中編/バタバタ
一 忍と出会うまで
一九五O年代半ばの十月、その男は生まれた。母をエミ、父をアキラといった。親子ともども喧嘩っ早い気性で家の物はしょっちゅう壊れた。何でも一番になれ!という教育のもと、男は勉強だけは必死でやった。成績がよくないとエミから口を引っ張り上げられて身体ごと持ちあげられる。エミは体も大きく、声も大きかった、力の強いもの、声の大きい者が強い。そうした家庭環境で男は育った。そのうち、成績だけでなく、エミの意にそぐわないことがあると、成績がよくないときと同じように口を引っ張り上げられるものだから、男はだんだんと無口になっていった。怒りを我慢の限界までためて、一気に爆発させて暴れる。そうした破壊者的な下地はこのころから持ち合わせていたのだ。
男は学校の教師と女子が大嫌いだった。教師はきれいごとしか言わないただのバカ、女子はベラベラうるさい生意気な生き物と思っていたらしい。それはそうだ。なにか言いたいことがあっても親に力でねじ伏せられ、言いたいことも言わせてもらえなかった幼少期を過ごした男にとって、きれいごとを言うだけの教師と、ペラペラうるさい女子が敵と感じてしまうのは当然である。そんな男も中学生のころになると親の体格に見劣りしない体となり、親からの暴力的な行為は次第になくなっていった。そうした男ではあったが、知的好奇心は非常に高く、勉強熱心であったこと、その頭脳は学校ではオール五は当たり前、学力は周囲の誰もが認めるところだった。しかし、ここにも闇がまた存在した。自分より勉強のできない奴には教えたくないという信念だ。男は大学進学の際、東大に行くつもりで勉強をしていたが、親から東京に行くことは猛反対され、仕方なく地方国公立へ入学する。そこで男は格の違いを見せ、通うことになった大学で好成績をおさめるだろうと高校までの男を知る人は誰もが思った。しかし、男はそこではあえて好成績をおさめず、単位取得ギリギリの点数ばかり取っていた。その頭脳を使い、このくらいやれば、このくらいの点数は取れると計算し、単位を取っていた。
現代の大学とは違い、男が大学生だったころは出席点など存在しなかった。期末課題一発勝負が普通だったので、大学にはテスト期間しか行かず、単位を取っていた。それでは、空いた時間は何をしていたのだろうか。男は二つの顔をもっていた。一つは、パチンコ、麻雀、賭け事で遊ぶ学生の顔、そしてもう一つは家庭教師としての顔である。男は自分自身が東大に受験すら止められた悔しさを、東大を目指す高校生に勉強を教え、合格に導くことでその悔しさを晴らそうとした。それは、自分より勉強のできない奴ではなく、俺を超える可能性をもった奴に教えるのだから教える意味があると自分自身を納得していたようだ。
エミ・アキラ・男の親子三人はいずれも外面はよく、周りからは優しい人たちと思われていた。まあ、人間誰でも家の顔と外の顔が全く一緒の人はいないと思うが、それにしてもこの親子は極端だった。結果、男は大学時代で、四人を教え、三人を東大合格、残る一人も京大へと導き、百発百中の男と呼ばれた。その実績に、教育界からスカウトがきたが、自分より勉強のできない奴に教えたくないという信念のもと、一般企業に就職する。
そして男は二十代半ばとなった。現代でこそ、四十代での結婚も珍しくないが、当時でいえば結婚を意識しなければならない年代となった。しかし、前に書いたように、男は女子が大嫌いだ。当然、結婚も考えてはいなかった。そんな男だが、親や親戚の手前、する気がなくても一度くらいはお見合いした事実を残しておこう。そう考え、生涯で一度だけお見合いを引き受けた。それが結婚することとなる忍との出会いだった。
二 忍と同居生活
忍は両親を幼いころに無くし、父の兄夫婦に育てられた。その兄夫婦も高齢となり、育ててくれた兄夫婦に結婚した姿を見せて恩返しがしたいと今回のお見合いを受けた。せっかちで乱暴で仕事のストレスをこれまで酒とたばこで紛らわせ、かたくなで強情な、その姿をみれば結婚したいという相手などいるはずもない男だった。しかし、忍の前ではその男もそうした一面は全く見せなかった。騙そうと思ったわけではない。男が、素直な気持ちを、外面ではなく、初めて見せることができた人、それが忍だったのである。そして二人は出会ってからわずか二か月で結婚した。
しかし、この選択が後に忍を苦しめることとなる。そんなわずか二か月で相手のことを知るというのは簡単なことではない。結局、忍は男の乱暴な部分をみることなく、結婚したのである。
やがて忍は子どもを身ごもる。しかし、男は忍が妊娠をしてもタバコを忍の前で吸い続けた。今は妊婦の横でタバコを吸うのはご法度だが、当時はそこまでではなかった。とはいえ、健康にいい影響は与えないことは知られていた。忍はそうした男のタバコの煙を吸いすぎたことが原因で、早産となり、生まれた子どもも重度の喘息をかかえて生まれてきた。忍と男は、子どもをヒカルと名付けた。しかし、またここからが忍の苦労の始まりだったのである。ヒカルがそのような状況で、子育てに不安を感じた忍は、エミとアキラとの同居を男に提案する。もちろん、男は自分の親でたくさんの嫌な思いをして育ってきたので、その提案を全力で反対した。しかし、忍も言い出したらきかない性格なので男が最終的には折れた。このとき、忍にはエミとアキラの外面の良い部分しか、知る由がなかったのである。
男、エミとアキラの三人は、普段はそこまで凶暴でないのだが、一度怒り出すとそこからは手が付けられなくなってしまう。壁を壊したり、ガラスのコップを投げつけたり、握りつぶして割るようなことも珍しくなかった。世間体をすごく気にしながらも怒った時の大声は、完全に尋常ではないそれにあたるものだった。今まで警察沙汰にならなかったことが不思議なくらいだ。
忍は小柄だったが、他の三人は体格も大きく、力も強かった。そうした母親がおびえ、危ない目に合う様子を見てヒカルは育った。力こそすべて、大きな声を出したもの勝ち。そうした家庭環境であった。顔が傷つき、あざなんて普通にできる。
忍を育ててくれた兄夫婦は忍の結婚後、すぐに他界し、忍には帰る実家もなく、ひたすら耐える日々だった。そしてエミは日々続く親戚への愚痴不満を忍に投げつける。それを毎食後一時間以上聞かされる。これでは食事ものどを通るわけがない。無論、同じ屋根の下住んでいるだけに逃げ場もない。そこで食事に降りていかないと、「なにしてんの、あんた!」と怒鳴られる。忍とエミの体格差はまるで大人と子どものようだ。自分の息子である男が子どもの頃にしたように、エミは忍を支配していった。その愚痴もただ聞いていればいいのではなく、エミの考えに沿うような意見を求められる。あるとき、忍が疲れからウトウトとしてしまった。そのときも烈火のごとく怒られた。もちろん、そこに対価は発生しない。忍とエミの体格差はどんどんと開いていった。
そんなエミだが、ヒカルには怒りを向けることはなかった。孫の特権とでもいうのだろうか。しかし、忍を男、エミ、アキラの三人がいいように使っている。そんな姿を日常目にしているので、ヒカルは三人に対し、いつか痛い目を見るがいいと「因果応報、盛者必衰」と呪文のように唱え続けた。自分を産んでくれた忍が、毎日ひどい目にあっている姿を見る。これは直接、自分が受けていなくとも立派な虐待の一つである。自分自身が何かされる以上に、身近な人が傷ついている姿を見るのは耐え難いのだ。
あるとき、あまりに巨大化するするエミの姿に耐え切れなくなったヒカルは、食事を一週間食べず、水だけで過ごす反乱を起こした。さすがにそのときはエミの食欲も多少は落ちるものの、喉元過ぎれば何とやらで、根本的な解決には至らなかった。
三 エミとアキラの最期
そんなヒカルもやがて大学生となった。ヒカルは忍の味方に自分だけでもいなければとの思いから大学では心理学を専攻した。しかし、ヒカル自身も重度の喘息で入院するような体だ。そして家に帰れば忍の悲しそうな顔を目にする毎日で、心身健康とは言えない状況であった。そうしたなか、ヒカルは大学からカウンセリングをすすめられた。そこで初めてヒカルは家の辛い状況をそのカウンセラーに打ち明けた。一生分泣いたのではないかと思うくらい、ヒカルはカウンセリングの場では泣き続けた。
そうした中で変化が起こる。アキラがアルツハイマーになってしまうのだ。そこからの転落はすさまじかった。ヒカルの流した涙がまるでアキラに復讐をしたようだった。時を同じくして、男は家を離れる。仕事の都合と言いながら、急に単身赴任を決めたのである。明らかにアキラから逃げようとしていた。そして、ヒカルと忍は介護に追われるのである。しかし、エミはアキラの不自由になっていく様子を受け入れられず、発狂を繰り返した。そのたびにヒカルと忍が飛んでいく。そんな日々の中で、アキラの症状はますます悪化し、家で生活できるような状況ではなくなった。そして数年後、アキラは息を引き取る。アキラはよく物を壊すなど、非常に激しい性格だったが、最後には体を動かせなくなって亡くなった。乱暴な振る舞いを続けると人生は悲しい最期を迎えるのである。
夫が亡くなっても、しばらくエミは元気だった。しかし、昔から食べたいものを食べたいだけ食べる生活を続けて、百キロを超える体はついに悲鳴をあげ、食事制限が課されることとなった。当然、そこでおとなしくしているエミではない。発狂の頻度はますます上がり、ヒカルと忍を苦しめた。エミはとても気が強く、また依存体質もあった。自分が動きにくい体となっていく中で、元気に動いている人を見かけると怒りをあらわにするような人だ。忍はエミが暴れないように一日中相手をする。そこに自分の時間は全くなかった。エミはだんだんと悪くペースも遅くなる。しかし、忍はその歩くペースにあわさなければならない。少しでも忍が早く歩いてしまうと怒鳴りつけ、そうかといってうまく合わせていても感謝されたことなど一度もない。どんな優秀な介護ヘルパーもエミの要求には応えられなかった。その要求を受け止めていた忍は、エミの奴隷といっても大袈裟でないくらい、いいように使われていた。しかし、やがて乱暴な食生活で壊れた体は日常生活を送ることが困難となり、病院で最期を迎えた。
これで、ヒカルと忍にようやく安堵のときが訪れたかに思われた。しかし、ここからまた新たな火種が現れる。そう、男が単身赴任から戻ってきたのである。
四 男の横暴と罰
単身赴任という名目で家を離れ五年。その間、ヒカルと忍が介護と戦ってきたことなどお構いなしだ。力の強いもの、声の大きい者が強い。そうした家庭環境で育った男にとって、エミとアキラのいなくなった家は自分が一番強い立場になれる、そんな環境だった。そしてまた急に男は仕事を早期退職した。男にも暴力的な素地は多くあった。自分の決めた毎日の生活習慣があり、それができないと機嫌を悪くする。声も大きい。男は今まで親や仕事で我慢してきた部分を一気に開放するように忍に感情をぶつけた。対価の発生しない仕事はしないという、プライドだけが退職してもなお根底にあった。男が胸を張れるだけの社会的地位を築いていたことは確かだが、退職してもその栄光が忘れられないのか、会社で指示を出すように、ヒカルと忍を部下扱いしていた。それで男がやっていることはといえば、ネットゲームである。なんでもそこで獲得したポイントで買い物などができるらしい。それが男の言う対価らしいのだが、内心バカバカしいと、ヒカルと忍はあきれていた。また、男もまるで犬を散歩させるように、どこへ行くにも忍を連れていく。忍には自由がなかった。男もまたエミの依存体質を受け継いでいた。忍は近所の人に言われたらしい。エミと男が入れ替わっただけで、忍さんが大変なことは全く変わってないね、と。
男は極度の人嫌いで、近所付き合いも全くと言っていいほどなかった。そのようななかで忍に対する締め付けはさらに強くなり、横暴さを増していった。男は酒とたばこが大好きで、始終どちらかを口にしていた。なんか少しでも気に入らないことがあると、すぐたばこを吸う。一日三箱は吸うほどたばこに生活を支配されていた。そしてお酒は紳士としてのたしなみならまだよかったのだが、当然そんな品のよいのみ方ではない。一番身近で、一番安いお酒を大量に飲む。とにかく男はそのすべての行動が乱暴だった。
しかし、いくら乱暴なことをしていても体は正直である。男は、肝硬変と肺の機能の低下で入院することとなる。男の病院嫌いもこれまた有名だった。風邪にしても近所の歯医者にしても、もう駄目だというような状態になるまで行かない。まあ、それでしんどい思いをするのは自分自身だし、結果的に異変は放置するとその治療にも時間とお金がかかり、いいことは全くない。勉強や仕事は人並み以上にできた男だが、そこはいつまでたっても学習しなかった。そのときの入院で医者からタバコとお酒を今までと同じように続けると今度は命にかかわる疾患を発症する恐れがあるといわれ、一度は両方止めるもすぐに我慢できなくなってまた元の生活習慣に戻ってしまった。忍とヒカルにそれを食い止める力はなかった。のちにこの行動が後悔してもしきれない事態を招くこととなる。
肝硬変の入院から一年、男は口に違和感を覚える。いつも大きな声を出して感情をむき出しにしていたが、あるときから急に声を出すのが苦しくなったのである。男は舌癌と診断された。舌を切除しなくてはならない状況となっていた。舌をなくすということはつまり会話が困難になるということである。今まで忍のことをさんざん怒鳴りつけ、退職してからはコンビニの店員の態度など、些細なことにまで腹を立て、よく言い争いをしていた。やはり乱暴なことをし続けているとそのしっぺ返しは自分に返ってくるのである。
そしてまた手術のために男は入院した。ここで忍とヒカルにその間だけでも安心した日常が戻ってくる、というのは考えが甘かったようだ。今は世界的な感染症の流行で病院の面会は禁止されている。しかし、その程度のことでおとなしくしている男ではなかった。昔は連絡を取る手段は限られていたが、今はインターネットが当たり前の時代。今度はLINEを使って忍への締め付けを強化したのである。一度で済むことをわざわざ二回に分け、一日二回病院に来ることを強制した。指示に従わないと、病院で暴れることは明白だった。タバコもお酒も、しゃべることまで奪われて、感情を自由にぶつけられる都合のいい相手、忍がそばにいるわけでないので、その怒りの感情は必然的に近くにいる看護師や医師に向けられた。
こうしてヒカルは胸に誓うのである。このような男にだけはなってはいけないと。だから、自分より年下であるなど立場の弱い相手に対しても乱暴な真似は人としてしないと自分自身に言い聞かす。なめられているだとか、バカにされているように見えるかもしれない。しかし、力の強い者、声の大きい者が強い。もうそうした家庭環境での歪んだ常識は常識でなくして生きていきたいのだ。
了