佐藤達の反逆

綿者

 

“佐藤”


 鈴木と並び日本人の多くを占める苗字。今現在、約百九十万人で日本人口の六十六分の一にもなる。おっ、ゾロ目とはなんとも凄い。人の生まれる数、死ぬ数は無秩序なのに倍数の数位が揃うとは。まぁそんなことはいい。問題は彼らの扱いなのだ。

 

 ある会社で社員の三割が佐藤さんだった。一つの部署に最低で十人はおり、いつもいつもみんなの佐藤さんが返事をしていた。

 そんな折、大々的な飲み会の席で佐藤でない一人の男(普段、ダラダラしていて仕事をしないくせに、口は大きいのでダラ男とする)がこう言った。

 

「メンドくさいし佐藤さんAとかBでよくね?」

 

 男は日頃から佐藤さんの言い分けを煩わしく思っており、酔いや無礼講の空気が手伝ったのが理由だ。
 更に運が悪いことに佐藤さん以外の人達が、悪乗りで「そうねー」「いっそ佐藤ズでもよくないですか?」などと言ってしまった。
 同調者が得られた為かダラ男は更に普段から佐藤さん達に思っている不満を言い募った。人に合わせるという日本人の良きあるべきところがマイナスに働き、佐藤という苗字に対する愚痴の言い合いになってしまった。

 

 やがて上司からの注意があり、皆が佐藤さん達に謝罪しこの飲み会ではもう佐藤という苗字いじりはなくなった。
 しかし、佐藤さん達の中には確かな火種が生まれてしまった。

 

・・・

 

 飲み会のあった翌日。朝のミーティングで上司から飲み会時の苗字いじりについての注意が再びあり業務が始まった。その日も佐藤さん達は呼ばれるたびに返事をしていたが、たった一人馬鹿がいた。

 

「佐藤Aさん。これお願いね」

 

 ダラ男である。
 ダラ男は先日と朝にされた上司からの注意など聞かずに、佐藤の後ろにアルファベットを入れて彼らを読んでいた。
 その後もダラ男がアルファベット付けを改めることはなく、何故か佐藤さん達は嫌な顔一つせずに応えていた。

 

 そんなある日、ダラ男が会社を無断欠勤した。
 だが、これは単なるきっかけに過ぎなかった。

 

 その翌日、翌々日、三日後も無断欠勤が続いた。四日も無断欠勤が続き、不審に思った上司は彼に連絡を入れる。しかし、ダラ男が着信に応えることはなかった。その二日後に彼のクビが決まる。だが、一週間たってもダラ男は会社に姿を現さず、止む無く上司はクビの通知を彼の住所へ送付した。
 ダラ男がクビになって五日後を境に、佐藤さん達がポツポツと辞め始めた。曰く、

 

「母が介護が必要になりまして」
「宝くじ当たったので」
「起業しようと思いまして」

 

 等々、宝くじ以外はままあるようなことで、一気にではなかったためもあり、会社の誰しもがそれを不審には思わなかった。
 この会社の人達は知る由もないが、全国の様々な会社で佐藤さん達が退社していった。全国の佐藤さん達が誰一人無職となったその時、今度は彼らの失踪事件が相次いだ。

 皆が佐藤というだけあって、ニュースでは何らかの関連性があるとみてよく取り上げられ、警察でも捜査されていたが彼らが見つかることはなく、まさに忽然と消えたのだ。

 

 警察は捜査に行き詰まり五年後。もう消える佐藤さんがいなくなって一般人の頭の片隅に追いやられるほどになった頃、それは起こった。

 

「我々は、日本国に宣戦を布告する! 我々佐藤を一纏めにし、笑い者にした者共へ鉄槌を下すのだ!」

 

 佐藤達の反逆である。
 ダラ男の会社にいた佐藤さん達は、ツイッターで佐藤の集いというグループを作り、互いに苗字のことで愚痴りあっていた。
 やがてそのグループに他の佐藤さん達が反応して、

 

「自分体達の会社でも同じようなことがあった」
「小学生の自然学校で以下略された」

 

 等々、全国にも佐藤差別があることを知り、皆で励ましあっていた。佐藤さん達の怒りはどんどん募っていき、ダラ男のアルファベット付け発言で佐藤さん達の怒りが天井を突き抜けた。今まで言葉で吐き出すだけで済ませていたのだが、それだけではもう誤魔化しきれなくなったということだ。
 佐藤さん達は決意を固めた。苗字によって自分達を貶める者共に復讐してやろうと。
 ダラ男失踪はその前掛けに過ぎなかった。

 

 佐藤さん達の日本へ対する宣戦布告が行われ、即座に全国で佐藤さんらの反逆が起こった。各々が所属していた企業のデータバンクをハッキングして弄繰り回したり、ツイッター上の佐藤の集いででの話で己らの扱いが特に酷かった者共を選び、葬り始めた。
 一人、二人の佐藤さんらが捕まろうとも彼らはどこにでも現れ、反逆の勢いは緩むどころかがぜん勢いを増していった。

 

 その手は内閣のトップにまで迫ろうというものだった。
 国家的危機と認識され自衛隊が出張ろうと特殊部隊が来ようと、五年間入念に準備してきた佐藤さん達を止めることはできなかった。
 佐藤さん達を纏めていた人が射殺されようとすぐさま新しい佐藤さんが台頭し、戦車までもが出てきても逆にこれを奪っていた。

 

 佐藤さん達はハンドガンやアサルトライフル、手榴弾といった比較的手に入りやすい銃火器しか持っていなかったが、圧倒的なアドバンテージがあった。古くから戦力の比嘉に用いられ、今でもこれを戦いの話から引き離すことはできない。

 日本一多い苗字ということは、日本一多い人達ということ。つまりは圧倒的な数の差だった。 
 自衛隊や特殊部隊の装備がいくら凄かろうと、戦闘に出てくるのは所詮数千人。子供や老人を除いたとしても、その百倍近くもいる佐藤さん達に勝てるわけもなかった。

 

 自国の内紛に海外を巻き込むわけにもいかず、日本政府は白旗をあげた。佐藤さん達は勝ったのである。

 佐藤さん達は自分達のみの国を持つと言い、政府はそれに群馬県を充てた。

 

 佐藤達の反逆はこれにて終了したが、これはただ単に日本が大きく変わる前兆に過ぎなかった。のちに鈴木さんや高橋さんらも革命を起こし、苗字によって住む人々が別けられる苗字国家のきっかけに過ぎなかったのである。