鈴虫が鳴き始め、道路の中央やその脇にある溝が落ち葉で満たされるようになった季節の話である。
学力は平凡で顔も中の中、そしてヘッドフォン同好会に入っているだけのどこにでもいる普通の大学一回生、佐島は大学から帰宅への道を歩んでいた。
気分が落ち込んでいるのかやや猫背気味であり、表情も沈んでいる。
「はぁ……今年こそはなんとかヘッドフォン同好会を正式な部活にランクアップさせたかったんだけど……この感じじゃ無理そうだなぁ」
どうやら大学で何かしらあったようである。他人にとってはどうでもいいことかもしれないが、本人にとっては一大事なことだったのだろう。
道路に積み上げられている落ち葉をなんともなしに蹴り飛ばす。
「あーイライラする……。帰ったらきのこ里とたけのこ山を同時にドカ食いしよ」
そんなこんなしている内に駅に着いた。彼は電車通学生なのである。
慣れた手つきでカードを使って改札を抜ける。電光掲示板を見上げると、ちょうど乗りたかった電車が二分後に到着することを示していた。歩を少し早め、階段を一段飛ばしで駆け上がりながら佐島はプラットフォームへと急ぐ。
やがて電車が到着。誰かが線路に飛び込むなんてアクシデントも起こらず、電車は滞りなく止まった。中に入ると乗客がほとんどおらずガラガラだったので、これ幸いと四人席を二席分自分と荷物で占領する。
「ふぅー……」
一息ついてスマホを取り出し、さて大乱闘な動画か馬娘の動画かどちらを見ようかなと悩む佐島。しばし迷った末に大乱闘な動画の方に決めて、愛用のヘッドフォンを装着しようとした時。
「おっ佐島じゃん! 久しぶり!」
近くから急に音が聞こえた。佐島は思わず五センチくらい飛び上がってヘッドフォンを取り落としそうになった。まだスマホに映した動画の再生ボタンは押していない。ということは誰かに声をかけられたのか。
ヘッドフォンを抱き締めながら目線をあちこちに向けると、声の主は案外すぐに見つかった。
ソイツは佐島のすぐ隣にいた。
「うおわっ!!?」
さっきよりも大きな驚きの声を上げる佐島。再びヘッドフォンを落としかけるがなんとか耐えた。代わりにスマホが膝から落ちたが。
「おいおい大丈夫かよ?」
隣の男子はそう言いながらスマホを拾おうとする。佐島はそれを手で制し、というか今のお前じゃ拾えないだろと思いながら自分の手でスマホを拾った。
横にいる男子はそれを気にした様子もなくニカッという効果音が出てそうな笑みを浮かべる。
「改めて、久しぶりだな佐島! 入学式以来か?」
「えーと……まぁ、そうかな。……うーんと……ごめん、名前なんだっけ」
「おいおい薄情なヤツだなぁ! 宮滝だよ宮滝!」
「あー、ミヤタキ君。確かにそんなだったような……」
薄情だとか宮滝は言ったが、いやいやこれは当然の反応と言えるだろう。
佐島と宮滝は大学の入学式前に、トゥイッター上での「春から○○大学生!」というハッシュタグ付きの投稿がきっかけで知り合い、そこからダイレクトメールで少しやり取りしただけの仲なのだ。ほどほどに盛り上がりはしたし入学式の日に顔合わせもしてライムの交換もしたが、それっきりである。初めにスタンプを何回か送り合って、それ以後彼からのメッセージは特に受信していない。それっきりで約六ヶ月である。むしろよく宮滝の方が覚えていたな。
それに、正直佐島は今宮滝に対して気になることがありそれ所ではない。
「あ、あのさミヤタキ君。なんか色々と言いたいことあるんだけど……とりあえずさ……!」
「なぁそれよりもよ! もうこの際佐島でもいいや、ちょっと聞いて欲しい話があるんだよ!!」
「いやいや! それよりも今のミヤタキ君さ……!」
「いいから、まずは俺の話を聞けって!! さっきさ、俺すっげぇ怖い体験したんだよ!! だからさ、とにかく誰でもいいから話したいのよ。聞いてくれるか?」
「……わ、わかった」
色々と言いたいことはある様子の佐島だったが、とりあえずは大人しく宮滝の話を聞くことにしたようだ。
「さっきまで、俺駅の近くにある公園を歩いていたんだよ。そしたらさ、砂場になんか変なモノがあるのを見つけてさ」
「変なモノ?」
「そう!」
そこで宮滝は何かを思い出そうとしているような間を挟んだ。
「なんか砂場んとこでガサガサやってたんだ。最初は小動物かと思って、俺気になって近くに行って確認しようとしたんだよ。そしたらさ……」
「そ、そしたら……?」
宮滝はそこで初めて声を震わせた。
「『ナニカ』がいたんだよ。そこに……」
「ナニカ?? ちょっと、そこをボカさないでよ。一番大事なとこじゃん」
「いやいや、本当に『ナニカ』としか言いようがねぇんだよ。アレになんつー固有名詞を当て嵌めればいいのか、今でもわかんねぇ。ただ、明らかに『普通の生き物』じゃなかったのは確かだ」
「ふぅん……?」
佐島はイマイチ信用してなさそうな表情で首をかしげる。直接自分の目で見た(?)宮滝はその認識でもいいかもしれないが、言葉で聞いているだけの佐島にはその怖さがさっぱりわからないのだ。
それを察したか、宮滝は所々唸りながらも説明を追加し始める。
「うーんと確かな……基本フォルムは……タランチュラみてぇな感じだったな。ハッキリとはわからねぇが、両の手で拝み取ってもはみ出しそうな大きさだった」
「っ……それはちょっと……」
その姿を想像したか、若干佐島の顔が青くなる。ようやく求めていたリアクションを引き出せたからか、宮滝は更に勢いづいて話す。
「そんだけじゃねぇんだよ! 色なんかもう墨汁に浸したみたいに黒くてさぁ! 足もしょっちゅうカサカサ動いてたんだよ! 砂場から何かを掘り出そうとしてるみたいに」
宮滝の話を元に頭の中でイメージを組み立ててみる。確かにそれは少し怖いかもしれない。
「もう見るからにヤバいってわかるんだけど、どういうわけか俺はソイツから目が離せなかったんだ。そのまま……十分ぐらい過ぎた頃だよ。……突然、後ろから肩を叩かれたのは」
話を聞いているだけだったのに、いつの間にか佐島の体には鳥肌が立っていた。
「叩かれたって……誰に?」
「叩いてきた手が、死人みたいに冷たくてよ。俺もうどうしたらいいかパニックになりかけたんだけど、意を決して振り向いてみたんだ。
……そしたら、俺のすぐ後ろに、男が立ってた。気配なんか全然しなかったし、いつから立ってたのかもわからなかった。ただ、背丈とか顔立ちは普通の人間と変わらなかった。んでその男な、俺をしばらく無言で見つめた後、ボソッとこう言ったんだよ」
「な……なんて言ったの?」
「『お前、運が良いな』て。すごく冷たい声で言ったんだ」
「運が良い……?」
「当然、俺にはなんのことかわからなかったんだよ。ただ、それを言われた瞬間に寒気がゾワって来てさ。さっきのタランチュラもどきがいた所から並々ならぬ雰囲気を感じたんだよ。だから俺は、タランチュラもどきがいた場所へとおそるおそる視線を戻したんだ。そ、そしたら……!!」
「そしたら……!?」
乾いた唇を舐めてから、宮滝はゆっくりと言った。
「タランチュラもどきが、影も形も無く消えてたんだ」
「……んん??」
なんか話が予想外の方に行った気がする。
「怖ェよなぁぁ!!? さっきまでそこにいたタランチュラが消えてんだぜ!? もう俺体の震えが止まらなくなっちまって……!!」
「うんん? ……うん、うん……?」
「というわけなんだよ。これで話は終わりだ。ご清聴ありがとうな」
「お、おう……」
「…………」
「…………」
「…………」
「……えっ、そこで終わり??」
「? 『終わり』とは?」
「いや……え、タランチュラがいなくなって終わりなの?? 振り向いたらなんか巨大な化け物になってたとか、突然飛びかかって来たとかは??」
「いや、なかったけど?」
「あっ、そうなの……」
佐島が何とも言えないような顔をする。夢の中でさらに夢を見てしまったような、そんな感じの顔だ。
「……ごめん宮滝、その話あんまり怖くない」
「なっ、なんでだよ!? メチャクチャ怖ぇだろ!! 実際に相対した時とか、生きた心地しなかったんだぞ!?」
「いや確かに宮滝君視点ならそうかもしれないけどさ、第三者視点から見れば『怖い』よりも『えっ、つまりどういうこと?』て気持ちが勝っちゃうんだよ。なんか、思ってたのと違う展開で話が終わっちゃったからさ……。そこで終わられちゃったら、イマイチよくわからない話になっちゃうんだけど……」
別に佐島は関西人と言うわけではないが、人間とは怖い話にも大なり小なりのオチを求める生き物である。そうした感覚になぞらえて言うならば、宮滝の話はどうにも『オチが弱い』。
イマイチどういう感情を抱けば良いのかわからないでいると、宮滝は場を仕切り直すように咳払いをした。
「仕方ねぇ。怖すぎるから封印していようと思ったが……実は、まだこの話には続きがあるんだよ」
「あっ、良かったまだ続きあるんだ? あそこで終わられてたら消化不良どころじゃなかったから良かったよ」
再び聞く体勢に戻る佐島。
「そのタランチュラが消えてたことに気付いた後さ、俺もうすっかりパニックになっちまって。だって訳わかんねぇ生物は見つけるし訳わからんことは言われるし、その生物の方は消えちまうしで。だから俺、何かしら説明をしてほしくてあの男がいた方へもっかい振り返ったんだよ。そうしたら……」
「……そうしたら?」
「なんと、その男もいつの間にかいなくなってたんだよぉぉ!!!」
「……うん」
「おう」
「…………」
「…………」
「……いや、で?」
「で、とは??」
「だから、その男が消えた後は?? 何か起きたりしなかったの?」
「特に何も。ビックリこそしたけど、何事も起きず無事に駅までたどり着けたぜ」
そこに関してはあっけらかんと答える宮滝に、佐島は頭を抱えたくなった。抱えたまま、言いにくそうに告げる。
「たぶんだけど……宮滝くんは怖い話の語り部に向いてないよ……。ぶっちゃけ全然怖くないもん」
「なっ、なんでだよオイ!?」
「じゃあ聞くけど、逆に君はさっきの話でどういうリアクションを求めてたのさ……。俺
はその話で怖がればいいの?驚けばいいの?」
「笑えばいいと思うよ」
「半笑いが限界なんだけど」
「驚きながら怖がればいいだろ」
「聞き手に器用なこと要求するねこの語り手」
もはや話の最初の方にあった怖そうな雰囲気は完全に消え去っていた。掴みはいい感じなのにオチがあまりよろしくない。竜頭蛇尾とはまさにこのことか。
「な、なんでそんな反応なんだ……俺の中では、もうちょい怖がってくれるはずだったの
に……!」
「中途半端なんだよ……まぁ怖くはあるけどめっちゃ怖くはないし……ぶっちゃけただの不思議体験レベル……」
「くっそぉ……」
しばらく宮滝は悔しそうに声を上げていたが、しばらくするとふと何かを思い出したように顔を上げた。
「あ、そういやお前はお前でさっき何か言いかけてたよな?どうしたんだ?」
「えっ、あぁいや……その、さ……」
唐突に話を戻されて佐島は戸惑った。さっきから気になっていたことなのだが、果たしてそれを言って良いのか。佐島は少し迷ったが、やがて口を開くことにする。
「その……これ結構な速度で走ってる電車なんだけど、宮滝君はどうやってそこに立ってるの?」
佐島は窓越しに彼の隣に立っている宮滝へと問いかけた。
「……あっ、そうか。そういやまだ育ってなかったな」
宮滝は急にすべての合点がいったかのように頷いた。彼は何か分かったようだが、佐島には何が何だかさっぱりわからない。『育つ』ってなんだ?
『間もなくー、大阪ー、大阪でーす』
無言の間が始まりかけたとき、不意にアナウンスが鳴る。その音声に、佐島は一瞬だけ窓の外から意識を反らした。
だがそれも二秒ほど。すぐに窓の外、宮滝がいた所へと視線を戻す。
そこに宮滝の姿はなかった。
「なんなんだよもーーーーっ!!」
佐島の意味不明な叫びを車両に乗せながら、電車はゆっくりと大阪駅に到着した。
彼の身に何が起きたのか。宮滝は何だったのか。今では知る術は無い。
というかむしろ誰か教えてほしい。
了