はじまりと予感

じゃがバタ

 ここはオルゴ山ふもとにあるバーブル村。豊かな自然に囲まれたこの村では農業を中心としたのんびりとした暮らしが営まれている。この村に住んでいる者は皆、本来なら魔法の使えるエルディオン族だが、魔法を使える者は王宮から来た護衛兵のアボ、サム、アレンの三人だけだ。長年の平和な暮らしの影響で魔法の使える者はエルディオン族の中でも限られた一部のみになってしまったらしい。
 僕は草むらに寝転がりながら、ゆっくりと流れていく雲を眺めていた。雲はゆっくりゆっくり流れている。よく目を凝らして見ないと、気が付かないほどゆっくりと。しかし、確実に流れていくその様子はまるでこれから何かが起こる、そんなことを表しているようだった。
「チェロ!」声をかけられ、はっと我にかえる。
「なあんだ。シーじゃないか」
「ふふ。驚いた? 今からアボさんたちと山菜を採りにいくんだけど、チェロも一緒にいかない?」
「うーん。行きたいけれど、お父さんから店番を頼まれているんだよね。お父さんは、隣町まで買い物に行っているから」
 ふわぁーと大きく伸びをすると、シーがくすくすと笑って言った。
「ってことは、今はさぼり中なんでしょ。いいじゃない。昼寝をしていようが、山菜を採りに行こうが同じ事よ」
 僕は、確かにと言って、シーと一緒に山菜を採りに山へ行くことにした。シーは村長の一人娘だ。明るくて優しい彼女は、村の誰からも好かれている。おまけに、人をまとめる力を持っている。何というか、そう。リーダーの素質がある。村の誰もが次の村長はシーに違いないと思っているのだ。
 まるで僕とは大違い。小さい頃からの幼なじみなのに、僕は怠け者で飽きっぽく、毎日ぼんやり過ごしている。現に、今も店番をさぼって空なんて眺めていた。何だか自分に腹が立ってきた。楽しそうに駆けていくシーの背中を見ながらそんなことを考えていると、どうやら目的地に着いたらしい。
「よう、チェロ。なんだ、ぼーっとして。親父さんにでも殴られたか」
「アボさん。サムさん。そんなことないですよ」
 アボさんは陽気で人なつっこく、植物に詳しいため、こうやってよく一緒に山菜を採りに山へ来るのだ。サムさんはおとなしく無口だが、その甘いマスクでおばさまたちのハートをがっちりつかんでいる。二人ともいい人で、僕は昔からちょっと憧れていたりする。
「あの、アレンさんは……」
 その途端、二人の目に冷たい光が走った。
「あいつは……」
 アボさんが重々しい口調で話し出す。
「あいつは、消えたよ。今朝、護衛兵部屋に入ったら置き手紙が置いてあったんだ」
「え……。ど、どういうことですか!?」
「置き手紙には、『追うな、必ず戻る。』とだけ書いてあった。」
 シーがアボさんにかみつくように言った。
「そんな! それじゃあ、まるで出兵する兵士じゃないですか! どうして手紙だけ残して急にいなくなるんですか!?」
「それはわからない。でも、追うなと書いてある以上、アレンを信じよう。俺たちは余計な行動をとらないほうがいい」
 焦るシーに、サムさんは珍しく強い口調で言った。
 しかし、シーは納得がいかないらしく、
「村の護衛兵が置き手紙を残して急にいなくなるなんてあってはならないです。いくら平和な生活が続いているからといって、アレンさんが決まりを破るなんてこと、ないと思います!」
 確かに。人里離れたこの村では、川まで釣りに行った人が道に迷って一晩帰ってこないだけで、村中大騒ぎ。次の日の早朝に緊急集会が開かれたぐらいだ。その人は、結局その後、小一時間の村長による説教を受けたんだっけ。まったく。いくら山や森に住みついた動物が凶暴だからといって、そこまで過剰になることないのにな。規則に人一倍うるさく、他人に迷惑をかけることを嫌うアレンさんが、そんな村で急にいなくなるだなんて。しかもあんな置き手紙だけ残して……。
「ま、まあそんなに気にすんなよ。どうせ里帰りでもしてんだろうよ。きっとあいつ、里帰りなんて気恥ずかしくて、あんな手紙残したんだろ。ほら、今日は村長さんに山菜採ってくるように頼まれてんだっただろ。早くしないと怒られるぞ? ほら、チェロ。始めるぞ。シーもそんなに考えすぎんな」
 アボさんは努めて笑顔を作り、言った。全く信じられない話だが、アボさんの言う通り、あまり気にしすぎてもよくないだろう。僕はシーの肩をぽんっとたたき、
「ほら、シー行こう。きっとアレンさんはすぐ帰ってくるよ」と言った。
「……うん」
 シーは勘の良い人なので、このときすでに気づいていたのかもしれない。

 

 その後、僕たちは二手に分かれて、お目当ての「オルゴ草」という草を摘むことにした。村長さんに頼まれたものだから何に使うかわからないが、とにかくすごい草らしい。ただでさえ小さくて目立たない草で、生えている場所もバラバラなので一本ずつ見つける必要がある。かなり根気のいる作業だ。
「アボさーん。何本摘めました?」
 気が付いたら、もう夕方になっていた。ずっとしゃがんでいたため、腰が痛い。
「えっと……、五本かな。チェロは?」
「僕は一本しか見つけられませんでした。アボさん、すごいですね」
「ははは。もともと草とか見んの好きだからな。それにしても全然生えてないよな。サムとシーも同じくらい採っていたとしても、三本いくかいかないかぐらいか……」
「そんな量じゃ、お浸しも作れませんね」
「確かにな。それにこんなの食べてもおいしくないだろ。筋っぽいし、色も茶色だし」
「ゴボウだって、筋っぽくて茶色ですよ」
「違う!! ゴボウは根を食べるんだから、これとは別物だ!」
 そんなことを言い合っているうちに、あたりはいつの間にか薄暗くなっていて、急に景色が不気味な森へと変わった。
「もう帰らないとな……。サムとシーのほうももう帰ってくるはずだ」
 このとき、僕の胸の中で渦巻いていた不安な気持ちは、薄暗い森に響き渡るコウモリの鳴き声のせいだったのか、それとも……。今思えば、このとき気が付いていれば、未来は変わったのかもしれない。いや、気が付いていたとしても、流れる雲を止めることができないのと同じで、もう決まってしまった未来を変えることなんてできやしないのかもしれないな。

 

~はじまりと予感~