俺はあいつの考えが許せなかった。あいつの考え方が理解できなかった。
夕暮れ時の通学路。落ちていく夕日を背中に背負って、伸びていく二つの影を追いかけた。この話はそんな何でもなかったあの日を語る、ただの独りの思い出話。もう過ぎてしまった「過去」の物語。
「お前よくそういうけどさー気になんないの?」
「んー別に気になんない」
当時中学生だった俺には小学校から仲の良かった福野という友だちがいた。彼女とは別々のクラスだったけれど、帰る方向が一緒だったということもあってよく待ち合わせをして帰っていた。
「というか何でリクは気になるの? もう決まったことなのに」
「いや、何だってそうだろ? この話だけじゃない。なんだって根拠がないと、相手の意図とかも分かんねえじゃん」
夕焼けに染まったアスファルトの上をトボトボという擬態語がぴったりな歩幅で歩く。
「そっか」
「そっか。ってお前は全部そうやって受け入れられるのかよ」
「んーそんなことないよ。私だって気になることの一つや二つあるよ。だけどこの世界のほとんどは理由なんていらないんだよ」
「気なることが一つか二つって、お前森羅万象に興味なさすぎじゃね? つーかそんなんじゃ何でも納得できないだろ」
「納得?」
「おん。例えばさ、お前が急に、えーとあやに叩かれたとするだろ」
「うん」
「じゃあなんで叩くのってならねえ?」
「ならねえ」
「なんでだ!!」
「そんなことよりあやちゃんには一刻も早く謝ってほしい。今から電話かけようか。あ、もしもし」
「まて、落ち着け福野。お前を叩いたあやはパラレルワールドの住人だ。それにお前は今携帯してねえ」
「そっか。危ないところだった」
「そっかじゃねえよ。なんで『なんで』にならねえんだよ。納得いかねえだろ」
「さっきから納得って何?」
「だから、根拠がねえと叩かれた怒りが収まらねえだろって」
「根拠があったところで平行世界の私の怒りは収まらない」
「いや、仮にその叩いた理由が福野の顔に蚊が止まってたからだったらどうだよ? な? なるほどってなるだろ?」
「ならねえ」
「だからなんでだ!!」
「そんなことを言われても私にできた傷はなくならないから。私の心は癒えないの」
「まあ傷はなくならないけど……」
「慰謝料でしか癒えないの」
「現金かよ!」
「それに理由なんて言い訳と変わらない」
「言い訳か……」
「例えばね、リクが授業に遅れたとする」
「嫌な予感」
「それで先生が遅れたらダメだよって言う」
「その先生ぬるっ」
「そこでリクは寝坊したとか、道を忘れたとかって理由をだすの」
「道を忘れたってなんだ」
「だけど遅刻したこと自体が罪なんだから」
「まあ……言いたいことは分かるよ」
「リクは全員の靴をなめるべきでしょ?」
「おい罰重すぎだろ!!」
「ほらね、理由なんてその人が妥当性があると思ってる言い訳でしかない。起こってしまった事実は変わらないんだよ」
「えーでもさ、おばあさんを助けてたとかさ、ほら、インフルで公欠なんてのもあるじゃん。やっぱ理由は必要だよ。言い訳って呼んでもいいけどさー」
「だから私はなじめないの」
「え?」
「……事実でしか測れない。彼らの言ったことなんて姑息な作り物にしか聞こえない。だから理由なんていらないの」
「そうかなあ」
「そう。リクは納得なんてしなくていい。だってもともと意味なんてないんだから。生まれたことに理由なんていらない。死んだことに理由なんていらない。この世があることに理由なんてないんだから。言葉なんて全部嘘かもしれないんだから」
「え、何? どうしたの?」
「別に。気分」
「気分って」
「もう、蚊が止まってて、おばあさん助けてたの!」
「その理由万能じゃねえからな! 何でも酌量されると思うなよ」
「いいし。だから言ってるでしょ。過ぎたことは終わったことなの。それに理由なんていらないの」
「はいはい」
そんな会話を俺は土砂降りの雨の中、思い返していた。何でもない、ただのありふれた帰り道。彼女とのたわいもないバカ話を、思い返していた。
傘は持っていない。今朝は晴れていたから今日は降らないと思ったんだ。俺は今でも根拠を大切にしていた。そのひとが選んだ道はそれなりの考えがあってのことだし、そのひとがそうなったのにはそれなりの背景があるんだ。
その背景とか環境を知ることで世間一般の正当性を判断してきたんだ。きっとそう考えた方がうまくいくし、根拠もなく騒いでいるやつらはこの世界線じゃ、狂人認定だろう。
俺は未だにあいつの考えが理解できなかった。
……だけど大人になってまあ根拠がなくてもいいと思えることが、一つや二つできてきた。
雨が何回にも渡って服の色を濃くしていった。雨水自体がこの色なんじゃないのかと思った。もう二度とこの服は乾かないんじゃないかと思った。
コンビニで傘は買わなかったし、雨宿りもしなかった。理由は今日は降らないと思ったから。俺は根拠を大切にしていた。
だけど彼女は高校生の時に死んだ。福野は俺と別々の学校に進学し、下校中に通り魔に遭い、刺されて、死んだ。
俺はなぜ彼女が死ななければならなかったのかを知りたかった。なぜ刺したのか、なぜ彼女だったのか。殺人犯は裁判所で色々と理由を並べていた。だけど俺には自分の罪を少しでも軽くしようとしているようにしか聞こえなかった。ただの言い訳のようにしか聞こえなかった。
犯人は捕まり、俺はずっと「なぜ」を追いかけていた。なぜ? なぜ? なぜ? どれだけ問うても答えは返ってこなかった。福野が死んだことに変わりはなかったし、あいつが殺したことに変わりはなかった。
それから何年かたって殺人犯であるあいつがこの間出所したらしいということを知った。あいつの顔を忘れた日なんてなかった。俺はあいつの考えが許せなかった。あいつの考え方が理解できなかった。
だけど俺は今、包丁を持っている。あいつが彼女にしたことをそのまま返してやるために俺は土砂降りの中立っていた。雨は警報のように耳元でザーザーと騒ぎ立てていたし、包丁を握りしめる右手を下げさすように、上から何度も落ちてきていた。
コンビニから出てきたぼさぼさ頭が目に留まる。傘を広げ、歩き始めた背中を俺は静かに追いかけた。
あいつの周りに人影はなく、灰色の線が降りしきる中、トボトボとくだらない速度で歩いている。
こんなことをしても彼女は生き返らない。こんなことをしても俺の心は癒されない。だけど――
俺はあいつの頭を掴むと背中に包丁を振り下ろした。何度も何度も。
――だけどこの行為に理由なんていらない。
赤く染まった背中と俺の腕を見て、もうこの服は乾かないのだと確信をもって悟った。洗い流そうとしてくれている雨を仰ぎながら、手遅れだとあざ笑うようにもう一度刃を突き立てた。
雨は諦めたのか、今はもう涙を隠すために降っていた。
もういい、もういいよ。理由なんて、いらないんだから。
これは二度と戻らない過ぎ去ってしまった「過去」の物語。