萃夢

中編/城輪アズサ

 

 ──「外部」を持たないこの街には、澱のように、憂鬱が染み出している。

 場末のシネマ・コンプレックスの座席からも、色褪せた背だけが並ぶ本屋からも、キジバトの鳴き声からも、空をたなびく雲からも、憂鬱は染み出し、たしかに存在していた。

 

 僕は再び空を見上げる。憂鬱の空。どこにも行けない街の空へと視線を向ける。それは彼方に聳(そび)える山々を支点として張られた天幕のようにも見えた。つくりもののように。あるいは、箱庭のように。

 

 この街に有効な「外部」はない。「ここではないどこか」の可能性は、気配は、この街のどこにもない。山々に阻まれて、僕らはここに制約され続ける。

 家畜というより、それはほとんど俳優のようだった。仮構の中でしか生きられない記号。人形。二足歩行の貨幣。ただ商業の大聖堂を流れゆく──。

 

 僕は土手を歩く。紙飛行機のような鳥が翼をはためかせながら去っていく。憂鬱な昼下がり。憂鬱な街。対岸には集合住宅の豆腐めいた外面(ファサード)と、ドラッグ・ストアの、キッチュな色彩をたたえた外壁が見える。そして、それらすべてを見下ろす送電塔。

 塔に睨みつけられたような気がして、僕は思わず目を伏せた。視線を下に向け、川のゆるやかな流れに意識を移す。

 河川敷には釣竿を手にした老人が二人、何やら言葉を交わしている。それは嬌声にも、怒声にも聞こえる奇妙な声だった。視線をその横に向けると、子どもたちが岩場で遊んでいるのが見える。時折、ランニングをするスポーツウェア姿が視界をちらつく。

 

 ──ふと、目が合う。

 子どもたちの群れを縫うようにして、「それ」はそこに立っていた。

 白い。ただそれは白い。人型ではあるが、それが人だとは思えない。そうした影が、その頭部の、窪みのような眼窩(がんか)をこちらへ向けている。それが見える。だから目が合う。

 視線は──逸らさなかった。僕はしばらく、それと向き合っていた。見れば見るほど不気味だったが、それはこの街の憂鬱と比べればなんてことはないように思われたのだ。

 数分はそうしていただろうか。陸上部の大群が目の前を走り抜けている隙に、それは消えてしまった。

 渡り鳥のように、あるいは、死んだ星々のように。

 

 この帰郷が十一月の暮れという、なんとも半端な時期になったのには、二つほど理由があった。

 父の葬儀と失職の二つ。どちらも全く縁起が良いものではなく、正月に被らなくて幸いだったという見方もあろうが、それら問題はこの先も続いていくものだ。祭日の中にも、それら不幸の病根は確実にその体を伸ばしている。影のように取り憑いている。どうしようもなく。

 父が死んだ。もう五年も会っていなかった父が。

 四年。僕は自宅への帰省を拒み、外部を目指して奔走した。否、その『まねごと』をした。高等専門学校の中で、僕はその方へ──光が、未来が、あると思えた方へと走っているつもりだった。だが終わってみればなんてことはない、そこはまったく外部などではなかった。それもやはり、「街」同様に倦み疲れた箱庭にすぎなかった。

 

 そしてそうした薄暗い青春が過ぎ去り、僕は社会人になった。

 社会人、という言葉は、大抵の場合適切ではない。それが指すのは大抵の場合、ある集団に帰属した個人であって、それはおよそ社会化からはかけ離れた行為だ。諸法と諸々の倫理に貫かれた空間としての学校と企業との間に、修辞法的な、明瞭な懸隔があると僕には思えない。しかし僕の場合、企業に属するということはたしかに社会化を意味した。なにせ学校での四年間は全寮制で、かつ僕はそのうちに引きこもり続けていたわけで、そこに社会の介在する余地はない。

 アニメを作っていた。たった一人で、誰に頼ることもなく。

 だがあの四年で、僕がアニメという言葉を発したことはほとんどなかったように思う。

 僕は常にそれを「映画」と呼んだ。時空間のすべてが統御された、ソリッドな光の連なり。それこそが映画であり、それを実現するためのメディアとして、僕はアニメ以外のものを考えられなかった。

 

 すべての間違いはそこから始まったのだろう。

 二十分前後の作品を作るのに、僕は三年を費やした。大枠は最初の半年程度でできていたのだが、細部を詰める過程で指数関数的に費やさなければならない時間が増大したのだ。だがその間に、社会は決定的に変わってしまった。無論、その中でも人は生きていくのだし、そのための適応能力は大体の奴には備わっていたはずだ。問題なのは、すべてを統御しなければ成立し得ない映画においては、その適応能力すらも作り手が仮構しなければならないという点だった。

 まだるっこしい表現に逃げてしまったので、ここらで端的にいえば、僕の作り上げた作品は、発表した時には決定的に古くなってしまっていた。

 結果、学生映画祭で、その作品は箸にも棒にもかからなかった。その年のグランプリは東京の芸大生が獲得していた。

 そして一年、僕は抜け殻になった。新しいものを作る気力はもうどこにもなかった。というより、僕は恐れていた。作るものすべてが古び、世界から拒まれるということ。そのすべてが恐ろしかった。だがまた、その恐れによって自分が潰れてしまうことはどうしようもなく腹立たしかった。そしてそれらの情念の相剋からは、到達点を失った焦燥感が湧いた。蛆(うじ)のようにそれは蠢き、意識のすべてを侵していった。だからなのだろう。僕は就職した後も、そこに適応することができなかった。

 無論それも脚色した表現だ。こちらは害性があるのでさらにたちが悪い。僕は些細な諍いから会社の備品を叩き壊し、自主的に退職したのだ。そんなわけだから当然退職金は出なかった。恐ろしく無様な言い訳を許してもらえるなら、その時点で僕は何かしら病んでいたはずだが、それは今となっても定かではない。心療内科にも、精神科にもいまだかかってはいない。ふざけた話だ。

 

 そして、そうこうしているうちに父が死んだ。

 父の死と帰郷。まるで夏目漱石だ、と、ちらりとそんなことを考えたりもしたが、僕の『こころ』には一章も三章もない。始まりも終わりも、僕にはない。導師もなければ殺人者もいない。そのような「外部」を失った世界に、僕は生きている。生きざるをえなかった。──本当に?

 

 「お待たせいたしました、塩ラーメンでございます」

 店員のしゃがれた声に、ふと我に帰る。ここは街中のラーメン屋で、今は注文を待っていたところだった。

 軽く会釈をすると、僕はラーメンを啜り始めた。ふと、肘の位置に据えられたアクリル板に、辛気臭い男の顔が写るのが見える。自分の顔というのは、公共の場では常に不意打ちとして現れる。最も現れてほしくない顔だ。

 僕は視線を逸らし、普通の家庭であれば神棚が置かれている位置に備え付けられたテレビに目をやった。そこでは数年前にワイドショーが再編成されて生まれた、奇妙なバラエティー番組がやっていた。芸人だかタレントだかを特集する、毒にも薬にも、ひょっとしたら広告にさえならない浮薄な番組だった。僕はスープに口をつけ、テレビから目線を切ろうとした。

 

 ──それで、目が合う。

 テレビの中。多分公開収録なのだろう。呼び集められ、並べ、座らされている、着飾った一般人たちの群れを縫うようにして、それは立っていた。

 白い人型。それは相対的な評価ではあるが、つい先日見たものよりもずっとくっきりしていた。抽象画のように、その顔にも皮膚にも、人間らしいディティールがぼんやりと浮かんでいる。

 ふとその影を、テレビクルーが貫いた。カンペを見せるために位置を移動した一人だ。それで影に肩が触れた。そして貫通する。それはホログラフィーのように、クルーと重なっていた。

 僕はしばし呆然とそれを眺めていたが、やがてラーメンへと向き直った。

 テレビからは、変わらずタレントの耳障りな笑い声が響いてくる。

 

「で、辞めちまったのかい」

 言われ、僕はあいまいに相槌を打った。苦笑とも微笑ともつかないあいまいな反応だった。

 場末の喫茶店。中学の頃の友人に呼び出され、僕はそこに来ていた。

 気の合う奴だった。趣味も性格もまるで似てはいないが、なんというか、心の形が似ている奴だった。まとう雰囲気が、まさしく自分そのものだった。学内でそいつを見かけると、僕はどきりとしたものだ。ドッペルゲンガー、という単語が頭をよぎったことを思い出す。

 そいつはコーヒーを啜り、芝居がかった調子で続けた。

「どうすんだ、これから」

 本当に芝居だった。それはかなり前に、一緒に見に行った学生映画──『追憶と葬送』とかいう映画のセリフだったはずだ。セリフの途中で不自然なカットが入ったので覚えていた。そしてその振る舞いは、節回しから姿勢まで、完全に一致しているのだった。彼なりのジョークなのだろう。滑ってはいるが。

「考えてないな」

「考えろよ、おまえの人生だろう」

 教師めいた口調だが、不思議と腹は立たなかった。

「そうだな……」

「戻ってこいよ、おまえに都会は似合わん」

「うん……まあ……」

 あいまいに返し、こちらもコーヒーを啜り、一息つくと、僕は窓の外に視線をやった。歩道橋、路面電車、そして国道を覆うように溢れる車。それらは端的に、いまいるここが中心街であることを示していた。

 しかしここもやはり「外部」ではない。そこは空虚な中心で、腰を落ち着けるにはあまりに浮薄すぎた。

 ふと、職場のあった街を思い出す。それは隣県の中核都市で、人口規模としてはここらとそう変わりはなかった。しかしその栄え方にはどことなく洒脱なところがあり、やはりこことは決定的に隔たっていたように思う。とはいえ、その洒脱さはどこまでも俗悪にしか感じられず、そのために僕はそこに住み続けることを拒んだのだ。

 翻ってここは、憂鬱こそないものの、やはりどこか倦み疲れているように感じられた。空虚な中心。偽りの繁華。そうした詩情が浮かんでは消えたが、それらの言葉は、この街には心底似合わなかった。

 

「……どうした?」

 ふと声をかけられ、僕は我に帰った。意識は窓の外にあったが、彼の言葉は聞いていたはずだ。追加でモンブランを注文する声は聞こえていた。何か話しかけられたわけでも、それを無視したわけでもないはずだ。

「なんでもない」

「……そうか」

 この距離感が心地良い、と思う。

 彼は決してこちらに踏み込んでは来なかったし、僕もまた、彼に踏み込もうとはしなかった。一度も彼が家に遊びに来たことはないし、僕もまた、遊びに行ったことはない。そして何の用事も目的もなく、ただ、こうして合い、演技じみた言葉を交わす。

 ──だがたぶん、それは不健全なのだろう。

 僕は多くのものをこの手から溢してきた。その中の人に、こうした関係への安心も──逃避もあるのだと、今になって思う。

 適切な距離感が掴めないから、遠ざける。あるいはぎりぎりまで接近して、失望して、離れる。その繰り返しの中で、いつしか他人の輪郭を僕は掴めなくなっていった。それは苛立ちに変じることも、悲しみに変じることもある、致命的でまた分かちがたい現実の、自己のありかただったが、それは今更どうすることもできない。

「お待たせいたしました、モンブランでございます」

 その声に、僕は顔を上げた。

 ──そして、目が合う。

 テーブルの横、本来なら店員がいる位置に、それは立っていた。

 もうそれは「影」でも「人型」でもなかった。それは立派な人間だった。

 分かってしまった。それが何ものなのか。

 分かってしまった。それが近づいてきていることを。

 ──「そのとき」は、たぶん、もうすぐだ。

 

 シネコン。シネマ・コンプレックス。

 県内にただ一つしかないそこに、僕は訪れていた。親戚一同の集まりから──すべてから逃げるようにして、僕は一般料金のチケットを発券し、仄暗いスクリーンの中へと滑り込む。

 ──そして、目が合う。

 スクリーンの中空。シネコンのロゴマークが浮かんでいるはずのそこに、それはいた。

 それは僕自身だった。僕の顔をしたそれは、陰鬱な表情のままこちらを見ている。観客のように、あるいは狩人のように。

 僕は座席に座ると、そいつに向き直った。

 こんな顔をしていたか、と思う。それは鏡に映るそれとも、写真に映るそれとも、決定的に異なっているように見えた。その顔に浮かぶ陰鬱さは、僕が表出するはずのない、内奥に押し込めたもののはずだ。そしてそれはまた、この街そのものの陰鬱さでもある。

 僕としての街、街としての僕。

 それが今、圧倒的な存在感をもってスクリーンに顕現している。

 そうこうしているうちに客はどんどんと入ってきていた。カップル、子連れ、老夫婦。誰もが、どこか浮ついた表情でスクリーンに入り、囁くように談笑しながら座席についている。銀幕の異常を感知しているのは誰もいないようだ った。

 

 ──だからたぶん、これは「僕」の問題なのだろう。

 映画は、僕にとって唯一の「外部」だった。映画だけが僕にとっての、この街にとっての外側だった。だがいま、その向こうにはむき出しの僕が居座っていて、こちらを見据えている。

 やがてそいつは、暗闇に閉ざされたスクリーンの中で、ゆっくりとこちらに迫ってきた。

 僕を迎えにきたのだ、とふと思う。

 それは確信だった。何の根拠もなかったが、それこそが確信をより強固なものにしていた。

 それは安らぎなのだろうか。あるいは──。

 何一つとして掴めないままで、僕はその瞬間を待った。

 ──目は、いまだ合い続けている。

 僕は透明な気持ちで、ただその瞬間が到来するのを待った。