲み屋に入ると、軍刀をわきに置いて、
「さぁ、祝い酒だ」
と、にこやかに言った。
僕は、そう言われるとこう返すしかなかった。
「ああ、おめでとう」
そして、続けた。
「そうだ。一君に言っておきたいことがあったんだ。実は、僕は恋愛の件で苦渋の決断をしたんだ」
君の顔は、真剣そのものだった。
「というと、君は彼女との縁談を断ったのかい?」
それはかなりの苦渋の決断だっただろうと思う。やはり、戦地の厳しさを考えた結果なのかもしれない。
「彼女とは、松山の連隊に勤務してからも何度か手紙のやり取りをしていたんだけど」
間をおいて、決断を固めてからこう切り出した。
「一君も新聞記者ならこの戦争のあり様を知っているだろう。日本もぎりぎりなんだよ。だから、生きて帰ってくることは難しい最前線に決まった時から、僕は覚悟を決めて、やはり縁談を断りたいという旨の手紙を書いて送ったんだよ。そうでもしないと彼女は何年でも僕を待ってしまうかもしれないからね」
そう聞いた僕は、君の本当の純粋さを感じた気がした。
それからしばらくして、日本海戦で日本が勝ってから、戦争の終着が見えてきた。
しかし、君からの便りは一向にこない。
帰ってきているのならすぐに便りを寄こすと思うのだけれども、君は、本当にまじめな性格だから、戦場でも自分の務めだと感じたことに精一杯取り組んだのかもしれない。
また、松山に帰ってきた時に一緒にお酒を飲みに行くとしよう。だって、僕だけ生き残ったみたいな気がして気分が良くないんだ。
それまで、しばらくお酒は控えるとするよ。
ではまたどこかで