創作盗難

白夢 翔

「植村さん! 杵打です。ついさっき例のナモール人とかいうのが来て――」
 こんな電話が掛かってきた時、森羅出版編集部員の植村は驚愕した。具体的には、手持ちの缶コーヒーを取り落とすくらいには驚愕した。足元に冷めたコーヒーが広がる。
「なんですって? 大丈夫なんですか! 警察や救急は」
 植村の言葉を遮るように強い語気の返事が来る。しかしそれは、怒りではないように植村は感じた。
「そんなことはどうでもいいんですよ! 書けなくなってるんですよ! これまでのも他社で書いていたのも、作品に関すること全部、奪われたんです!」
「なんですって……」
 興奮する杵打をなんとか落ち着かせ詳細を聞いた後、植村は電話を切った。信じられないが、信じるしかない。ナモール人の言っていた意味がやっと理解できた。
「編集長、杵打先生から連絡がありまして」
 コーヒーの水たまりを踏み抜いて神鳥編集長のもとに向かう。この超常的事態にこぼれたコーヒーなど、どうでもよかった。
「おう。聞いてた聞いてた。まさかこういうことだったとはなあ」
「どうしますか。やはり警察等に」
「いや、恐らく無駄だ、やらん。まず信じてもらえるかも怪しい。今は情報共有が先だ」
 神鳥は迅速だった。直ちに事件が編集部内で共有され、作家の方にも通達された。
 植村は改めて二週間前、部内のパソコン、携帯に流れた映像を見返していた。画面では真っ黒な皮膚に真っ青な眼をした人型の生き物が身振り手振りを示しながら話している。腕は左右二本ずつ、計四本ある。
「森羅出版の皆さま。初めまして。私はナモール人と申します。現在、我々の故郷ではとある病気が蔓延しています。これへの特効薬の獲得、そのサンプルを手に入れるべく、私が派遣されました。つきましては、今より二週間後私があなた方の作品を頂いてまいります。我々ナモール人はあなた方よりも遥かに知的かつ高度な文明、技術を持っています。抵抗などはしないようお願い申し上げます」
 恐らく笑って手を振っているつもりなのだろう。だが口角が顔の半分まで上がっている姿は恐怖を植村に植え付けた。
 彼の言う「作品」の意味が今日になるまで解っていなかった。しかし、これはトンデモナイことだと植村は嘆息した。
「構想、ストックまで丸ごと持っていくことはないだろ……。データ・本の盗難だった方がどれだけマシか」
 それはそれで結構な問題なのだが、今回のことに比べれば幾分かマシに思えたのだ。杵打の言う通りなら恐らく相手は人間ではない。流出することもないだろうという考えである。
 植村が編集者としてどうかという意見を考えている間にも事態は進んでいく。三日おきに一人ずつが犠牲となっていった。挙句、襲われることを恐れた一部の作家から休筆したいとの連絡も来た。当然、断れないため了解することになる。目に見えて人員は減っていく。
 杵打が被害に遭ってから三週間が経っていた。植村含め多くの人間の顔は疲弊したものになり、遂に休刊についての話し合いがなされていた。
「やむを得ませんか、編集長」
「ああ。だが今すぐに休刊にするわけではない。升埋に賭けてみる。それからだ」
 植村は升埋と聞いて不思議に思った。彼についてはあまり知らない。自身の先輩である編集長の大学時代の友人であり、直木賞を過去に一度とったことがあるということ、毎回最終締切り直前に入稿するため、編集泣かせと言われている、ということくらいであり、会ったこともなかった。
「先輩、何故升埋先生なのでしょうか。何か意味が?」
 だから、思わず編集長と編集部員ではなく、大学の先輩後輩の関係に戻って聞いてしまった。
「ん? そうか。アイツのことは他大学だから知らなかったんだな。まあわかるさ。ナモール人の手口が情報通りならアイツなら多分なんとかしてくれる」
「手口は解りましたからね」
「ああ」
 四人目の作家が被害に遭った際、彼はどのような手口で奪われたのかを覚えていた。ナモール人は腕輪のような道具を使って脳内の作品に関するアイデア・記憶の類を持っていくこと、その際に作家の任意で記憶を消せるということである。杵打は恐らく記憶の消去を望んだため、情報が入らなかったのだろうということが判明しているのである。
 植村が次の言葉を投げようとしたとき、神鳥の携帯が震えた。通知を見た神鳥は嬉しそうに笑って、応答をスワイプした。
「おう、升埋か。来たか」
「さすが神鳥。正解。大正解。任せろ」
 通話は一分もせず終わった。
「本当に大丈夫なんですか?」
「おう。心配無用ってやつよ」
 そう言って神鳥は携帯を仕舞った。
 
 締め切りまであと一週間を告げているカレンダーを眺めながら、升埋は酒を飲んでいた。デスクには取材資料もPCも置いていない。あるのは酒瓶とツマミの外国産チーズだけである。
「あと一週間、残り一週間……」
 念仏のように唱えながら酒を飲むこと三十分、頭の中には何も浮かんでこないが、焦りはしなかった。いつものことだからである。
「やっぱり駄目ですな! も少し飲んだら寝るか」
「こんばんは」
 グラスを置いてツマミを取ろうとしたとき、背後から声が聞こえた。
「おお、びっくりした。おどかすなよ」
 振り向くと、三週間前に担当杉野が送ってきた動画に映っていた奴が立っていた。
「これはこれは、失礼いたしました。私はナモ――」
「知ってる知ってる。ちょい待ち。電話する」
 ナモール人の自己紹介をアッサリ遮って、升埋は担当の杉野ではなく、神鳥に電話を掛けた。自身を担当して二年目の杉野ではなく、大学時代からの親友神鳥に。
「おう、升埋か。来たか」
 電話がつながった瞬間、そんな言葉が耳に入ってきた。大学時代と変わらない、わかっていたかのような言い方に安心を覚える。だからこそ、升埋は神鳥に連絡したのである。
「さすが神鳥。正解。大正解。任せろ」
 それだけ言って電話を切る。改めてナモール人に向かい合い、真っ先に出てきた言葉は意外なものであった。
「とりあえず、飲むか?」
 ナモール人は呆然としている。こちらの言葉が通じないのか、それともアルコールがダメなのかもしれない。そう考えた升埋は直ちに言葉をつなげる。
「ああ、悪い。日本語わかるか? ってさっきこんばんはって言ってきたな。酔ってる、うん。俺は酔ってる。悪いな、アルコールがダメか?」
「いえ……、そうでなはなく……。あなたは今までにない反応をされました。私を恐れないのでしょうか」
 あっけらかんと升埋は言い放った。
「なんだ。そりゃあ、お前が送ってきた映像見てるからな。慣れてるよ。で、飲むか?」
 ナモール人はさらに混乱した。この状況である。今までの作家は取り乱していた。しかし、目の前の作家はまるで違う。見慣れたという発言、そして執拗に酒を勧めてくるのだから。
「いえ、結構です。それよりも私がここに訪れた意味をご存じでしょうか」
「もちろん。せっかくだし二、三個質問したいとも思っていたさ。そういう意味での酒さ。話しやすくなるだろ? 飲むか?」
 ナモール人は四本の腕を大きく振って拒否の意を示した。
「いえ、ですからお酒は結構です。ですが、質問には答えましょう。我々はこの星で言う、紳士としての自覚があります。疑問は解消して納得の元、頂きたいと考えています」
 升埋は一息でグラスの中を空にすると、温めていた質問を投げかけた。
「まず、お前は宇宙人ってことでいいんだな? さっきこの星って言っていた」
「はい。私、もとい我々ナモール人はあなた方の一つ隣の銀河系から参りました」
「一つ隣か! そりゃまた長旅だったな。おつかれさん。次だ。お前らのとこで流行ってる病ってのと、その特効薬についてだ。なんで俺らんとこの創作物が薬になる? 俺は精神的なものだと考えたが違うか?」
「お見事、正解でございます」
 ナモール人は笑顔を見せた。口角が顔の半分を占める笑顔である。
「ズバリ、我々の星で流行っている病というのは、退屈、であります。我々は皆が同じ知性、感性を有しておりまして、少しの差異もございません。故に問題が起きました。刺激的な娯楽が作り出せないのです。一人が考えたアイデアは全員が考えたものになります。本人にとっては新作でも、皆にとっては既出の作品。これはとんでもない問題と、皆で考えたところ、まったく違う文明が生み出したものはどうだろうということになりました。そして、目星をつけたのがこの惑星とうことであります」
 ナモール人は詰まることもなく聞き取りやすい声色で長々と述べた。升埋は途中、つまらなそうにチーズを齧っていた。
「理由は分かったけどよ、俺らはお前らより劣っている文明だぞ。それこそ低レベルでツマラナイ、なんてことにならんか?」
「ご心配にはおよびません。我々の計画はこうです。まずいくつかのサンプル作品を頂き、精査します。想定では、どれほど低レベルでも、この星について最低限の情報しか持たない我々には新鮮に映るはずです。それを繰り返すことで、この星にについて敢えて制限を掛けて学びます。そうして文化や歴史等を理解して改めて見直すと、内容が理解でき楽しめる。といった流れです」
 升埋はやや不服だった。故にこう聞いた。
「それだとよ、いつか尽きるだろ。仮にこの星の物語、作品の類を持っていったら」
「ええ。ですがその場しのぎでも構いません。この星は無駄に皆がバラバラですから。むしろ我々のような高度な存在に提供できるということは大きな名誉ではありませんか」
「そうかい。で、方法ってのはどうやるんだ」
 升埋は当然神鳥から聞いていた。しかし、細かな手順までは聞いていない。念のためである。
「非常に単純明快な方法であります」
 そう言ってナモール人は、ボックスティッシュを横半分にしたくらいの大きさをした箱のようなものを取りだし、アンテナのようなものが付いた面を升埋に向ける。
「こちらを使います。向かって右の赤いスイッチに触れることで、あなたが創作してきたものに関する情報全てを頂きます。隣の緑のスイッチで記憶の消去が行えます。空白の記憶には適当なことを吹き込むこともできます。これはトラウマ等に配慮した我々の人道的なサービスでございます」
 升埋は少し考えたあと答えた。
「お前がここに来てから何分経つ」
「約三八分でございます」
「消去も頼む。範囲は今言った三八分だ。できるか?」
「勿論でございます。他に質問はございますか」
 緑のスイッチに隣にあるダイヤルを触りながらナモール人が問いかける。
「無いね。やってくれや」
 それでは、とナモール人は箱を操作し始めた。奇妙な音がする。
「まずは、現在考えておられるであろう作品に関するものを頂きます。ご協力に多大なる感謝を」
 そう言ってナモール人は赤のスイッチを押した。しかし、穏やかな表情は一変し驚愕の色を浮かべた。
「何故です! 何故何も流れてこない!」
 升埋はニヤリと笑い、ナモール人に突進し、箱を奪い取った。
「悪かったな! 俺はな、締切り直前にならないと書けないんだよ! それまでは何の形にもなりやしなのさ!」
「馬鹿げている! おやめくださ――」
 ナモール人の言葉を無視し、升埋はアンテナを彼に向けて緑のスイッチを押した。
 呆然と座り込むナモール人に升埋は適当な記憶を吹き込む……。
 
 ナモール人が去ってから一ヶ月が経った。植村を含めた森羅出版の人間は慌ただしい日々を取り戻していた。
「しかし突然でしたね。すべてを返却して帰るとは」
「まったくだ、なにがしたかったんだか」
 編集部では今でも時々そんな会話が繰り返される。すべてを知っているであろう升埋は栄誉休暇なるものを神鳥に申請し、神鳥もそれを許可した。結果誰一人として、升埋と連絡が取れず、誰も真相を知らない。
「升埋先生はどれほど素晴らしい人なのだろうか……」
 相手の手段から、恐らく相当に勇敢な行動と、優れた知略が無ければ叶わない相手であったと考えている植村は、時たまそう呟かずにはいられないのであった。