邪眼†探偵

阿久津庵

 本の匂いが好きだった。
 雄大な放牧地を思い起こさせる新刊の匂い。親戚のおばあちゃんの家が脳裏をよぎる古本の匂い。細分化するとキリがないが、書物にはすべからくドラマがある。それは、時に言葉よりもずっと雄弁に語るのだ。
 ゆえに、乾(いぬい)藤郎(ふじろう)、ここにあり。

 

 二月十五日。バレンタインデーという親からチョコレートを貰う恒例行事から一夜明けた日のことである。空は厚い雲が覆ってなんだか薄暗い。中学校を後にした僕は、自然な足取りで馴染みの場所へと向かっていた。
 それは、開放感に満ちたガラス張りの建物である。
 市内でもそれなりの賑わいを見せているブックカフェ、『日の目』。本屋と喫茶店が合併した一種のアミューズメント施設だ。新刊と古本の両方をバランスよく取り揃えており、幅広い年齢層からの支持を得ている。
 駐輪場にたむろしているガラの悪いバイク集団を横目に通過。やや遅れて自動ドアがゆっくり開くと、こちらに気づいた店員さんがレジスター越しに大きく手を振った。健気な表情がいとおしい、生粋の美人さんである。
「おっ、今日も来たねイヌ君」
 生来、僕は人一倍に鼻が利いた。両手をグーにして、「どちらの手に百円玉が入っているでしょうか」といった類いの賭けには負けたことがない。匂いでわかるのだ。中学校に入るまではわりと自慢に思っていたが、そのエピソードをうっかり漏らしたせいで目の前の女性に妙なあだ名をつけられる羽目になる。
 それにしたってイヌはないだろう。
 僕をからかうような呼称はさておき、似(に)鷹(たか)未来(みらい)は綺麗な人だ。墨色のショートカットに、デフォルメされた鷹があしらわれたエプロン。含みのない快活な笑みには否応なくドキドキさせられる。
「どしたの。模試の成績がよくなかった? 参考書探したげよっか」
「模試はB判定です。お陰様で」
「やるじゃないの。つまり、あれだね。このまま順当に行けば四月からわたしの後輩君になるわけだ」
 小鳥が羽ばたくような軽やかさで、彼女は古本の埃を払う。
 似鷹さんは『日の目』の一人娘であり、地元の進学校に通う高校一年生だ。歳は中三の僕と一つしか変わらないというのに、なぜかとても大人っぽい。
「それで? イヌ君、今日はどんな参考書をご所望だい」
「ああ、いえ。今日はちょっとした息抜きです。ここのところずっと勉強漬けだったので」
「勉強漬け、かあ。わたしもいっぺんは言ってみたいな」
 志望校の現役生が言うと嫌味にしか聞こえない。もちろん、本人に悪気はないんだろうけど。似鷹さんは天井を仰ぎながら裏表紙に税抜き百円の値札を貼りつける。手元にはラベラーと呼ばれる小さな機械。似鷹さんの表情は、ロマンに思いを馳せる少女のそれだった。
「たまには夜空とか見てみなよ。宇宙の広さに比べたら人間の悩みがいかに矮小かがよくわかるからさ」
 カシャンカシャン、と規則的に値札が貼られていく。僕は似鷹さんのに釣られて視線を上に向ける。自己主張の激しい監視カメラと目が合った。店内に張り巡らされた単眼だが、そのすべてがハリボテであることを僕は知っている。似鷹さんいわく、目を光らせておくだけでも抑制力はあるのだとか。


 ブックカフェ、『日の目』。
 ここは僕にとって第二の我が家である。なにせ本の匂いに囲まれて勉強ができるのだ。加えて、淹れたてのブレンドコーヒー。場所料金という名のコーヒー代(三五〇円)は中学生の財布にとってそこそこの痛手だったが、それでも足しげく通い詰めているのは、やっぱり似鷹さんに会いたかったからだと思う。我ながら実によこしまな理由だ。
「でも、そっかあ。イヌ君ももう高校生なんだね。どう? 記念に一杯」
「確認ですけど、コーヒーですよね? いただきます」
 似鷹さんはいじわるっぽく微笑んだ。
 ブックカフェ『日の目』の会計周りは少々特殊な作りとなっている。いま似鷹さんが立っているのは書店側のレジで、そのまま横にスライドすると喫茶店側のレジに様変わりする。バーカウンターを真ん中でバッサリ二分したような様相だ。
 週末になるとそれぞれのレジに店員がつくのだが、今日は平日の夕方ということもあって客入りは控えめ。それゆえ、『日の目』のレジ周りは似鷹さん一人でこなしている。
「じゃあ、いつものでいいよね?」
 こちらの返事も待たず、似鷹さんは後ろのエスプレッソマシンでコーヒーを淹れ始める。まさしくいつもの光景なので僕も特別なにも言わない。店内の有線放送は流行りのJ‐POPを延々と垂れ流している。それに耳を傾けつつ、僕は財布から百円玉を四枚取り出した。
 ちょうど目の前にコーヒーが出された、その時である。
「なぜこんなことをしたのですか」
 妙齢の男の声。
 カフェスペースではなく、本棚の方からだ。なにやらトラブルの匂いだが、それより今はコーヒーである。厄介事に関わるのは御免だ。
 本棚の隙間からぬっと現れたのは、ダンディなチョビ髭が特徴的な大男。彼は英国紳士……ではなく、『日の目』のれっきとした店長だ。下の名前は知らないが、似鷹さんのお父さんであることには間違いない。
 いやに筋肉質な店長は、目つきの悪いの少年の腕をガッチリと掴んでいた。似鷹さんがカップをカウンターに置く。
「ちょっと、お父さん。お客さんになにしてんのよ」
「ん? おお、未来か。いや、この子が先ほど商品の本を通学鞄に仕舞っているのを目撃してね。そのまま立ち去ろうとしていたから、少しだけ声を掛けさせてもらったんだ」
 店長は髭をちょいと摘まみ、少年の方に視線をやった。そのゴツゴツした手には小難しそうなハードカバーがある。盗んで帰ろうとしたのを、店長が一度鞄から取り出させたのだろう。
 ニワトリみたいな顔の少年はポケットに手を突っ込んで短く息を吐く。
「おい、ねーちゃん。そこのおっさんの言ってることは間違いねえよ。俺は、店のもんを盗もうとした。ちと手元が狂っちまったがな」
 少年の潔さには驚いた。見た目で判断するわけではないが、てっきりもう少し抵抗するものかと思っていた。
 カフェカウンターにやってくる店長と少年に向けて、似鷹さんはゆっくり口を開いた。
「ところでさ。えっと、君……」
「蓮(はす)久米(くめ)高校二年の、小山内(おさない)っす」
「小山内君。君はどうしてこの本を盗もうなんて思ったの?」
 さらっと僕たちより年上であることを明かした少年は、その細長い顔をわずかに歪ませた。
「なんでって。万引き犯にそんなこと訊くか、普通? 決まってるだろ。どうしても手に入れたかったからだよ、その本をな」
「いいや、違うね」
「なんでだよ」
「だって、その手に持ってる本」
 小山内を含めた全員の視線が、彼の手元に集中する。本人は過ちに気づいたらしい。咄嗟に後ろへ隠そうとするが、店長がそれを強引に取り返す。英国紳士は渋い声でタイトルを読みあげた。
「『恒星間小惑星ZO(ゾ)‐(ー)GE(ゲ)の破壊と救済』……かなり色褪せた古書ですが、これまたずいぶんと難しそうな本ですね」
「そこよ、お父さん。こんな面白――マニアックで辞書並みに分厚いワゴン品。高校生が盗むわけないでしょ」
「ううむ、確かに」
「いや、待て待て。あんたらが俺のなにを知ってんだよ」
 小山内の至極もっともな突っ込みに、似鷹さんはちろりと舌を出す。冗談のつもりだったらしい。相変わらずなにを考えているのかいまいちわからない人だ。
 だが、確かに妙である。読む読まないはさておき、枕に代用できそうなほどの厚みを持つ本を、よりにもよって店頭で盗もうなどと考えるだろうか。これではバレるリスクが高すぎる。
 ちなみに、ワゴン品の値段は定価の四分の一となっている。店長から少しだけ拝借したところ、この本の定価は一四〇〇円。よって、四で割った三五〇円が実際の値段というわけだ。コーヒー一杯分相当だが、このよくわからない本を買うくらいなら僕は倍の額を払ってでも似鷹さんの淹れたコーヒーを飲む。
「とりあえず一旦座りましょう」
 似鷹さんの提案で、小山内はカフェスペースのテーブル席に座らされた。
「イヌ君は座らないの?」
「それを言うなら似鷹さんもですよ。第一、僕はこのコーヒーがあれば十分です」
 そう断って、僕は酸味のきいたエチオピア豆を嗅覚で堪能する。適当にはぐらかしたが、単にあのニワトリ男と向かい合って座りたくなかっただけだ。逆ギレされたら怖いし。
 小山内はテーブルをこつこつと叩く。
「なあ、ねーちゃんさ。盗んだ理由なんてどうでもいいだろ」
「そういうわけにもいかなくてね。原因を明確にしないと、いつ同じことが起きるかわからないし、こちらも対策のしようがないんだよ。あとわたしが納得できない」
 最後のが本音なんだろうな。
「でも似鷹さん、この本は三五〇円ですよ。ワゴン品だけど実はめちゃくちゃ価値のある代物という線は」
「残念だけど、それはないよ。この本、まだまだ裏の倉庫に在庫があるんだ。『日の目』の娘として断言できるよ」
「そうだねぇ……」
 店長は参ったように頭を掻く。サイズがかさばるぶん、保管するのも大変なのかもしれない。どんだけ売れなかったんだ、この本。
 似鷹さんは聖母マリアのように両手を横に広げる。
「小山内君。わたしは、別に君を責めようとしてるんじゃない。純粋に興味があるんだよ。なぜ、その本を盗んだのか。是非とも教えてくれないかな?」
「……悪いが、それはできない。それより、警察なりなんなり呼んでさっさと終わりにしてくれねえか」
 暖簾に腕押し、糠に釘だ。すっかり塞ぎ込んでしまっている。小山内が万引きを働いたことは確かなのだが、どうにもこのままでは歯切れが悪い。
 そっかあ、と似鷹さんは息を吐いた。
「それなら仕方ない。わたしとしても、あまり『この手』は使いたくなかったんだけどね」
「なんだ。店員が脅しでもかけるつもりかよ?」
 似鷹さんは不敵に笑うと、自身の前髪を勢いよく搔きあげた。すると、彼女の雰囲気が目に見えてがらりと変わる。それまで穏やかで温厚だったのが、全身にトゲをまとったような厳しい表情になったのだ。心なしか、ショートカットが逆立っているようにも見える。
 彼女はどすのきいた声で言った。
「フン……。あの女、私を腫れ物扱いとは良い度胸をしている。私の邪眼に幾度となく救われてきたことを忘れたのか?」
 何度見ても慣れないな。この変貌っぷり。彼女はこちらに視線をやると、楽しそうに目を細めた。
「よう、イヌ。B判定だそうだな。褒めて遣わす」
「そりゃどうも」
 別にあんたに褒められても嬉しかない。当然、敬意なんてありもしないのでこいつとはタメ口だ。
 小山内は初めて三文芝居を見たような困惑ぶりを見せる。
「な、なあおい。あんた、これはどういう茶番だよ」
 どこから話したものかな。
「え、ええっと。似鷹さんはですね、その、開くことができるんですよ。……邪(じゃ)眼(がん)を」
「はあ?」
 間の抜けた声をあげる小山内。無理もない。僕だって最初はこんな感じの酸っぱい反応だった。だけど、事実なのだから仕方ない。

 

 邪眼。
 中学二年生頃になると、全国の少年少女が発症すると言われる普遍的な現象である。混濁するモラトリアムの中、精神的に不安定な学生たちは、アイデンティティを確立すべく自分が特別な存在であると錯覚する。その際に顕現するのが邪眼であり、早い話、ただの中二病だ。
 しかし、似鷹さんの邪眼は一般的なそれとは少し違う。
 第一に、高校生になっても中二病が完治しない。
 第二に、邪眼のオンオフを自分の意志で切り替えることができる。
 そして、どういう理屈か。こちら側の似鷹さん(僕は安直に邪眼と呼んでいる)は、普通の人には見えないものを見ることができるのだ。たとえば、ある本をじっと眺めていると、それに宿った記憶を読み取れる。サイコメトリーとも言われる超能力だ。
「小山内炭火だな。愚かにも、私の力を疑っているようだが」
 少年の瞳孔が一気に開かれる。
「な、なんで俺のこと知ってんだ。さっきは下の名前は名乗ってなかったはずだぞ」
「他愛もない、貴様の鞄に入った学生証を透視したのだ」
「透視、って……」
 信じがたいが、こうして見せつけられた以上は信じるしかない。サイコメトリーや透視を初め、その力は人智を超えている。似鷹さんは厄介事に巻き込まれると、このように邪眼を解放して解決に務めるのだ。
「私にはすべてが見える。解いてみせよう、貴様が盗みを働いたその理由を」
「うむ。邪眼殿が現れたからにはもう安心ですな」
 店長は安心したように髭を撫でる。まるで本物の刑事か探偵が到着したかのような応対だ。思春期の娘に対して無頓着すぎではないかと思う。
 さて、と邪眼は目を見開き、そのしなやかな指を小山内の鼻先に突きつけた。
「手短に行こう。まず、その長ったらしいタイトルの本だが……貴様が元の持ち主というわけではなさそうだな。二か月前、猫背のサラリーマンが売却に来ている。まさかそいつの知人ということもあるまい」
「そ、そんなことまでわかんのかよ」
 店長は短く頷いている。買い取った記録を見れば一発だろう。
「だが、妙な話だ。本に執着していない輩が、なぜ本を盗む。可能性は二つだ。一つ、高額で取引されている可能性。しかし、これはあの女によって否定された。ならば、二つ。何者かによって命じられている可能性だ」
 僕はすかさず待ったをかける。
「この本を盗め、って誰かが小山内さんに指示したのかよ?」
「指示か意志か、あるいは命令か。根本的な部分はわからないが、何者かが介入していることは確かだろう。警察の世話になりたいところを見るに、指示……いや、脅迫された線が濃厚か」
「ま、待てよ。違う。勝手に話を進めんじゃねえ。俺は、コウセイカン? ショーワクセイに興味があんだよ! 万引きしたのだって俺の意志だっ」
「そうか。では、恒星間小惑星とはなんだ」
「な、なにっ? そ、そんな初歩的なこと…………クソッ!」
「結構だ。ちなみに私も知らん」
 ぐぬぬ、と歯噛みする小山内。こういういじわるなところは似鷹さんと変わらないな。
「そもそも。あんなデカブツをチラつかせて自分を捕まえてくれとはあまりにもナンセンスだ。訳ありだというのが傍観していた私でも察しがついた」
 全然気づかなかった。が、小山内が居心地悪そうに肩をすぼめている辺り、邪眼の言葉は当たっているのだろう。
 小山内は誰かのために盗みを働いた。そのうえで捕まりたがっているということは、やはりパシリに使われたのだろうか。
「でも、普通こんな難しそうな本を盗みますかね。プレゼントにしろ恐喝にしろ、これをチョイスするってのがなんか違和感があるんですよ。ワゴン価格なんだから多少は自腹切れよって話でもありますし。……ううむ」
「視野が狭くなっているぞ、イヌ。前提を捨てて考えてみろ。小山内炭火の目的は本当にあの古書だったのか。頭が使えないなら自慢の鼻を利かせろ。お前の武器はその異常な嗅覚だ」
 異常っていうな。ええい、だったらやってやろうじゃないか。鼻を利かせ、嗅覚に神経を集中させる。コーヒー豆、古書、香水のいい匂い……って違うだろ。少し範囲を広げると、小山内のものだろうか、整髪料の香りが鼻腔をくすぐる。
 あれ。
「……金の匂い?」
「その通りだ。本性を表したな、イヌめ。録音してあの女に聞かせてやりたいものだ」
「いや、そういう意味じゃなくてだな。小山内さんの両手からお札の匂いがするんだよ。一枚や二枚じゃない、何十枚も紙幣の複雑な臭いが重なったような――」
「適当いうなっ。第一、そんなの何の証拠にもなんねえ」
「至極もっともな意見だな。では、イヌよ。その嗅覚を持って提示してみせろ。手以外に金の匂いが染み付いているポイントを」
「手以外? ううん……これは、鞄? じゃないな。向かって右手のポケットから匂っていると思う」
「上出来だ」
 邪眼はニヤリと歯を見せると、小山内のポケットから素早く小封筒を引き抜いた。スリ顔負けな手際のよさである。
「なっ、ちが……」
 いたずらがバレた少年のような表情を小山内は浮かべる。テーブルを叩き、もう我慢できないと言わんばかりに勢いよく立ちあがった。
「ふざけるのも大概にしろよ」
「ふざけてない。それに、何度も言わせるな。私は『視える』んだよ。お陰様で、どうでもいいものばかりが視界にチラつく」
 手紙を三つ折りにしたくらいの厚みを持ったそれからは、野口英世の顔がくっきりと浮かびあがっていた。店長は怪訝そうに言葉を漏らす。
「こ、これはいったいなんなのですかな」
「見ての通りだ。古書を盗むことがミスリードなら、当然本命は別にある。ああそうとも。現ナマの回収こそ、小山内炭火の使命だったのだ」
 後頭部を思い切り殴られた気分である。ただの窃盗かと思っていたが、まさかその裏で金が絡んでいたとは。
 しかし、こうなるともはや言い逃れはできない。十分すぎるほどの資金を持っていながら窃盗なんて、言い方は悪いが割に合わない。相応の理由があると考えるのが自然な流れだ。
 目が合わないよう気をつけながら、僕は小山内の方を見る。あれだけ取り乱していた彼が、まるでなにかを悟ったように落ち着きを払っていたのだ。
「……警察にはすべてを話すつもりだった。金をすべて回収したうえでポケットに入れていたのも、それが理由だ」
「小山内炭火。貴様は運び屋だな?」
「運び屋って、よろしくないブツを運ぶ人のことだろ。何番のロッカーに入った荷物を無事にお届けしろ、みたいな」
「意味は変わらない。運ぶのが金か金に相当するものかの違いだ」
 つまり、と店長は厳しそうに目を細める。
「彼は知っていたのですか。『日の目』のどこかに推定一万円の札束が隠されていたことに」
「いいや。枚数が多いとかさばる以上、金が一か所に集中していた可能性は低い。紙幣がそれぞれ別の場所に配置されていたということは……『日の目』が受け渡しの現場だったわけだ。そうなるとかなり大規模なカツアゲだな」
 小山内は短く頷く。
「俺と同学年のやつら三人が元締めだ。弱そうなやつなら先輩後輩関係なしにターゲットにされちまう。目をつけられたやつは『友情料』として毎月千円を元締めに納めなければならない。当たり前だが、拒否権なんてない」
 毎月千円。実に嫌らしい価格設定だ。高校生が、親や先生の助けを求めずに済むギリギリのラインを突いている。それに、あの封筒の厚さを見るに被害者は一人や二人ではない。もちろん口止めはきつくされているだろう。「自分だけが搾取されている」と信じ込み、何人もの生徒が孤独の中で苦しんでいるのだ。
 小山内は堰を切ったように言葉を続ける。
「徴収の仕方はこうだ。毎月十五日、『日の目』の絶対誰も買わないであろう古本に千円札を挟みこむ。その場所を回収係である俺に連絡すれば支払い完了。晴れて友情は継続されるっつう寸法だ」
 語尾に最大限の嫌味を込め、彼はぶっきらぼうに吐き捨てた。なるほど。今日は二月十五日。小山内はまさに今日、友情料とやらを回収するために『日の目』を訪れていたわけだ。
「ってことは、その封筒の中身は……」
「ああ、お前が察する通りだよ。今月分の友情料さ。もう、嫌になったんだ。自分が標的にならないよう必死に媚びを売って、あいつらの顔色をうかがうのはよ」
 憔悴しきったようにすべてを語る小山内。彼が悪事に加担していたことは紛れもない事実だ。けれど、僕にはどうしても彼を悪人と断罪することはできなかった。
 小山内の目的が千円札の回収なら、わざわざ例の分厚いハードカバーを盗む必要なんてない。金だけ抜き取り、さっさと退店すればいいのだから。
「なあ、邪眼」
「言わずともわかっている。だから、次で終いにしよう。……時に小山内炭火」
「なんだ」
「もしもの話だ。貴様がこうして金の回収を行う際、指定された本を発見できなかった場合、どうなる」
 つまり、千円札を挟んだ「売れないであろう」本が売れてしまった、あるいは処分されてしまったら? ということか。そのぶん上納される金額はマイナスになる。この埋め合わせを誰が行うのかと邪眼は訊きたいらしかった。
 小山内は短く告げる。
「その時は、管理不行き届きということで、俺が罰を受ける。やつらは今もこの近くをウロウロしているはずだ。俺が友情料を持って帰ってくるのを待っているんだ」
「あっ」
 間抜けな声が僕の口から漏れた。
「なんだ、イヌ。気になることでもあったか」
「確信は持てないけど、それらしき高校生たちなら店の前で見かけたぞ。ガラの悪いバイクにまたがってた三人組」
「そ、そいつらだ。ちくしょう。俺の帰りが遅いからって、店まで出向いてきやがった」
 ううむ。あまり当たってほしくはなかったが、やはりあいつらが元締めだったか。小山内はすっかりパニックを起こしている。状況はあまりよろしくない。このままでは、男たちが小山内の回収に来るのも時間の問題だ。
 小山内を突きだすしかないのか? 僕はすがるように邪眼の方を見る。やつは、口元に笑みをたたえていた。
「そうか。諸悪の根源が、この外にいるのか」
 嫌な予感がする。経験上、こういう予感は大抵当たるのだ。それも、僕の想像を遥かに上回る形で。
 邪眼は軽く伸びをすると、僕の学ランを指さした。
「その薄汚い黒衣、少しばかり私に寄越せ」
 こちらの応答など聞いちゃいない。無理やり僕の学ランを奪い取ると、エプロンを脱いだ上から装着。髪を逆立て店を後にしてしまった。おいおい嘘だろ。それ以上は洒落にならないぞ。
 困惑している小山内と店長を横目に、僕は彼女の後を追った。
 ハッキリ言おう。ストップをかけたいのが半分、怖いもの見たさが半分だった。

 

 駐輪場に出るとすでに事は済んでいた。
「す、すみませんでした。マジ、反省してます」
 眼前に広がる地獄絵図。制服を着崩した男三人が、邪眼の前で土下座をかましていた。なんだこれは。
「おい邪眼」
「ビンゴだよ。口先ばかりで張り合いのない連中だった」
 こいつはなにを言っているんだ。張り合いもなにも、実力行使は不味いだろう。外見は似鷹さんなのだ。このままでは店員が客に暴力を働いたことになる。まさかその学ラン一枚で学生と言い張るつもりじゃないだろうな。
 どう言い訳したものかと口をモゴモゴさせていると、邪眼が突然啖呵を切った。
「私は『日の目』四天王の一人、似鷹未来である。貴様らの悪事はすべてこの邪眼が見抜いた。邪に代わりて悪を討つ。悔い改めるがいい」
 なに言ってんだこいつ、と言いたげな表情を浮かべる男たち。全面的に同感である。しかし、自ら名乗って大丈夫なのか。一抹の不安はあっさりと払われることとなる。
「あえて言おう、これは脅迫だ。脅しは貴様らも大好きだろう? ……この店にはな、あるんだよ。貴様らのような阿呆を炙り出す。いわゆる、隠しカメラがな」
 男たちの肩が目に見えて跳ねる。完全犯罪が暴かれた犯人のような、真っ青な顔を突き合わせている。
「テ、テメエ。どういうことだよ。あの店はザルだったんじゃねえのか」
「知らねえよ。俺だって、隠しカメラなんざ初めて知った」
「落ち着けお前ら。仮に隠しカメラとやらがあったとして、俺たちにはなにひとつ後ろめたいことはねえだろ」
「そ、そうだそうだ。俺たちはここで駄弁ってただけだぜ」
 作戦会議に勤しむ三人を見下ろし、邪眼は一言短く告げた。
「小山内炭火」
 ああ、そういう。
「貴様らの部下を先ほど抑えた。古書から紙幣を抜き取って、懐に仕舞う様子がしっかりと隠しカメラに映っていたぞ。貴様らは友情料と称して金を回収していたそうだが……被害者全員から証言を取って提出すれば、お偉方も動かざるを得まい。証人が複数となると貴様らもちと厳しいだろう」
 男たちはガックリと項垂れ、蚊の鳴くような声で言った。
「勘弁、してください」
「無論だ。貴様らとて大事なお客サマ、それを手放すのはこちらとしても惜しいからな。ただし、二度と悪事は働かないことだ。小山内炭火を初め、被害者に対する報復も同様。わずかでも妙な真似をしてみろ。もう、あんな目には遭いたくないな」
 はいッ、と男たちは一斉に自衛隊張りの声をあげる。なにしたんだよお前。

 男たちへの脅迫を終え、邪眼と僕は店の中へと戻った。店長と小山内に事の顛末を説明する。
「だ、大丈夫なのかよ、それ?」
「安心しろ。しっかり釘は刺したからな。もし、万が一のことがあればまた私を訪ねるがいい。いつでも灸を据えてやるからな」
 小山内はなおも困惑した様子だったが、やがて納得したように頷いた。
「……手間かけさせたみたいだな。悪かった。いや、すんませんでした。この金は持ち主に返そうと思う。俺も責任をとって――」
「ああ、待て。貴様の処遇を決めるのは貴様でも私でもない。この男だ」
 邪眼が親指でさしたのは髭を弄ぶ店長。まさか自分に振られるとは思っていなかったのだろう、英国紳士はコホンと咳払いをし、裁判官のような口調で言い放つ。
「小山内炭火君。キミには、罰金三五〇円の支払いを命じます」
「さ、三五〇円?」
 小山内はポカンと言葉を反芻する。
 事情があったとはいえ、彼が本を窃盗しかけたことは事実。警察に突き出すか、温情で無罪放免のどちらかだと思っていた。
 三五〇円。僕は、すっかり冷めてしまったそれを見つめる。
「選んでください。このよくわからない本を購入されるか、うちの美味しいコーヒーを飲んでいかれるか」
 しばしの沈黙。果たして、小山内は頬を少し掻いて含みのない笑みを浮かべるのだった。
「コーヒー、一つお願いします」

 小山内が店を去り、店長が本棚の整理に戻った頃。カフェスペースには二杯目を興じる僕とカウンターにいる邪眼の二人だけとなった。壁時計は六時過ぎを指していたので、そろそろ帰ろうかなとカップの残りを口に運ぶ。ちん、とソーサーに戻したところで、邪眼は出し抜けに口を開いた。
「時にイヌよ」
「どうした暴君」
「私は大いに疲れた。そろそろ似鷹未来と変わろうと思う」
「本当いきなりだな、お前。散々似鷹さんの身体で暴れまわったんだ。後でしっかり謝っておけよな」
「貴様に言われる筋合いはない」
 つん、と息をするように突き放してくる邪眼。可愛くない。とても似鷹さんと同じ容姿には見えないし、思いたくもない。
 これは本人の前で言うと間違いなく変態扱いされるので控えているが、邪眼と似鷹さんから漂う匂いはまったく別物なのだ。多重人格とか中二病とかそういうのじゃない。一つの器にまったく異なる二人が混在しているかのような……。
 ダメだな。邪眼みたいな考え方になっている。
 ええい、まどろっこしい。
「まあ、なんだ。お前のお陰で救われた人もいるわけだしさ。また、たまには出てこいよな。暴れ過ぎない程度に」
「だから一言余計だぞ、イヌイ」
 ニヤリと微笑み、邪眼は逆立った髪を掻きあげる。
 温厚な瞳。ふわふわしたショートカット。
 それは、間違いなく似鷹さんの匂いだった。

 

「お帰りなさい」
「……やー、やっぱ恥ずかしいねこれ」
「記憶は共有してるんでしたっけ」
「共有というより、もう一方のわたしを俯瞰し続ける感じだね。自分じゃない誰かがわたしの身体で好き勝手やってるの」
 言葉にすると末恐ろしいが、似鷹さんは案外ケロッとしている。羞恥心があるのに他人との同居には抵抗がないらしい。よくわからない人だ。
「ところで、あの子は酷評してたけどさ」
 似鷹さんは宙に長方形を描く。
「例のハードカバーですか? 小惑星がどうのってやつ」
「そうそう。空気を読んだ手前、みんなの前ではわたしもボロカス言っちゃったけど。わたし、実はあの本めちゃくちゃ好きなんだよ」
 興奮気味にそう打ち明ける似鷹さん。ロマンチックな人だとは思っていたが、それにしても意外である。似鷹さんに天文学の趣味があったとは。
 しかし、これで納得できた。あの無駄に分厚い、しかも一向に売れないハードカバーをなぜ『日の目』は何冊も保管していたのか。きっと、廃棄するのを似鷹さんが拒んでいたのだろう。いつかこの本は世間に認められるはずだ、とか口にして。
 彼女はカウンター越しに優しく微笑んだ。
「そんなわけでさ。ぜひとも、あれは読書好きのイヌ君にも読んでほしいわけだよ。今ならなんとお値段三五〇円! ワゴン価格だからとってもお買い得だよ。どうだい?」
 示し合わせたように、二人して口の端を持ちあげる。僕の答えはもとより決まっているのだ。財布から百円玉を四枚取り出し、手のひらの上で音を鳴らす。
「勘弁してください。三五〇円払うので」
「はいはい。コーヒー一杯、毎度あり」

 その時飲んだコーヒーは露骨に酸味が効いていた。もしかしなくても、似鷹さんのささやかないたずらだろう。


 恒星間小惑星ナントカ、だったか。
 受験が一段落着いたら手に取ってみようと思う。