短編/月夜見
私は罪人である。重い罪を犯してしまった。下された判決は “恋愛的姦通罪”である。罰金五百万円を処された。
すべての始まりは何気ないTwitterのやり取りだった。ひょんなことから私たちは会う約束をした。今思えばこの瞬間が一番幸せだったかもしれない__________
彼は啓人という男性だった。Twitter で話していた時から意気投合していた私たちはすぐに打ち解けた。同じ県に住んでいて、同じ大学で、好きな食べ物も同じでお互いに親近感が湧いていた。初めてのデート中も私のことを第一に考えてくれた。行きたい場所があればそこに連れて行ってくれた。私が買い物に時間がかかってしまっても嫌な顔一つすることなく私の買い物に付き合ってくれた。道を歩くときは決まって車道側を歩いてくれた。申し分のない男性だった。
初めて会ってから二週間が経ち、私は一九歳の誕生日を迎えた。その日、彼と浜辺でデートをした。プレゼントに有名ブランドのハンドクリームをくれた。彼は私に何を贈るかものすごく迷ったらしい。友達とも相談してこのハンドクリームを選んだとのことだ。お金がなかった彼はバイトを始めて必死にお金を稼いだと言っていた。私はものすごく愛されていると実感した。男性からプレゼントをもらったのは生まれて初めてのことだった。
事件はその夜に起きた。駅から歩いて家に帰ろうとした時、自転車に乗っていた男性と衝突した。幸い、両者とも怪我はなかった。よく見ると男性は高校時代の同級生の玲也だった。当時、彼に密かに想いを寄せていた。彼は私を見て
「危ねーな。バースデーガールにケガさせたらどうすんだよ」
と言った。向こうからぶつかってきたくせに。でも私の誕生日を覚えてくれていたことに驚きを隠せなかった。私は言い返す言葉が思いつかなかった。不覚にもときめいた。
「お前、高校の時から変わってねーな。間抜けな顔は健在だ」
高校卒業以来の再開なのに失礼にも程がある。でも、なぜか嫌な気持ちにはならなかった。
「そっちこそ、意地悪な顔は今もご健在だこと」
負けずと私も嫌味で返した。玲也は〝うるせーよ”とでも言うように無邪気に笑っていた。
「お前、進学したんだっけ?」
「そうだけど」
「看護師になりたいって言ってたよな。生物の成績悪かったのに」
やっぱり、玲也はいつも一言多い。変なことだけ記憶力が優れている。私は幼い頃に入院し、その時の看護師の姿に憧れ、看護師になることを志した。今は看護大学に通っている。玲也の言う通り、生物の成績はいつも赤点ギリギリだった。高三の夏休みに猛勉強し、やっとの思いで地元の看護大学に合格した。
「玲也は専門学校だっけ?」
「ああ、ちょうどこの前バンド組んだよ」
そう。玲也はバンドマンを目指していて音楽の専門学校に通っている。高校の時も軽音楽部でドラム担当として活躍していた。玲也には話してないが、昼休みにあった軽音楽部のライブは毎回見に行っていた。いつも観客席の片隅から玲也を見ていた。玲也のファンは多く、行く度に嫉妬心に頭を抱えていたのは口が滑っても本人には言えない。
「今度の日曜にライブするんだ。俺らの初ライブだ。来るか?ってかお前、高校の時ライブ来てたろ? いっつも隅っこっで見てたの知ってんぞ」
まさか、ライブに来ていたのがばれていたなんて。こっそり見てたつもりだったのに。次の日曜は啓人とデートだ。でも、玲也の初ライブに行きたい。玲也のドラムをたたく姿をもう一度見たい。
「行けたら行くね」
「その返事はぜってー来ないやつじゃん」
私は、曖昧にほほ笑んだ。今の私はこの笑顔で精一杯だった。家に帰ってからも玲也のことが頭から離れなかった。気付いたら彼のInstagramを探していた。彼女はできたのかな、バンドに女の子はいるのかなと思いを巡らせた。でも、私には素敵なボーイフレンドがいる。あんなに優しい男性はきっと他にいないだろう。玲也より幸せにしてくれるのは間違いない。それでも、玲也のことばかり考えてしまう。
翌週、啓人に会ってもその想いは消えることはなかった。レストランに行っても、“玲也はハンバーグ好きだったな”、“玲也はトマト嫌いで友達に食べてもらってたな”と、どうしても玲也のことが忘れられなかった。
私は啓人のことが好きなはずなのに_______
そんなある日の夕方、携帯に玲也から一通のメッセージが来た。
『ライブは朝十時に青山の駅前広場でする。絶対来いよな!』私の頭はますます混乱した。断るのも
心苦しい。でも、私には啓人がいる。啓人のもとへ行かなければならない。
だけどもう一度。もう一度玲也に逢いたい___
約束を断ることができないまま日曜日を迎えた。結局返信はしないままだった。でも、ここでライブに行かなければ私は一生後悔するだろう。
居ても立っても居られなくて気付けば足は駅の方へ向いていた。啓人のことなんて頭になかった。今思えば私は最低な女だ。
駅には玲也がいた。髪をレッドブラウンに染めてこの前に会った時よりもかなり派手になっていた。玲也は、私に気付いたのかこちらに目配せをしたようだった。
ライブが始まった。初ライブだというのに観客が大勢いる。私は早めに来ていたので前の方で見ることができた。バンドは男性四人組で、玲也はドラムをたたき上げていた。会場は時間が経つに連れて盛り上がっていた。終盤になるとアンコールの声が飛び交っていた。会場の雰囲気に飲まれたのか、私の気持ちにコントールが利かなくなってきたのかはわからないが、私は
「玲也―――――――‼」
と叫んでいた。この声が本人に届いたのかは分からない。でも、必死になって叫んだ。冷静に考えると、未練がましく思える。ライブが終わり、会場を後にした。私の脳内は玲也のドラムをたたいていた姿で埋め尽くされていた。高校の時より一層上手さは増していた。私は素人だか断言はできないが、プロ入りも夢ではないと思う。この後、彼に会うことはできないだろうか。でも、今日はバンド仲間と打ち上げだからやめておこうかな。
そんなことを考えていると、いつの間にかの自宅の最寄り駅着いていた。改札から出ると、なんとそこには啓人がいた。
「あんまり遅いから迎えに来てしまった。今までどこにいたの? 連絡しても返信ないし。信じてたのに」
啓人は怒りを必死で抑えているようだった。玲也のライブに行っていたことを正直に話すべきか迷った。しかし、ここで嘘をついて啓人と仲良くしていても私は幸せになれるだろうか。正直、啓人といてもどこか物足りない。一緒に買い物に行っても値段ばかり気にして買い物が楽しめなかった。男性としての魅力が感じられなかった。いわゆる“いい人止まり”というやつだ。あんなに良くしてもらったのにも関わらず、恋愛としては見れなかった。だから、正直に話すことにした。
「実は誕生日の夜に偶然、高校と時に好きだった男の子と再会したの。彼バンド組んでて、ライブに誘われたの。どうしてもそのライブに行きたくて。ごめんなさい」
「つまり、僕よりその彼を優先させたってことだね?」
「本当にごめんなさい」
今の私にはこれしか言えなかった。許してもらえるなんて思ってない。だけど、ただ謝ることしかできなかった。「わかったよ。君は平気で恩をあだで返す子だったんだね」と言い放って駅のホームに歩いていた。その背中から、啓人の悲しみと寂しさが滲み出ていた。私は返す言葉がなかった 次の日、一枚の被害届が届いた。原告人は啓人だった。この世には恋愛的特殊裁判がある。数年前、恋人に浮気された人たちが団結して社会に訴え続け、この裁判ができた。被害届の内容は『これまで身を削る思いで散々尽くしてきたのに浮気された』とのことだった。啓人から見れば私たちは付き合っていることになっていたのだろう。たしかに、啓人は貧困であったにも関わらず私にディナーを御馳走してくれたり、誕生日にブランド物のプレゼントをくれたりしてくれた。こんなに大切にしてくれたのに、私はほんの一瞬のことから彼を裏切ってしまった。私は被害届を受け入れることにした。
取り調べを受ける際に、
「私が勝手に玲也のライブに行きました。彼は啓人のことは一切知りません。玲也は無実です」
と必死に玲也のことをかばっていた。自分が罰されるよりも、バンドマンとして頑張ろうとしている玲也が活動できなくなる方が辛かった。啓人と同じ大学で、自分の立場がどうなるとかなんて考えなかった。もうなるようになれと思った。
審議の結果、玲也は無実が認められた。しかし、玲也はこんな騒ぎになるなんて思ってもいなかったため、相当なショックを受けただろう。しかし、私の前ではそんな表情は見せなかった。
「啓人って奴も馬鹿だよな。これじゃただの独りよがりじゃんか。こんな裁判絶対間違ってる。俺のことかばってくれてありがとな」
それだけ言って、玲也は署を後にした。私は“うん”と頷いて、彼を見送った。
それ以来、玲也とは会うことは許されなくなった。連絡も取ることが許されない。見つかってしまえば罪はさらに重くなる。もうライブにも行けなくなるのだろうか。玲也の本音はわからないままだ。私のことをどう思っているのだろう。こんな状況でも彼を想い続けてしまう私は_______
了