ゆらゆら炎

ミッカ

 

 僕は今、中学校から帰っている。夏なので空が夕焼けにもなっていない。まだ夏を表す空があるだけである。田んぼの水も青空で澄み渡り、嫌でも目に入る山からはセミが少しずつ挨拶を始めている。夏服に変えてもう幾分か経つというのに、近頃は気温が不安定で困る。急に強い風が吹いたりして、僕の肌を撫でて鳥肌にする。今まさにそうしてきたので、余計に嫌になった。

 

「うう。急に風が吹くと困るよねえ」

 

 隣にいる、ユウがおしゃべりな口を開いた。ユウは手を軽く地面と平行させながらひらひらと降った。

 

「気温が不安定だと、こっちもゆらゆらしちゃうからさ」

 

 そう言って手のひらから揺らめく炎を出して見せた。向こうが透けて見えるほどの小さい炎であった。ユウが手をぎゅっと握ると、炎は何も音を立てずに消えた。融けかけのろうそくよりもはかなくて、情けない炎である。今の空の方がずっと赤いだろう。

 

 ユウは昔からそうだった。一応僕とユウの家族しか知らないことになっているが、ユウは手のひらから炎が出せるのである。これは手品ではない。そう断言できるのは、僕が被害を被ったからである。年も覚えていないほど小さいころだと思う。二人で手を握って遊んでいた時だった。僕は痛みを感じて手を離した。わずかではあったが、見たことのないけがの仕方をしていた。それが火傷だとわかったのは、誰かから手当てを受けながら話してくれたときだった。手のひらを見た後、僕は気を失った。その時ユウとどんな話をしたのか忘れてしまった。小さなころにそんな目にあっていたなら、トラウマになってしまってもおかしくない。しかしユウとの仲は険悪にはならず、今でも隣で話しながら帰路についている。

 

「おーい」

 

 突然ユウが少し炎を出した手のひらを僕の顔の前でひらひらさせた。少し熱くて僕は驚嘆の声を出した。

 

「うわっ。それやめろよー。また火傷しちまうよ。」

 

 そういうと少し間をおいて、ユウが不満げな顔をした。

 

「話してても反応ないからさあ。なんかぼーっとしてたよ?」

 

 どうにも僕はユウが話しているときに昔話を頭の中でしてしまっていたらしい。ユウの声は大きくも小さくもないが、今までそうやって聞き流してきたことはあまりない。夏バテだろうか?いや、早すぎる。原因を探った方がいいのだろうか。

 

「まあいいけどねー。あ、みてみて」

 

 僕がユウのことでうんうんとうなっていたのに、ユウは提示版に貼ってあるチラシを指さして話題を変えた。この町の夏祭りの日程が描かれていた。日にちは明日である。

 

「もう夏祭りだ。早いねえ」

 

 そう言ってユウは首と目線を神社の方に向けた。それはユウの帰路の方角である。ユウは夏祭りの中心となる神社の家の子なのだ。

 

 

 

 その晩、夢を見た。昔の夢だろうか。僕はどこかで寝ていた。人の声が聞こえる。

 

「どういたしましょうか。……について知られたら、面倒ですぞ。」

 

「恐怖で……を失っている可能性もある。それに子供だ。“このこと”の意味が分かるころにはもう覚えていないだろう」

 

「ですが……」

 

会話が続いてしばらくした後、僕は目を覚ました。時計は丑三つ時を表していた。最初の会話以外、よく覚えていない。恐ろしい単語が聞こえてきた気がする。最初の会話から予測するするならば、彼らは僕を消すか否かについて話していたのだ。だが僕には罪を犯した記憶がとんとない。思い当たる節を探していると不意に火傷とユウのことが浮かんだ。浮かんだ瞬間、僕は右の頬を叩いた。こんな狭い田舎でましてや日本で、そんなけったいで恐ろしいことを行おうとするわけないだろう!真夏だったが僕は薄い布団を思いっきりかぶって寝ようとした。当然、寝れるわけがない。むしろ暗くなった視界でさらに目をつむるので、真っ暗な中、ユウの顔が浮かぶ。ユウは、ふとすると太陽のようにまぶしい笑顔をする奴だ。いつもはマイペースで、へにゃりとしたにやり顔しか見せないのに。それに、物心ついた頃から僕たちはずっと仲が良くって一緒に遊んでいた。普通なら、他に仲が良い友達が生まれて関係性が消えてしまうのに、僕たちは不思議と縁が切れなかった。そうだ、ユウは何も悪いことをしていない。

 

そう考えているうちに、目を開けると朝日がカーテンの隙間から漏れていた。いつのまにか寝ていたらしい。僕は決心した。ユウに知っているだけ教えてもらおう。たとえ何も知らなくても、ユウに罪がないことを知れる。心の靄を取り除かないと、夏祭りすら楽しめないだろうから。

 

 

 

 宿題やらユウに誘われて夏祭りの手伝いやらに付き合っていると、いつの間にか夏祭りの時間になっていた。正直あまり夏祭りの時間になってほしくなかった。真実を知るのが怖いのか、それとも。

 

「おーい、浴衣着ようよ」

 

ユウは何てことないように話しかける。そう、何てことないように。いつもと同じように。

 

 

 

 夏祭りの人の中を二人でかき分けて屋台を見ていく。人が少ない田舎だが、夏祭りの時は田舎の涼しさを求めてか都会の人が車に乗ってやってくる。僕はりんご飴が好きだが、駐車場に山のようにある車のナンバープレートを見るのも好きだった。いつもなら絶対見ない地域を見ると、ここは本当に田舎なんだと思い知らされる。そして、受験への思いにはせて、少し曇った。僕は受験をして、親戚の家に居候することを予定している。この前ユウに受験をどうするか聞いたら、

 

「んーまだ決めてない」

 

 とのことだった。相変わらず適当なやつである。説教をしてやろうと思ったが、夏祭りだし、あとでもっと重要なことを聞く予定だ。曇るような思いは今にしなくてもいいだろう。僕はユウに付き合ってしばらくうろうろしつつ、りんご飴を買った。ユウも食べたいと言ったので、おごった。

 

 

 人ごみにつかれたと適当に言って、ユウの神社の裏に行った。暗いので、人はまずいない。そろそろ聞かねばならない。ため息をフッとついて、神社の段差に腰を掛けた。ふと目の前を見ると、獣道にしては人工的すぎる道が見えた。

 

「ユウ、こんなところに道があったっけ?」

 

 返事が来ない。焦って周りを見ると、ユウがその道を走っていた。

 

「おい、待て!」

 

 僕も走った。……が、あいにく草履をはいていたので、思うようにスピードが出ない。石が沢山あるような気がしたが、かまわず足に絡まるひもを引っ剥がして夢中で走った。走って気が付く、道が長い!体力に自信があるかと言われると微妙だが、あまりにも長いので息をゼイゼイ切らしてしまった。手を膝について、周りもまた見渡す。そして目を疑った。何もないところから火が、大名行列のように道の両脇に沿ってずっと続いていた。その道の先には、ユウがいた。

 

「おい。ユウ!!」

 

 僕はのどの痛みも構わず叫んだ。こんなことが現実であっていいはずがない。ユウを追いかけていないと、頭がおかしくなってしまいそうだ。幸い、近づくほどユウが大きく見える。動いていなかったが、こちらを向く気配もない。わき目もふらずに近づいていく。そして肩に手が届く位置まで来た。

 

「ユウ、何だこれは?教えてくれ,全て。“あの日”のことから」

 

「……」

 

 ユウはゆっくり振り向いた。その顔は、今まで見たことがない、曇り空よりも暗い雨雲のような顔だった。眉の間に線を入れて、唇を噛み締めぶるぶると今にもふるえそうだ。あまりに見たことがない表情だったので、こんな状況なのに僕は気まずくて目線を下にそらした。ちょうどユウの手が見えたかと思うと、ゆっくりと、そしてばっと手を広げた。

 一瞬だった。ユウの後ろで、火が、見たことのないような勢いで燃え盛る。テレビで見た、どこかの儀式の炎のようだと言えばいいのだろうか。だがそんな炎よりも、僕たちを燃やし尽くさんとする勢いで、赤く赤く轟轟と燃え盛る。ユウは今までこんな勢いの炎を出したことがない。夢だと思いたかったが、無情にも僕の皮膚は今までに感じたことのない暑さを感じる。

 

(燃やされる)

 

 刹那にそう感じ取り、ユウの手を引いた。だが、ユウは手を振り払った。そして、涙声でつぶやいた。

 

「ごめんね。あの日、遊んでなんてわがまま言ったから」

 

 もはや雪のような儚い声だった。何故か心地よいと感じた。聞こうとしていたことが、どうでもよくなった。体は熱いのに、炎以外何もない異常事態なのに、その声だけが僕の心に響いてくる。頭が冷静になっていった。

 

そのユウの声を聴いて、僕はあの日のことを思い出した。ユウはいつも一人で遊んでいた。そして、誰も近づいてはいけないという集団圧力のような暗黙のルールがあったりした。保育園には来ていなかったから、誰も自然と遊ばなかった。その日も夏祭りだった。僕は迷子になってしまった。泣くのをぐっとこらえて、神社に行った。薄暗い中、ユウはやっぱり一人だった。一人は嫌だったので、僕は話しかけた。ユウはその時、とびっきりの笑顔をしていた。

 

「ねえ、名前はなんていうの? 一緒に遊んでくれる?」

 

 そい言って手を握ってきた。握り返した瞬間、僕は手を放してしまった。ユウの手を見ると、チリチリと火が出ていた。だがそんなことよりも、ユウの顔が印象に残った。今しているような、雨雲のような顔をしていた。僕は痛みで意識が薄れていった。その悲しそうな顔が心に残った。恐怖は、なかった。その後から僕とユウは一緒に遊ぶようになった。誰も止めなかったが、誰もその話題に触れようとしなかった。家族には話していた。最初こそ暗黙のルールからか、無意識でいやな顔をしていたが、今では普通だった。ユウの家族とは、一度も話したことがなかった。そして、今その訳が分かった気がする。僕は前をすっと向いた。決意を新たにして、僕は言った。

 

「ユウ、何も聞かないよ」

 

ユウは驚いたように僕を見た。少しの間を置いて、僕は言う。

 

「一つだけ、一つだけ言うね」

 

僕はもう一度ユウの手を握った。今度は振り払われなかった。

 

「僕は、ユウのことを友達だと思っているよ。これからも、ずっと」

 

 

 燃え盛る炎の勢いだけが音になっている。ユウは僕をじっと見つめた。

そして、笑った。今まで見たことのない、顔をして。

 

「ありがとう!」

 

次の瞬間、ユウは屈託のない顔と声でそう言った。そして、あろうことか炎の中に体重をかけて走った。燃え盛る炎が、ユウを黒くしてゆく。

 

「おい!!!」

 

反射的に手を伸ばした。痛みは感じなかったが、僕はまた、意識をなくした。暗く暗く、落ちてゆくような感覚だけがあった。ユウに伸ばした手は、ずっと突き出したままで……。

 

 

 

 夏祭りどころか夏休みが終わった。僕は夏祭りの時にあろうことか入院する事態に陥っていた。記憶は、一切ない。警察は傷害事件として捜査している、らしい。町の人に心配されたが、特に変わったことはなかった。今やほとんど痕は残っていないが、僕は神社の麓で倒れていて、手にやけどを負っていたらしい。まだ犯人は見つかっていないので、退院したのは夏休みも終わりに近づいたころである。宿題はゆっくりやればいいと先生は言ってくれた。退院祝いに好きなものを買ってよいと、僕は母にお小遣いの倍のお金をくれた。いつもより高いアイスを買って食べた。舌は甘い甘いというが、僕の心はなぜかぽっかり穴が開いたようだった。入院して、頭が冴えてきてからずっとそうだった。ぼうっとする。何か忘れているような気がする。大事なことだ。それを考えると手がジンジンする。カラスが鳴いている。もう夕方だ。僕は空を見た。赤い、赤い夕焼けがゆらゆらとした雲と共にあった。目が熱くなる。何故だ。僕は唇を嚙み締めて、子供の様な声を出さないように目をぬぐった。ハンカチを忘れてしまった。今はとめどなくあふれる涙の止め方を知りたかった。

 

 この町が涙をかき消そうとするように、ツクツクボウシは鳴き喚いていた。