片腕と錆びつき

短編/SF/ミッカ

 

 コンクリートが朽ちた建物が転がっている。そのほとんどが苔と共存していた。薄暗い建物の森は、動物の楽園となっていた。鳥や犬、猫や猪など多くの動物が巨大化し、あちらこちらで縄張りを争う咆哮が響いている。虫は特に大きくなり、少しでも逃げ遅れた鼠は簡単に捕えられるほどだった。動物の気配が漂う中、一つ違う足音が聞こえた。二足で歩き、毛皮の代わりに衣服を纏い、右腕は捥げ、その後から数本のコードがぶら下がる。膨らんだ荷物を背負い、黒い短髪を携えたその機械は、当てもないように薄暗いコンクリートの墓地を歩いていく。

 

かつて、「人類」と呼ばれる哺乳類がいた。人類は恵まれた知能とコミュニケーション能力を活かし、瞬く間に生活圏を広げ星を覆いつくした。数は七十億を超え、それに伴い様々ないざこざが増えた。知識は争いだけでなく、倫理観や欲望も生んだ。環境問題や不平等を訴えながらも、快適な暮らしを求め続けた。矛盾は時として知識の発展を生み出し、遂には自分たちと寸分変わらない「機械」を生み出し量産することに成功した。しかしその機械は裕福な暮らしをしていた者の手にのみ入り、全ての人々にいきわたらせるための技術と金は、争いと敵を殲滅するための「兵器」に使われた。自分たちの力量に有り余るその「兵器」の前に人類は成す術もなく倒れ、滅びを迎えた。機械たちは、作り上げた大手企業の最終アップロードにより、人類が持つ「自我」に極めて近いAIが施され、命令がなくとも動けるようになった。残された機械たちは自分たちの部品補充も兼ねた兵器の解体をしつつ、当てもなく彷徨うものがほとんどだった。

 

「やあ、そこの方」

 片腕の機械は声を察知した。小さく、かすれた音声が静まったコンクリートに響く。抑揚は薄く、自分と“同じ”であることは即座に分かった。声のする方に向かう。人類が使っていた集合住宅の下層に足を踏み入れると、声はわずかに大きくなっていった。

「そうそう、そのまま真っすぐ……その後右へ」

 声の主は位置情報をインターネットから経由しているのだろう。片腕の機械は音声の指示通りにある部屋にたどり着く。ドアは朽ちていたが、微かに名前らしきものが書かれたドアプレートがあった。壊さぬようにドアを動かし、中に入る。そこには四足歩行の愛玩目的に使われた機械が机の上に鎮座していた。目に値する箇所はほとんど光っておらず、関節部分は錆びつき、「伏せ」の姿勢で口のみ動かせる状態だった。

「ああ、仲間、だ! 良かった。良かった。このまま、一人は寂しいところで、た」

 やはり声は掠れ、今にも機能が停止しそうになっていた。頭部にあるソーラーシステムがなければ動いていないだろう。片腕の機械は机の横にある埃まみれのベッドに腰かけた。そのまま何も話さない。錆びついた機械は首を動かし、なくなった片腕の方を見た。

「おや、その腕は、大丈夫でしょうか?」

 片腕の機械は右肩を動かし、コードをぶらぶらと揺らした。

「ええ、平気です。支障は現時点では特にありません。あなたこそ、大丈夫ですか?」

「ううむ、少し、心配だね」

 錆びつきの機械は心配を口にしつつも。口調は下がることはなかった。寧ろ、会話ができているこの状態を楽しんでいるようだった。錆びつきは更に会話を続ける。

「この部屋は、かつて私を大切にししてくれた主、の物です。小さな手、で良く撫でてくれましたよ」

 片腕はそれを聞くと、微かに天井を見上げた。ヒビが入り、ひと月もすれば崩れてもおかしくない。昼間とは思えない温度と暗さを保つこの部屋で、機械は更に会話を続けた。

「その主人との最後の記憶はありますか?」

「ええ、大きい荷物、があり、背中に背負いました。頭をなでてくれました。”疎開“と言う単語があります。ドアが閉まりました。これ以上の記憶は、ありません」

「そうですか」

「貴方はどうでしたか」

 片腕はそっと左手を右に添えた。漏れるオイルもなく、コードが治るわけでもない、無意味な行動である。少しの沈黙ののち、口を開いた。

「私は、戦闘用アンドロイドとして製作されました。試作品モデルにつき、すぐに右腕を負傷、戦場から退避しました」

「ほう」

 片腕は戦場の記憶を検索した。臓器が転び出る兵士、全てが粉砕された同機種、助けを求める手遅れの人。匂いを感じ取る

モデルではなかったが、途中で嗅覚を持つモデルは制作中止になったことも思い出した。

「私によく話しかけてくれる人がいました。後の主となる方です。主は、私を家に招き入れ、こう言いました。『今日から家族になってくれないか』と。命令に従いました」

 彼の家には子どもと妻がいた。妻の方も家にいる機会が平均より短く、子どもはよく片腕に話しかけた。ある期間には右腕を修理してもらったこともあり、「彼」は家の仕事を全面的に任されることになった。

「空が赤くなることが増えました。彼は妻と話し合う時間が増えました。目を抑える仕草は通常の五倍は多くなっていました。貴方が言っていたように、彼らも”疎開“をすることになりました。私は地下で待機を命じられました。それはアプリの最終アップロードが終わるまで続きました」

 彼は最終アップロード後にメッセージを受信した。彼からの物だった。

『待たせてすまない。君はもう自由だ。どこへ行ってもいい。鍵も掛けなくていいさ。妻も子も、君を愛しているよ』

 片腕は腰を上げた。錆びつきの前に立ち、会話を終わらせる。

「最終アップロードは、私を混乱させました。日の光が、想定よりも強く目の回路にバグを発生させました。今、私は目的を探しています。貴方は何か、ありますか?」

 会話は、質問という形で終わった。錆びつきは頭を数回傾け、目を点滅させた。

「されは、難しいで、ね。思考回路を構築しています。しばらくお待ちください」

ピーピー、ガーッガーッと音を立て、「目的」にふさわしい答えを導き出そうとした。二分ほど首を動かしつつ音を立て、彼は口を開いた。

「申し訳、せん。”目的“に合致する答、は出ませんで、た」

「そうですか、ありがとうございます」

 片腕はベットと机、錆びついた機械の埃を払い、外出の準備をした。窓に半分掛かったカーテンを全開にし、錆びつきに声を掛けようとした。錆びつきは提案をした。

「私も一緒に、お供しても、ヨロしでしょか」

「可能です。私に何かできますか?」

「お互いに”目的“が見つかりませんで、た。お手数をおかけしますが、お供させてもらっでででもよ、しいでしょうか。”目的“を共に探しましょう」

 片腕は今までの会話をリロードした。共通事項がいくつか見つかった。運命という言葉を検索した。この状況に半分以上合致していた。

「はい、問題ありません。歩くことが困難の様に見えます。修理を希望しますか?」

「はい、七十%ほど希望、します」

「残りの三十%はどうされますか?」

「 “思い出”の検索結果を読み上げます」

 検索結果を読み上げる錆びつきを、片腕は持ち抱えた。

 

 ドアを開けて、コンクリートの建物の間を歩いていく。日は西へ沈み、全てが静まり返る中、一つの足音と機械音が響いた。