UFO

短編/松戸蓮太

 

 退屈そうだね。まぁダンボールに荷物を積めるだけだから。でも荷造りってそんなものだよ。君はいかんせん要領がいいからね。頭で描いたことを実行するだけ、そりゃあつまらないだろう。仕事はあるのに手持無沙汰な気分になるのは、よくあることさ。大人になったらもっと経験するよ。あ、いやごめんごめん、未来ある若者に向かって脅しをかけるのは、大人の悪い癖だ。でも本当に大人はつまらないよ……。

 

 ……ああうん、そうだね。建設性がなかった。もっと夢のある話をするべきだった。そうだ、じゃあ夢のある夢の話をしよう。夢だけに。なんちゃっ、いたっ。君時々足が出るよね。まあいいけど、……そんなに嫌かい。でもこれ以外思いつかないからなぁ。

 昔の忘れられない夢の話でね………

 

 

 夢の舞台は僕が幼いころから住んでいたこの実家だ。と言っても改装したから、今とは部屋の配置とか違うんだよね。その頃は確か小学校高学年ってあたりの年齢だったかな。満月だったから月光が眩しくて、僕はなかなか寝付けなくて自分の寝室を出たんだ。現実と地続きみたいな夢だったけど、ここからすでに夢の中だよ。二階建て、そこそこ広めの一軒家。その頃僕の部屋は二階で、十字の廊下の、真ん中の道の奥にある。その廊下だが、少し大きな窓があったんだ。小さい頃は窓の暗闇が怖くて、下にトイレに行く時はかなり凝視しながら通ったものだよ。すっかり窓を見るのが癖になっていた僕は、夢の中でも窓の向こうの暗闇を見ていた……

はずだった。

 

 目を向けた瞬間、何かと目が合った気がした。どら焼きから餡を抜いて滑らかにしたような形の、白と水色と緑の中間の色をした機械が、宙をかき分けるように滑っていた。未だ人類が辿り着いたことのない、究極の空気抵抗を無視した形。その潰した楕円形の正体は、まさしく未確認飛行物体、UFOだったんだ。

 

 UFOを見た。UFOと目が合った。UFOがいるってことは、つまり宇宙人もいるってことだ。そのことに気がついて、僕は足音を立てないように部屋に逃げ帰って、夏布団を被ってガタガタ震えた。ホラー番組でUFOはキャトルミューティレーションしてくるし、宇宙人は僕らを連れ去って人体実験してくる灰色の怪物だって知っていたから。おそらくあのUFOもとい宇宙人の目的も、そうなんだと確信していた。頭の中の宇宙人と再び目が合って、僕は更に布団の端を握りしめた。そうしてさなぎより強固に包まって、何時間経ったんだろう……。

 

 警戒心が少しずつ薄れて、UFOが数十キロ先に飛んで行った気がした。そうだ、こんなに時間が経っているんだから……大丈夫だと……。そんな訳で布団から顔を出してみた。少し首と目を動かしてみても、そこにはいつもの僕の部屋があった。外のライトも光ってない。安心しきって上の方にほっぽってあった枕を手繰り寄せた。その頃には実はさっきまで寝ていて、夢を見ていたんだって考えていた。何も怖くなくなった僕はさっさとトイレに行って、帰ってきてゆっくりと寝る態勢に入っていた。

 

 電気を消してうつらうつらしていると、ふと気づいた。妙に涼しい。その時季節は夏で、夏布団半そで半ズボンになってるくらいだった。けどその頃はまだ今よりは気候も涼しくて、夜はクーラーなんてつけなかった。総評としてはいつもはちょっと暑い。それが今日は足元のあたりから冷気が流れてきた。僕のベットは窓と隣接されてるから少しは寒くもなるけれど、こんなにはっきりは初めてだ。それでまた恐怖がぶり返してきた。怖い、怖い。だからこそこんなのは噓だと思って、起き上がろうとして身をよじった。

 その時、足が窓枠に当たって音が出た。イルカの鳴き声みたいな、妙に高くて心細くなるあの音……。血管と神経が体中に恐怖を駆け巡らせた心地がした。こんなに簡単に音が出るってことは、空いていたってことだから………。全身が泡立って脳の血管が委縮した。恐怖が頭の警鐘をガンガンと叩いた。けれど体はそのまま起きていた。何もできないから起きる動きを止められなかった。そして僕は出会ってしまった。視界の端、ドアの前に佇む少年。宇宙人と……

 

 動けなかった。動いたら殺される……と。頭はそればっかりだった。宇宙人は僕に認識されたことに気づくと、ドアの横のスイッチをまさぐるように押した。電気がぱっとついて眩しくなった。反射で目を閉じたが、目を離したら死が待っていると、強迫観念で片目を無理やり開き続けた。その間、少年は瞬き一つせず僕を見ていた。ああ、灰色の怪物が中に入っているなと確信して、一層鼓動は早くなった。目を逸らさないことしかできなかった。明るさに何とか慣れている時、宇宙人が足音を立てないようにしてゆっくり、ゆっくりと近づいてきた。僕はよく失禁しなかったと褒めたいほどに震えながらも遠ざかろうとした。遠ざかれなかった。一ミリを遠ざかったと誤認していた。まな板の上の鯉。いみじくも正にそんな感じだった。僕が抵抗もどきをしている間も少しずつ近づいてくる宇宙人。

 そして僕の耳は、フローリングからベットを乗せたマットへと足をかける、その時の変化した音を聞き逃さなかった。僕はその音である種の緊張の糸が切れてしまった。声を上げて泣きじゃくり、殺さないでください、殺さないでください、そればかりを馬鹿の一つ覚えのように繰り返した。わんわん泣いて、何もわからなくなって、そのあと場違いの柔らかさを感じた。手だ。頭に手が置かれて、離されて、また置かれる。不器用甚だしいが、僕に対する愛情なのは間違いなかった。

「安心しろ。こちらは危害を加えるつもりはない」

 すぐには助かった実感も湧かず、その言葉は恐怖で固まった頭の中に木霊していた。

 

 涙が引いてきて、のどの渇きに気づいた頃、僕はいつの間にかベッドから背中を離していた。自然と胡坐をかく体勢となり、そんな僕を宇宙人は何をするわけでもなく見つめていた。

 やがて僕は勉強机にぶら下がったティッシュに手を伸ばせるまでに落ち着いた。心配か、困惑か、はたまた値踏みか。宇宙人は僕を人間と何ら変わらない瞳で見つめている。そんな様子を見ていたら、先程までの恐ろしさの代わりに好奇心がむくむくと膨らんだ。どもりながら彼にあれこれと宇宙のことを聞いたんだ。「あなたの星はどんなところ」とか、「地球はどうですか」とか。一番くだらない質問は「地球の食べ物は何が好きですか」だった気がする。そうしたら彼は驚いた様子で答えてくれた。それが夢なのに予想の上を行っててね。星は地球と同じように空気があって、それが毒だから海の中で生きている。だから地球人が動きにくくて、毒のはずの空気そのままの陸地で生きていて驚いたらしい。海の哺乳類や軟体動物に近い生き物なのかもしれない。

 

 僕はこの話を聞いた時、本当の姿を聞かなかったことに安堵したよ。好きな食べ物は特にない、というか食べることは禁止されているらしい。自分はあくまで文化や思想面の調査担当、ということらしい。すごくらしい、と思った。彼は少年だったが当時の僕よりかは少し上、中学生くらいの年齢に感じた。黒髪に中肉中背、けど顔は結構綺麗だった。クラスに一人か二人、クールな顔立ちでモテる子がいるだろう。そのイメージに近い。確かにその容貌ならその頃流行っていた漫画の探偵みたいに情報収集できるだろう。すっと話し込んでいる人の輪に入ってお喋りして、偶に黄色い声援を送られる年若い探偵に彼はよく似ていた。あれやこれやを聞いていたら、だんだんと彼の纏う空気が柔らかくなった気がした。そのうち僕の質問が尽きてきた頃合いに、彼の方から質問が飛んできた。「地球人から見て地球はどうか」「権力に従うのはなぜか」「今幸福か」……。小さい僕には壮大な質問だったのでうまく答えられないでいると、彼は身近な質問を混ぜてきた。「親はどんな人か」といった類に。その時の僕の返答はというと、「地球は大きい」「偉いから」「多分そう」「好き」……単純すぎるくらいだ。僕のくだらない返しに目を細めることもなく彼は聞いていた。水に波紋が広がるのを見ているみたいだった。がっかりさせたかと、僕は少し怖かった。

 

 アンケートみたいな質問が続くふとした瞬間、ある意味一番身近な疑問が湧き出てきた。

「なんで君はここにいるの」

 僕が偶然UFOを目撃したとしても、対応として不自然なことは当時も違和感として感じていたらしい。質問から少し間が空いて、彼はUFOに誤作動が起きたから念のために調べていると言った。僕にUFOが見えたのはその誤作動の一環らしい。そして点検の合間に僕に接触し、然るべき処置を行う。それで僕のところに来た。つまるところ僕の記憶消去が目的だ、と。しかし僕があんまり怖がるから、つい必要以上に干渉してしまったらしい。彼が来たときはあんなに怖がっていたのに、記憶消去と聞いても僕は動じなかった。むしろ安堵のような、一種の悟りだったのかもしれない。命を取られないだけましだと思ったのだろう。さらに記憶が消えると言われても、彼への興味は失われなかった。興味関心がぱっちりと目を覚まして、むしろさらに彼と話したくなったんだ。

 

 そのあとがこの夢の中で一番楽しかった。僕と彼が交互に質問を繰り返すうちに、僕たちは聞かれずとも何かを話すようになっていった。気づいたら幼稚な悪口や不満、好きなこと、楽しいこと、全部ないまぜに話していた。彼も宇宙と地球の考察、人間、その他生き物、空想、その関わりなど僕には全く意味のない話までした。僕は半分もわからなかったし、彼も僕の話が分かっているのかは確信が持てなかった。けれど楽しかった。僕らは本当は言葉も体も何もかも違うだろうけど、分かり合えていた気がした。もしかしたら、この時間は泣き叫んでいた時間よりずっと短かったのかもしれない。けれどきっとこれは、少年時代だった。黄金期が濃縮された、夢の時間だった。そう、夢だったんだ、あれは。僕はきっとその頃から、子供でいられる寿命を感じとっていたんだ。それで未来の懐古が、僕にこの夢を見せたんだ、きっと………………

 

 急に外が明るくなって、カーテンを開けた。話の途中だったが仕方ないと自分を言い聞かせた。窓の外、狭いベランダの上空にUFOが音もなく浮かんでいた。別れがやってきたんだ。あんなにも最初は恐怖していたのに、やっぱりUFOは美しかった。僕は記憶消去のことを思い出して、今更怖くなった。思わず彼の方を見ると、その目は悲壮というか、惜しみというか、なんだか青かった。記憶が無くなったら、今夜話した僕はいなくなるから。彼だって辛かったんだ、きっと。だから僕の方から絞り出すように、

「やって」

 そう無理やり言って目をぎゅっと痛いぐらいに閉じた。そうしてまだかまだかと待ち構えていると、彼が僕の肩を軽く二回こづいた。眉間の力を解いて目を開けると、視界には彼の手と、隕石のような石があった。周りが小さなクレーターみたいにえぐれていて、はっきり地球のものじゃないと気づいた。驚いて顔を上げると、彼の黒い瞳と目が合った。

「誰にも言わないなら、君はこの夜を忘れることはない」

 さっき一番楽しかった時を言ったけど、一番うれしかったのは彼のこの一言だった。この石はその記念で、僕の記憶以外の証明なんだ。そう言外に言われているんだ、そう理解したんだ………………

 

 な、面白い夢だっただろう。UFOの宇宙人との少年時代だなんて。子供の頃に見て忘れられない夢って本当にあるもんだよ。君も少年時代は大切にしなさいよ……

 

 さて、ひと段落したし今日はこのぐらいにしておこうか。しかし生家をひっくり返していくと、意外と面白いものが見つかるもんだね。瓶詰にまさに子供のお宝って品がぎっしり入っててびっくりしたよ。特にその、どこで拾ってきたかわからない石なんていいんじゃないかな。特に面白い話もしてあげられなかったし、駄賃代わりに持っていきなよ。覚えていないけど、多分僕の少年時代の思い出なんじゃないかな。