ある夏の昼下がり、私、桜田美玲は友人の柳原光瑠から夕食に誘われた。しかし、私はどうもその気になることができず、返事を渋っていた。中学校の同級生で、大学の同級生でもある私たちはとても仲が良いのに、光瑠のことが大好きなのに、断る理由も何もないのに、それでも私は乗り気になれなかった。
遡ること一年前、光瑠は私にある男性を紹介した。彼は向坂 海翔という名の男性で、趣味のテニスを通して出逢い、二人で出掛ける仲に発展した。私は海翔に一目惚れし、想いを寄せていた。海翔も私に想いを寄せているように思えたが、彼は私に対する好意は微塵もなく、平然と気持ちを踏みにじったのだ。私はショックのあまり塞ぎ込んでしまい、気持ちの整理がつかずにいた。そんなことがあった中、一方光瑠は恋人を見つけ幸せな日々を送っていた。SNSに彼氏とのデート写真を載せてみたり、時々私に惚気話をしたりと二人は対照的な毎日を過ごしていた。次第に私は光瑠を善望の眼差しで見るようになり、やがて嫉妬するようになっていた。勿論、自分が幸せじゃないのは誰のせいでもないし、光瑠には幸せであってほしいと思っていた。それでも、自分にないものを持っている光瑠が羨ましくて仕方なかった。
光瑠は誘いの連絡をした後、突然の思いつきで彼女の高校時代の同級生だった田崎 拓真も夕食に誘った。彼は趣味のテニスを共にする私の友人でもあり、去年の海翔とのことも知っている。元々プライドが高い私は自分の不幸な姿を認めたくない一心で光瑠の誘いに乗ることにした。
『六時にいつものラーメン屋でね』
光瑠はそう返信して、ハートの可愛いスタンプもつけてきた。
約束の六時になり、いつものラーメン屋で光瑠と私は久々に顔を合わせた。やっぱり光瑠の笑顔は眩しくて、いわゆる幸せオーラがプンプンしていて、私の負けだと言われているような気分だった。何分か経って、ラーメン屋の駐車場には拓真が見たことのない白のワゴン車の助手席に乗っていて、運転席には少し大人びた雰囲気の男性が乗っていた。拓真が車から降りると、軽く右手を挙げて美玲たちに約束の時間に少し遅れたことを詫びて、隣にいる男性のことを話し出した。
「こいつは井脇 睦飛。俺の中学の同級生で、こいつもテニス部だったんだ。ちなみにダブルスで県ベスト8入ってる。まぁそのペアは俺なんだけどな。」
井脇 睦飛という男性は、背が高く、アメフト部のようなマッチョ体型で、浅黒い肌をしていて、頭はスポーツ刈りで、顔は少し厳つい。きっと学校ではクラスの中心にいたのだろうなと思わせるような、いかにも体育会系という見た目をしていた。
「もう誘うなら最初からそう言ってよ。」
光瑠は小声で拓真にそう言って、彼の肩を拳で軽く叩いた。睦飛が来るのが決まったのが拓真が家を出発する直前で伝える時間がなかったらしい。
「初めまして、睦飛です。突然お邪魔してごめんね。俺写真を撮るの好きで、よくこの近くのひまわり畑に来るんだ。それで、拓真も今日ここに来るって聞いて、じゃあ一緒に行こうってなったけど、まさか女の子を二人も連れてるとは思わなかった。」
どうやら睦飛さんの方も私たちが来ることを知らなかったようだ。それにしてもこの風貌で私たちと同級生とは思えない。服装も白Tシャツに黒のズボンと、とてもシンプルで尚更大人っぽさが増して見えた。
「それじゃ店に入るか」
拓真がそう切り出して、やっと私たちはラーメン屋の暖簾をくぐった。店内は昭和チックな雰囲気をしていて、カウンター席には作業服を着た人たちが大勢座っていた。いつもなら私たちもカウンター席に座っているが、今日は四人だから窓際のテーブル席にしてもらった。光瑠が私の隣に座り、拓真や睦飛と向かい合うように座った。光瑠の家から徒歩十分、私の家から徒歩十五分のラーメン屋は私たちが何かを語りたい時によく来ていた。どちらかが恋バナをする時、家族と喧嘩した時、思い切り愚痴をこぼしたい時など何かあればすぐにここへ駆け付けていた。メニュー表には屋台の味のラーメンが店長のオススメとして載っていて、これはこってりしたスープともちもちの麺が絡み合ってとても美味しい。辛いことがあってもこれを食べると元気になれる魔法の味だ。私はこれと唐揚げをセットにして頼むのがお決まりだ。
ラーメン屋は店の回転が速く、注文するとすぐにセットが届いた。いつものように水が入ったコップを持って四人で乾杯した後、蓮華でスープを一口飲んだ。美味い。この一言に尽きる。初めてこの店に来た拓真と睦飛もこの店自慢のスープの虜になっていた。唐揚げを食べながらぼんやりと窓を眺めていると駐車場にBenzのGクラスの車が停まっていた。実はこう見えて車には関心があって、フェラーリやポルシェのような高級車を見るが密かな趣味だったりする。
「美玲ちゃん、何を熱心に見てるの?」
拓真が不思議そうにそう聞いてきた。
「あれ、BenzのGクラス。すごくかっこいいなって」
そう答えると、睦飛がこちらをジッと見つめてきた。
「こいつも車好きなんだけど、もしかして気が合ったりするかな?」
拓真が睦飛の肩に手を置いてそう言った。睦飛も車に興味があるのか。でも全然意外じゃないし、むしろいかにもそうであるかのような見た目なので驚きはしなかった。
「Gクラスかっこいいよな。でもあれ多分旧型だから古いんじゃないかな。それよりあっちのクラウンの方が俺は好きかも」
睦飛はそう話して駐車場をよく見ていて、私より車のことに詳しそうだった。
「美玲ちゃんだっけ。モーターショーとか行ったことある?」
睦飛はそう言うと生き生きとした目でこちらを見ている。
「行ったことないかな。別にそこまでの熱意はないかも」
彼の車に対する熱意が強すぎて、つい目を逸らしてしまった。
「そっか。まぁ、女の子で車に興味があるって珍しいし、Gクラスを知ってるだけでも十分すごいと思うけどね」
睦飛はそう返答すると、ラーメンを一口食べた。その時、睦飛は麺を蓮華に乗せてすすらずに食べていた。姿勢も良いし、白Tシャツも汚れてないし、音を立てずに食べている。麵をすする音が嫌いな私からすると見た目とは裏腹に食べる姿が実に上品である。人は見た目じゃないというのはこういったところなのだろう。光瑠と拓真は私たちの会話を邪魔したくなかったのかほぼ何も喋らず静かに食べていた。
私たちはラーメンを食べ終わって会計を済ませた後、睦飛が言っていたひまわり畑に向かうことになり、睦飛の車に乗せてもらうことになった。
「美玲はどこに座りたい?」
光瑠がそう聞いてきた。
「別にどこでもいいよ」
私がそう返すと、光瑠はニタっと笑ってこう言ってきた。
「じゃあ拓真と私は後ろに座るね」
四人乗りのワゴン車の後部座席に乗れるのは二人だけ。ということで私は助手席に座ることになった。車内は綺麗に清掃されていて、フローラルの香りがした。砂一つ落ちていない車内を土足で乗るのに少し抵抗を感じたほどだった。座席シートは白黒のブロックチェックのシートカバーが付けられていて、シートベルトはワインレッド色をしていて洒落ていた。ハンドルは皮でできたハンドルカバーを付けていて、カーナビは二画面あってスピーカーもセットされていて、内装にかなりお金をかけているようだった。車が出発するとスピーカーからTWICEの“Yes or yesが流れた。私も以前TWICEにハマっていて、少し懐かしさを覚えた。こんな可愛らしい曲も聴いていると思うと意外さがあった。それにしても、今日はやけに光瑠と拓真がおとなしい。こちらが振り向いてもニタニタと笑っているだけだった。
「睦飛、お前初めて女の子を車に乗せたんじゃない?」
拓真が嬉しそうにそう言い出した。
「まぁ、そうかもな」
睦飛が照れくさそうにしながらそう言った。これもまた意外だった。こんなに男らしい見た目をしていると女の子からモテていそうだが、女の子とドライブの一つもしたことがなかったのか。初心者マークもつけていないし、免許を取得してずいぶん経っていそうなのに、話してみないと分からないものだ。ということは、私が初めて助手席に座った女になるのか。私もどこか照れくさい気持ちになった。
ひまわり畑に到着すると辺りは日が沈み、藍色の空が広がっていた。
「ちょっと待ってて。今カメラ持ってくるから」
睦飛はバックドアの方へ向かい、トランクから一眼レフを取り出した。
「これ。社会人になってから初めて買ったカメラなんだ」
睦飛が自慢げにそう言うと光瑠が驚いた顔をした。
「えっ、睦飛くんも社会人だったの?」
「そうだけど」
「拓真から何も聞いてなかったから……。じゃあ、車も全部自分で買ったの?」
「光瑠ちゃん、痛いとこついたね、車は親に買ってもらった。情けないけどな。いつも喧嘩ばっかりなのにこういう時だけ甘えちゃったわ」
光瑠はますます睦飛に関心を持ったようで、睦飛にまた質問を投げかけた。
「この一眼レフもすごく高いんじゃないの?」
「これは凄く高い。だからオークションで買った。中古で安くはなったけどそれでもまだ支払いきってないけどね」
「ちなみに何の仕事してるの?」
「工場で車の部品作ってる。まぁそんなに儲かってないけどな」
光瑠はなるほどと頷きながら目をキラキラさせていた。
「あっちで写真撮ろうぜ」
拓真がひまわり畑の中心にある記念プレートの方を指差して、私たちは今日の日付である七月二二日と書かれている記念プレートの前に左から私、光瑠、拓真、睦飛の順で並んだ。睦飛が三脚をセットし、一眼レフのタイマーのボタンを押して、シャッターが切られた瞬間、フラッシュが大きく光った。撮れた写真を確認すると、拓真の目が半目で映っていた。気を取り直して睦飛がまたタイマーをセットした。すると今度はどういうわけか睦飛が私の隣に並んだ。私は妙に緊張して、さっきよりも少し強張った顔で映っていた。なぜ妙に緊張したのか、それは睦飛が強面であるからだと思った。
「撮った写真どうやって送ったらいい?」
一眼レフを片手に睦飛がそう聞いてきて、本当はiphoneのAirdrop機能で写真を送って欲しいところだが、一眼レフの写真なのでインスタを交換してそこから写真を送ってもらうことにし、光瑠と私は睦飛からユーザー名を教えてもらい、睦飛に友達申請を送った。申請を受けた睦飛はすぐに承認してくれて、投稿写真を見てみるとドライブに行った時に撮ったと思われる風景の写真が三〇件ほど投稿されていて、ユーザー名が『キャメラ』と書いてあるだけあって写真を撮るのが相当好きであることが窺えた。
写真を撮り終えると私たちはひまわり畑を一周した。ライトに照らされたひまわりは昼間とはまた違った美しさがあって、ひまわりをバックに光瑠とスマートフォンで自撮りをしてみた。少し暗くて顔の映りが微妙だが、ひまわりはとても綺麗に撮れていた。
「美玲は最近どうなの?」
光瑠は満面の笑みでそう聞いてきた。
「どうって、別に何もないけど」
どうしても光瑠からマウントを取られているような気がしてつい素っ気なく返してしまった。
「そっかぁ、ふーーん」
光瑠はそれだけ言ってまたひまわり畑の写真を撮っていた。
ひまわり畑を堪能した後、私たちは小腹が空いたので車で二十分のところにあるコーヒーチェーンの店に行くことになり、今度も私が助手席に座った。途中で山道に差しかかったが、睦飛はスピードを維持したまま難無くスルスルと走り抜けていて、山道を抜けるとすぐに店に着いた。テラス席に座り、メニュー表を眺めていると睦飛と目が合った。
「皆の分は俺が出すから、好きなの選んで」
すると光瑠はブンブンと首を横に振った。
「いいよ、そんなの悪いから、自分の分ぐらい自分で出すよ」
光瑠に続いて拓真と私も睦飛に遠慮した。さすがに初対面の人に奢ってもらうなんてとんでもない。
「俺、カメラの月払い以外お金使うことないから。ガソリン代だって工場が負担してくれているし、服にもそんなお金かけてないから」
かたじけない気持ちもあったが、皆それぞれ納得して睦飛にご馳走になることにした。光瑠と拓真はチョコレートのフラペチーノを、睦飛と私はバニラのフラペチーノを頼むことにした。それぞれが飲み物を受け取ると睦飛がニヤッとして光瑠と私にこんなことを聞いてきた。
「ねぇ、二人は彼氏とかいるの?」
私がいないと答えようとしたその時だった。
「いないよ」
私の隣で光瑠が即答していた。しかし、これは大嘘で彼女には恋人がいる。
「嘘つくなよ。あいつは何も言ってなかったぞ」
拓真がドン引きしたように光瑠にそう言った。
「実は一週間前に分かれたの」
私は衝撃を受け、耳を疑った。あんなに幸せそうにしていたのに有り得ない。
「美玲ちゃんは?」
睦飛が目を大きく見開いてそう聞いてきた。
「私もいないよ。そっちは?」
光瑠の恋愛事情のことのほうが気になるが、なぜか睦飛の恋愛状況も知らずにはいられなかった。
「俺もいないけど」
「そっか。で、なんで光瑠は別れたわけ?」
睦飛に彼女がいないことを確かめると気になる話題は光瑠のことだ。
「実は彼が浮気してて。彼すごいゲーマーで、通信対戦とかですぐ女の子と絡んでたのが分かったの。大学の食堂で二人で会ってるのも見たし、私には全然構ってくれなくて、おまけにデートに誘っても配信のことばっかり優先するから先月も先々月も会ってくれなかった」
拓真と私も光瑠の彼氏のことはよく知っていたがとても真面目で不器用な人で、まさか浮気のようなことをしているとは思ってもみなかった。光瑠のことを思うと気の毒に思うが、心のどこかで盛り上がっている自分もいて、不謹慎だが光瑠に親近感が湧いていた。
「だからあいつも何も言ってこなかったのか」
拓真は少し悲しそうな表情をしていて、ショックを受けているようだった。
「でも光瑠ちゃんは可愛いからすぐにイイ人が見つかると思うよ」
睦飛は光瑠にニコッと笑いかけてそう言った。なぜか私はムッとなって、光瑠にまた新しい彼氏ができることを望んでいないのか、睦飛が光瑠に可愛いと言っていたことに腹が立ったのか、その両方なのか分からなかった。しかし、なぜ男性が他の女の子を可愛いと言っているのを見ると素直にそれを認められずムカつくのだろうか。
「私もそう思う。光瑠は可愛いし、運動もできるし、明るくて面白いし、男の子たちがほっとかないよ」
半分は友人として本当にそう思っていて、半分は女として嘘だ。嘘だと認めたくないが、また私より幸せになるのを見たくない。睦飛に可愛いと言われた光瑠は頬を真っ赤に染めていて、喜んでいるのが痛いほど伝わった。いつもは甘いフラペチーノもこの時ばかりは少し苦味を感じた。
時計を見ると午後十時になろうとしていて店の閉店時間が迫り、私たちはカフェを後にした。店を出てすぐ、拓真がのどが渇いたから水を買いたいと言ってカフェの最寄りにあるコンビニに向かった。ちょうど私も甘いものを飲んでのどが渇いていたので丁度良かった。コンビニに入ると私はドリンクコーナーに向かい、拓真たちはなぜかお菓子コーナーの方へ向かっていた。炭酸飲料、カルピス、オレンジジュース、お茶などがあってどれにしようか迷っていると睦飛が来て、即決でコーラを選んでいた。優柔不断のせいで皆を待たせるわけにはいかないので、私は一番安かった天然水にした。レジに向かおうとすると私の前を歩いていた睦飛は前を向いたままこちらへ手を伸ばしてきた。手首を軽く縦に振っていて“おいで”というジェスチャーかと思いきや私が近寄ると私から天然水が入ったペットボトルを取ってそのまま会計を済ましてくれた。その瞬間私の心臓が高鳴り、恋愛ドラマのワンシーンの中に入り込んだ感覚になった。拓真と光瑠は既に外で待っているのでこのやり取りを見ていない。どうせなら光瑠に見せつけてやりたい気持ちがあったがこの薄汚い気持ちを認めたくなかった。
「ごめんなさい、お金返すよ。九三円だよね」
すると睦飛はいいからいいからと最後までお金を受け取らなかった。結局そのまま車に乗って、睦飛の車でそれぞれの自宅まで送ってもらう運びとなった。
「ここから一番近い家って美玲ちゃんの家だよね、多分」
拓真がそう言ってきて、位置的に間違いなかったので頷いた。睦飛はカーナビのマップを開き、私が道案内をし、その間拓真は居眠りをし、光瑠が睦飛に話しかけていた。
「ねぇ、睦飛くんはどんな女の子が好きなの?」
「女の子?そうだな、清潔感がある子が良いかも」
光瑠は今日一番と言っていいぐらいの高いテンションでさらに質問を重ねていた。
「じゃあ、今まで何人彼女さんいたの?」
「一人かな。高一の時に付き合って一ヶ月で別れた」
気が付けば私も睦飛の過去の恋愛事情の話に耳を傾けていて、曲がり角を右に曲がって欲しいことを伝えるのを忘れそうになった。
「えっ、元カノ一人なの。睦飛くんモテそうなのに」
いかにも遊んできたような彼の過去が見た目からは想像できなくて、思わず私も話に口を挟んでいた。やはり人は見かけによらないものである。
「そうかな?まぁ今は職場環境的にも女の子と関わる機会ないからな」
睦飛は照れくさそうに話していて、車の速度が少し速くなっていた。スピーカーからはゆずの“夏色”がかかっていて何となくだが今の雰囲気に合っているような気がした。話していると私の自宅まで残り五〇mのところまで来ていた。次の信号を左に曲がるとすぐに私の自宅がある。信号が青になり交差点を左折し、ついに私の自宅に着いた。
「今日はありがとう。またご飯とか行こうね。睦飛くん、運転ありがとう」
「こちらこそ、ありがとね」
自宅まで送ってくれた睦飛に礼を言い、光瑠にバイバイと手を振った後、拓真がゆっくり目を覚ました。
「お、おはよう。あれ……?」
寝ぼけている拓真を他所に私は車から降りて、家の門をくぐり、車を見送るように手を振った。その時だった。睦飛が運転する車は発車してわずか五mのところで二十秒ほど急停車した。私が何か忘れ物をしたかと思い、もう一度車に戻ろうとすると行ってしまった。きっと光瑠が自宅までの道のりを案内しようとして停車したのだと思い、気にすることなく自分の部屋に戻った。睦飛から連絡があったのはその一時間後の深夜一二時のことだった。
『まいどです。今日はありがとね。写真送ります』
睦飛はそう送信すると、ひまわり畑で撮った写真が十枚ほど送られてきた。
『お疲れ様です。今日は楽しかった。こちらこそ運転してくれて、写真も撮ってくれてありがとう』
私はそう返信すると少しだけ彼からの返信を待ってみたが、既読にならず、遅い時間だったので寝ることにした。
翌朝、もしかしたら睦飛から返信が来ているかもしれないと思い、スマートフォンをチェックしてみると、睦飛からではなく光瑠からメッセージが届いていた。
『美玲、お疲れ様。昨日は楽しかったね。睦飛くんから写真送られてきた?』
メッセージを確認すると、すぐに光瑠に写真が届いていると返信した。その時だった。次は睦飛から返信が来た。
『おはよう。実はインスタの調子が悪くて、良ければLINE交換してくれない?』
今の世の中、LINEを交換するというのはインスタを交換するよりもハードルが高いことで、インスタに比べてさらに親しい間柄でないと行うのは難しい。しかし、今もこうやってインスタのDMで話ができているではないか。そう思いながらも睦飛ならと易々とLINEのQRコードを送った。睦飛はすぐに友達登録をしてくれて、“よろしく”とキャラクターのスタンプを送ってくれて、私もキャラクターがお辞儀しているスタンプを返して一旦やり取りが終了した。すると今度は光瑠から返信が来た。
『そっか。多分だけど睦飛くんって美玲のことが好きだと思うんだ』
急に思いがけないメッセージが来て、自分の目を疑わずにはいられなかった。
『まさか。光瑠の思い込みじゃない?』
あの睦飛が大人しくてパッとしない私のことを好きになるはずがないと思い、そう返信した。
『睦飛くん、ひまわり畑で美玲の隣で写真に映っていたし、カフェにいる時も美玲のことチラチラ見ていたし、帰りもカーナビで美玲の家を住所登録してた』
ひまわり畑で写真を撮るのに隣に並んできたことは自分でもわかっていたが、カフェでチラチラ見られていたのは気付かなかった。それはいいとして、あの急停車がまさか私の家を住所登録していたなんて夢にも思っていなかったと同時に、睦飛へ恐怖心を覚えた。
『住所登録?何かの間違いじゃない?』
何かの間違いであってほしいと光瑠にもう一度確認を取ってみた。
『いや、いつでも迎えに行けるようにって登録してた』
頭が真っ白になって、返す言葉もなく、既読無視をした。そして、睦飛に真実を問いだすためにLINEにメッセージを送った。
『さっき光瑠からカーナビで私の家を住所登録したって聞いたんだけど本当?』
今度はさっきとは違うドキドキがあり、さっきよりもさらにヤキモキしながら彼からの返信を待っていた。
『本当。でも不快だったら今からでも消しておく』
私は彼に失望したと同時に今すぐに登録解除するように返信した。いくら何でもこれは言わば半ストーカー行為で、初対面の女性にするようなことではない。あの強面な顔であると余計に恐怖心が増した。
『本人に聞いたら本当に登録してたからさっきLINEで消してもらうように頼んできた』
今度は光瑠に返信をするとすぐにまた光瑠から返信が届いた。
『LINEも交換したの?』
これは彼と仲が良いからではなく、彼のインスタの調子が悪いから仕方なくLINEを交換したことを伝えると五分も経たないうちに光瑠から返信が届いた。
『私、さっきも睦飛くんとインスタのDMでやり取りしていたし、昨日も普通に返信きたよ。やっぱり睦飛くんは美玲のことが好きなんだよ』
ますます訳が分からない。確かに昨夜は何事もなく睦飛とやり取りできていたのにLINEを交換することになった。LINEを交換したいなら素直にそう言ってくれても良かったのに、カーナビで私の家を登録するなら私に一言許可を取ってくれれば良いのにと怒りの感情が湧き出てきた。やはり、人の中身は見た目に反映されてしまうのだ。そう思った矢先に睦飛から返信が来た。
『さっきは本当にごめん。もう消しておいた』
これは信じても良いのだろうか。私は半信半疑で“OK”とスタンプを送信した。一〇分ほど経ってまた睦飛から返信が来た。
『お詫びと言ったらなんだけど、今度ひまわり畑で撮った写真をプリントしてプレゼントしたいからどこかで会えない?』
この人はきっと無神経な人間なのだろう。勿論断った。すると今度は拓真からメッセージが届いた。
『事情は全部睦飛から聞いた。俺からももう一度あいつに会ってやってほしい』
拓真はあんな友達のことをかばうのか。睦飛はすぐに友達に泣きつく弱い奴なのか。もうどうすればいいのか分からなくなってきた。しかし、拓真が良い人だと分かっているので、彼を同伴させることを条件に会ってあげることにした。
『いつがいいとかある?』
私が話を承諾するとすぐに拓真から返信が来た。
『来週の日曜日なら』
そう返すと“ありがとう。”と返信が来て、私たちは来週の日曜日にまた会うことになった。そして、翌日拓真から思いもよらない電話がかかってきた。
「睦飛から聞いたよ。いきなりカーナビに住所登録されるとか怖かっただろ」
私は即答で“うん”と返して、さらに衝撃的な事実を知った。
「俺たちはやめておけと注意したんだけど、あいつが聞いてくれなくて」
拓真の声は少し弱々しくて、申し訳なさそうにしているのが伝わった。
「それで、あいつ結構嘘つきでさ。いつでも迎えに行けるとか言いながら、本心では家に上がり込む気だったんだよ。光瑠を送った後、美玲ちゃんの部屋のこととか色々話しててさ」
気分が悪くて一気に血の気が引いた。家に上がり込むというのは目的は一つしか考えられない。
「他にも嘘をついていて、あいつ車は母親に買ってもらったとか言ってただろ?それも嘘で、実は借金して買ったんだよ。あいつの母親は歌舞伎町でホステスやってて、離れ離れに暮らしてるから三年ぐらい会ってない。しかも、借金返済のために副業でビジネスやって、それもあまりうまくいっていないからあいつ本当にお金ないんだよ」
拓真の話す内容があまりにショックで言葉が出てこなかった。しかし、彼は言葉を続けた。
「あいつには四歳下の高校生の弟がいるんだけど父親が違うんだ。父親は当時の客か何かで、今は音信不通らしい。あと、職場は車の部品を作る工場って言ってたけど、とっくにクビになって今はニートなんだ。光瑠がひまわり畑であいつの仕事の話を出した時は心臓が止まるかと思った。咄嗟に写真を撮ることを提案して話を広げるのを阻止したけど、どうなるかと思ってた」
しかし、なぜそんな訳ありな人を拓真が誘ったのかが気になり、尋ねるとさらに衝撃的な答えが返ってきた。
「あいつ、工場で働いている時から女の子と出会いがなくて俺に相談していたんだ。それで、俺が女友達とラーメンを食べに行くことを伝えたら“俺も行きたい”って聞かなくてさ。本当は美玲ちゃんにも光瑠にも睦飛のことは紹介したくなかった。でも、俺は中学時代に虐められていて、それを救ってくれたのが睦飛だったから断りたくなかったんだよ。それに俺、実は軽度発達障害があって、周りと上手くコミュニケーションが取れなくて。でも、睦飛はそれを初めて受け入れてくれた友達で余計に強いことが言えなかった。本当に申し訳ない」
ラーメン屋で会った時、睦飛は拓真が女友達を連れていることに驚いていたがそれは仕組まれたことだったのか。そして、拓真に軽度発達障害があることにも驚きを隠せなかった。普段会っている分では全く分からないので、尚更ショックであった。
「じゃあ、カフェのお金とかガソリン代とか、普段の食事代はどうしてるの?」
あえて拓真のことには触れずまた睦飛のことを聞いた。
「母親から毎月いくらか仕送りが貰えるみたいだからそれで何とかやり繰りしているんじゃないかな」
割と恵まれた環境で育ってきた私とは別世界に生きている人だった。私は話の内容に衝撃を受けすぎるあまりついに黙り込んでしまい、そのまま通話が終了した。そして、約束の日の前日になった。
『おはよう。明日だけど、集合はあのラーメン屋で良いかな?』
朝早くに睦飛からメッセージが届いた。私は拓真の話を聞いてから余計に睦飛への恐怖心が増していたが渋々“OK”のスタンプを送信した。すると一瞬で彼から返信が来た。
『ありがとう。じゃあ十一時半集合でお願いします』
私は既読だけつけて会話を強制終了させた。本当は光瑠にも同席してもらいたいところではあったが、拓真の話を聞いた以上は誘うことができなかった。
翌朝、目覚めると身体が重く、どうもスッキリしなかった。こんな体調でラーメン屋に行くのはさすがに厳しいので拓真に事情を話して、ラーメン屋には入らずに、店前でプレゼントを受け取って返ることにしてもらった。普段はコンタクトをしているが、今日は化粧もせず眼鏡をかけて、髪の毛もボサボサのままで、服装は寝間着も同然の高校のジャージを着て家を出た。
ラーメン屋に着くと既に二人は店の前にいたが、私の格好が前回会った時と全く違うのですぐに気付かれず、自分から声をかけてやっと気付いてもらえた。睦飛は写真が入った紙袋を渡して、“この前はすまなかった”と謝ってきた。私はお辞儀だけして、そのまま家まで走って帰った。これ以来、睦飛と再会することはなかった。
家に着いてから睦飛から受け取った紙袋を開ける気はなくて、部屋のクローゼットにしまい込んでいた。夜になるとまた拓真から電話がかかってきた。
「今日は忙しいのにごめんね。実はあの話にはまだ続きがあって。光瑠って睦飛のこと狙っていたんだ。あの日、帰った後に光瑠から連絡が来て、睦飛に一目惚れしたらしい。でも、睦飛の態度で光瑠じゃなくて美玲ちゃんのことが好きって勘付いて自ら諦めていた。カーナビの住所登録だって光瑠の家にはしていなかったし。光瑠って負けず嫌いなところがあるけど、美玲ちゃんには敵わないっていつも美玲ちゃんのことを羨んでいてね」
光瑠が睦飛を想っていたのは気付いていたけれど、まさか光瑠が私を羨んでいたなんて想像もしていなかった。だって光瑠は運動神経が良いし、手先が器用だし、明るい性格だし、愛する恋人だっている。しかし、どうしたら私のことを羨むのだろうか。
「光瑠はいつも“私より美玲の方が可愛いから”って俺にそう言ってくるんだ。たしかに、俺は美玲ちゃんのこと好きだったけどね」
突拍子もない告白に声が出なかった。拓真と知り合って一年ほど経つが全く彼の想いに気付かなかった。
「まさか美玲ちゃんが俺のこと好きになるなんて思わなかったし、美玲ちゃんはあの時海翔のことを想っていたでしょ?だから身を引いた」
光瑠はこのことを知っていたのだろうか。
「ありがとね」
私はこれしか言うことができず、拓真の告白に応えることができなくて、黙り込んでしまった。
「いいよ。分かってる。ごめんね、ありがとう」
拓真は優しい声でそう言ってくれた。決して彼を振ったのは彼が軽度発達障害であるからだとは勘違いしないでほしい。あくまで、それを知る前から恋愛としての気が合わないだけである。そして、当分の間は誰かと恋愛関係になりたくない気持ちもあった。私は“本当にごめんね”と彼に謝って電話を切った。
それから数日後、光瑠から連絡が来た。
「昨日、彼氏とやり直した。彼が謝ってくれて、私じゃなきゃダメだって言ってくれて、チューまでしてくれた。それで、今度は京都まで旅行に連れていってくれるの」
光瑠は幸せそうに話してきて、私は“良かった”と言いながらも内心はどこかで引け目を感じてしまった。やっぱり光瑠には敵わない。
それから一週間も経たないうちに今度は睦飛から電話がかかってきた。着信拒否をしようか迷っているとすぐに電話が切れた。そして間もなくして睦飛からメッセージが届いた。
『ごめん。間違えた。気にしないで』
わざわざそんなこと言われなくても気にしないので、既読無視をした。すると翌朝にまたメッセージが届いた。
『ねぇ、女の子紹介してくれない?』
この文字を見た瞬間、私は彼のLINEとインスタをブロック削除した。本当に下品で気持ち悪い。
むしゃくしゃした私はずっとクローゼットにしまい込んでいた睦飛から受け取った紙袋を開けた。そこには、ガラスのフレームに入れられた四人で撮った写真と消費期限が明後日までの苺のお菓子が入っていた。睦飛に苺が大好物であることを言った覚えはなくて、ただの偶然だと思いたいが、一つだけ分かってしまう手段がある。私のインスタの投稿にカフェで苺のケーキやパフェを食べている写真がある。執着心の強い彼ならきっとそこから私の好みを分析したのだろう。苺に罪はないのでお菓子を食べた。美味しい。その時ばかりは幸せな気持ちになれた。お菓子を食べた後にまた写真を眺めた。そして、また負の感情が押し寄せてきた。
パリ――――――――ン!!
二階の部屋の窓から写真を勢いよく落とした。なぜ私は幸せになれないのか。なぜこんなにも不幸な結末ばかりを迎えなくてはならないのか。気が付けば目から涙が溢れていた。
夏も終わりに近づき、私は恋人の一人もできず、ただ漠然とした日々を送っていた。そんなある日、枯れたひまわりの花びらを拾った。“この子も夏を懸命に生きたんだな”と思ってそっと風に流した。ひまわりの花びらは舞い上がることなくそのまま地面に落ちていった。