朝、目覚まし時計の次に触るのはリモコン。観るわけでもなく、ただ聞き流すだけ。一人暮らしの私にとって、無音は息苦しい。だから音を流し続けるテレビを点けることが日課になっていた。一日中点けているものだから、どの時間帯、どのチャンネル、どの番組が放送されているのか、番組表を見ずにわかってしまう。気に入った番組は抱き枕を抱えてじっくり見る。終わればテレビを点けたまま洗濯や自炊と別の作業に取り掛かる。それが私のルーティン。そのはずだった。
太陽がまぶしく輝く午後二時。日陰で隠れたテラス席、彼と向かい合って座っていた。彼が仕事で忙しかったため、なかなか会えず、やっと予定が空いた久々のデート。この日のために買ったワンピースを汚してしまわないか心配していたが、チョコナッツパフェの到着でどうでもよくなった。チョコシロップがかけられたホイップクリームを頬張る。いつもならパフェ越しに私を愛おしく見つめる彼だが、この日はどこか暗い表情をしていた。
「どうかした?」
と聞けば、目をそらされる。
「俺さ、月9の主演、決まったんだ」
パフェをすくう手が止まる。
「え、凄い、よかったじゃんおめでとう!」
月9といえば、月曜日夜九時から放送されるドラマのことをいう。必ずと言っていいほど視聴率が高く、主演俳優になれば注目されるに違いない。彼は数年前から芸能活動をしていたが、なかなか人気は伸びず苦労していた。これで人気になり仕事も増える。自分自身も素直に喜んだ。喜ばしいはずなのに、彼はやっぱり表情が暗い。
「これから仕事も増えるだろうし、顔も世間に知られる。余計会える日が減ると思う。だから、いったん距離を置こう」
待って。頭が追い付かない。
「それって、別れようってこと?」
「そういうことに……なるな」
「もう、私に気持ちはないの?」
彼は黙ったまま下を向いた。
「……わかった」
嫌だ、本当はそう口に出したかった。だけど彼も悩みに悩んで出した決断なんだ。
底にあるコーンフレークを解けたアイスと絡ませてから口に運ぶ。広がっていく甘さが、より一層胸を苦しくする。
予想通り、彼が主演のドラマが放送されてから、CM、バラエティ番組、街中のポスター。どこへ行っても葉山海斗。イケメン俳優葉山海斗と誰もが知る存在となっていた。ここ数年の実写化映画には必ず出演している。彼が全巻揃えるほど好きな少年漫画の実写化にも、好きだったキャラクターの役として出演。別れた今でも自分のことのように嬉しい、そして誇らしい。
だけどそれ以上に、カフェでの別れ話がよみがえる。あの日から、起きてすぐ、寝る前しか触ってこなかったリモコンを頻繁に触るようになった。朝、昼、夜、どの時間帯であっても彼が映し出される。顔を見るたび辛くなり、とっさにリモコンのボタンを押す。しばらくしてまたつけては、また消す。その繰り返し。
「よし、掃除終わり!」
無音が増えた一人暮らし生活。その代わり自分の独り言の音量が上がった。静かに観ていたテレビに対しても突っ込むようになった。
『本日の挑戦者は、葉山海斗です!』
「あ、やべ、消すの忘れてた」
毎週楽しみにしていたクイズ番組。次回の挑戦者は葉山海斗と予告されたときには、絶対に放送前にテレビを消すと決めていたのに。掃除に夢中になりすぎた。
テレビが視界に映らないよう手で目を少し覆う。狭い視界でリモコンを探し始めた。
「あれ、リモコンどこ」
探しても、探しても見つからない。布団の中やソファーのシーツをめくってもない。せっかく掃除した部屋が汚くなってしまった。
「間違えて捨てたりしちゃったかな」
ゴミ箱を開ける。あった。ゴミをかき回さずとも、ゴミの上に添えられるようにあった。
「なんだ、あったじゃん」
と自分の間抜けさに笑いながらボタンを押す。
反応がない。押しても、押しても、反応がない。その間に葉山海斗は一問目を正解していた。
「今日に限ってバッテリー切れ?」
仕方ない、とテレビ本体のスイッチに手を伸ばした。
ピーンポーン。
インターホンが鳴る。カメラには配達のお兄さんらしきフォルム。時計の針は7時を指していた。いつもなら午前中に届くのに。いったい誰からだろう。
テレビを点けたまま、玄関へと向かう。扉を開けると、帽子を深く被り、長方形の箱を持った配達のお兄さんが立っていた。
「ありがとうございます」
箱を受け取り、静かに扉を閉める。テレビ前のソファーに座り、箱を眺めた。段ボールではなく、裸で渡された箱。赤いリボンが施されており、右下には薄くH・Kとアルファベットが記されていた。箱を開けると、小さく白い花が咲いた草と、さらに小さい箱が入っていた。何の植物だろうと疑問に思いながら箱を開けた。ルビーよりも濃く赤い宝石が粉のように散らばったデザインの指輪。この宝石知ってる。私の誕生石、ガーネットだ。
『最終問題に移りましょう!』
クイズは最終問題に差し掛かった。葉山海斗がアップされ、グッとガッツポーズをした。その右手には、同じデザインの指輪がはめられていた。すぐに画面は切り替わり、箱に入っていたと同じ白い花をつけた草が映される。
『こちらは1月から4月に咲く花、ナズナですが、花言葉はいったい何でしょう!』
「ナズナって言うんだ」
テレビを消すことも忘れ、葉山海斗の回答を待った。いつもなら挑戦者はここで苦戦し、悩んだ表情を見せる。だけど、葉山海斗は余裕な顔でペンを走らせていた。
『葉山海斗さんの回答は、あなたに僕のすべてを捧げます。 正解です!』
両手を高く掲げ喜ぶオーディエンスと葉山海斗。全問正解を果たし、三〇〇万円の賞金を貰うことが決まった。
箱に記されたイニシャル、おそろいの指輪、ナズナとその花言葉。まさか……。
「そういえば、宅配のお兄さん、サインお願いしますって言ってない」
箱を持ったまま、急いで玄関を開ける。そこには壁にもたれかかり、帽子を外した彼がいた。
了