You belong with me

短編/伊東紫恋

 

 

勉強に良いというクラシックを聴きながらの宿題。かけ慣れた眼鏡をクイっと上げ、集中するのを試みる。だけど、どうも集中できない。向かいの窓から、電話越しで彼女と喧嘩している彼が見える。部屋を往復する彼は怒った顔を一切崩さない。

 

『大丈夫?』

 

電話が切られた。スケッチブックに大丈夫? と書き、彼に見せる。彼もスケッチブックを取り出し、ペンを走らせた。

 

『もううんざり』

 

『お気の毒に』

 

私たちは毎日、声を出すのは近所迷惑という理由で、スケッチブックを使ってやり取りしている。昔はベランダを乗り越え、部屋で一緒に話した。それを両親に見つかってしまい、ベランダを越えることはできなくなった。学校でも別のクラスであまり話せない。この時間が唯一の楽しみ。

 

『じゃあおやすみ』

 

「あっ」

 

カーテンを閉められた。一番伝えたかったことを書いていたのに。

 

海の底のような色をしたカーテンへ、

『好きだよ』と書かれたスケッチブックを向ける。

 

「いつか……届くといいな」

 

You`re on the phone――」

 

ヘッドホンから流れる曲は、クラシックからカントリー調のラブソングに変わった。幼馴染に恋い焦がれる女の子のラブソング。まるで自分の想いが、そのままスキャンされたような歌詞に共感が止まらない。

 

ベランダの向こう側にいる彼、幼馴染のキース。アメリカに住んでいた時から親しかった。七年前、両親の都合で日本に滞在することになった。難しい日本語も一緒に勉強し、違和感のないくらいまで上達した。

 

二年生になり、新しい生活が始まると思った矢先、キースに彼女ができた。その彼女とは、チアリーディング部の部長。ミニスカートが似合う絶世の美女。吹奏楽部でTシャツがお似合いな私とは真反対の人物。何も伝えられないまま、彼女に奪われてしまった。

 

「ずっとそばにいたのは、私なのに」

 

いつの間にか、歌に合わせて口が動いていた。それがなんだか気持ちよく、そばにあった櫛を掴み、マイク代わりにする。

 

鏡の前に立ち、踊り始めた。この光景は誰にも見られたくないと思いながらも、眠気に襲われるまで歌い続けた。

 

 

「あー、早く起き過ぎた」

 

時計は午前五時を指している。朝食、用意を全部すましても、まだ六時。いつもは一時間後に出るが、今日は早めに出ておこう。

 

六月ということもあって、外は土砂降りの雨。傘をさそうとしたそのとき、

 

「おはよう、ケイト」

 

「キース! おはよう」

 

同時に彼も傘をさそうとしていた。

 

「暇だねー」と言いながら、近くの雨宿りまで歩いた。

 

他愛もない話をしながら、時間が過ぎていく。

 

「そっちのクラスはどう?」

 

「あ、えっと……楽しいよ」

 

キースが隣にいる。そう思うだけで、胸が締め付けられ、言葉がなかなか出てこなくなる。

 

「なんかお前、元気ないな。もしかして昨日、歌い踊り疲れたからか」

 

「え、見てたの!?」

 

 恥ずかしさのあまり、手で顔を覆った。ちょうどその時。

 

「キース、お待たせ!」

 

彼女が来た。校則が緩いせいか、スカートをギリギリまで折り曲げ、ハイヒールのようなローファーを履いている。

 

私はというと、スカートの長さは膝丈、そしてスニーカーを履いている。彼女はチアリーディング部で私は吹奏楽部。

 

圧倒的に彼女の方が可愛い。けど、考えてしまう。なんでキースは彼女を選んだのか。

 

「じゃあ、行ってくる」

 

「あ、うん。いってらっしゃい」 

 

彼女と手をつないで行ってしまった。一つ傘の下で。彼女が後ろを振り向き、私に勝ち誇った顔を見せたような気がした。

 

 

数か月後、キースが所属するアメリカンフットボール部の試合を応援しに、吹奏楽部のみんなで会場に向かった。

 

同じくチアリーディング部も応援をするため会場に向かっていた。

 

試合開始まで残り数分、顧問が指揮棒を上げる。リズムよく振り始めた。それに合わせて私もクラリネットを吹き始める。

 

横目にチアリーディング部を見ると、彼女の隣に男がいた。どうせキースだろうと思った。……違う。キースより背が高く、深い黒髪。アメフト部の部長だ。キースの彼女と抱き合い、しまいにはキス。信じられない。見ているだけで吐き気がする。でも、皮肉にも胸の痛みが少しだけ薄れた。

 

 

試合はキースたちの勝利だった。その祝いに、プロムのような雰囲気のパーティーを開催されることになった。

 

部屋に戻り、勉強道具を机に置いた。コンコンと小さく窓がなる。カーテンを開くと、『今日のパーティー、来ないの?』と書かれたスケッチブックを持ったキースがいた。

 

『ごめん……』

 

そう返すと、キースは何も言わず、カーテンを閉めた。

 

行きたくないわけじゃない。ただ、キースと彼女が一緒にいるところは見たくない。他の男とキスした女が何食わぬ顔で寄り添っていると考えるだけで寒気がする。でも……。

 

スケッチブックに書かれた『好きだよ』が目に留まる。

 

「……行こう」

 

眼鏡を外し、クローゼットの中で眠っている勝色のドレスを取り出した。くくっていた髪をおろす。

 

まだ伝えられていない私の気持ち。『好きだよ』と書かれた紙をお守りに、会場へ向かった。

 

 

パーティー会場の前で深呼吸をし、扉を開ける。

 

制服姿で見慣れた同級生たちは、きらびやかなドレスを着て楽しく踊っていた。

 

「あれ、あの子って……」

 

扉の前で立ち尽くした私を、たくさんの視線が突き刺す。

 

 そんなことは気にせず、ただ進む。

 

「ケイト……」

 

進んだ先にはキースの姿。

 

「キース」

 

ここで彼女がキースの手をつかむ。いつもならキースは彼女の方へ行くのに、今回は違った。

 

「ごめん、後にして」

 

つながれた手を強く振り払う。その態度に彼女は怒り、アメフト部部長の所へ行った。それを感情のない目で見つめるキース。知っていたんだ、二人の関係を。

 

視線が私たち二人に集まっている。今しかないと思った。

 

お守りにしていた紙を取り出し、広げる。書かれた言葉を見るキース。手をポケットに突っ込み、茶色に変色した紙を取り出した。

 

『好きだよ』

 

同じ言葉が、つたない字で書かれていた。

 

昔から気付いていたんだ。探していた人が、隣にいたことを。

 

「待たせてごめん」

 

キースの手が私の頬に添えられる。

 

「ううん……」

 

いつもより近くにある顔。相変わらず胸は締め付けられる。

 

けど、もう苦しくない。私の傍に戻ってきたから。

 

 私はそっと、瞼を閉じた。