スマホの書生さん

中編/伊東紫恋

 

 

 失恋した。たった一通のメールで、たった三か月の片思いが幕を閉じた。奥手な自分の久しぶりの恋だから、勇気を出してデートの約束までこぎつけたのに。

 

『彼女できたから遊べない』そんな理由でまる一日暇が出来た。

 

心の傷は思ったよりも浅かった。片思い期間が三か月、週に一回しか会わない相手だったおかげかもしれない。よし、次に進もう、とすぐに気持ちを切り替えることができた。ただ予定のない日ができるのは嫌だ。受験期が終わった瞬間、何もすることがなくカウチポテトになっていた日々が頭をよぎる。暇すぎて自分は何のために生きているんだ、なんて考え始めてしまい、大学に進学してからは、忙しくありたいとスケジュール帳を汚すほど予定を埋めるようになった。

 

キャンセルされたデートは五日後。片っ端から暇な友人を探したが、皆既に予定を入れていた。

 

しょうがない、バイト代入ったし一人旅でもするか。

 

さて、どこに行こうか。できれば人通りは多すぎず、でも活気があふれていて、昔を感じさせられる場所に行きたい。

 

 目的地を探すため、瞼が重くなるまでネットサーフィンを始めた。

 

 

雨が降っては止む天気が繰り返される中、目的地に着いた。

 

有名な観光地ではあるが、大都会というわけでもない。さらにメインである天守閣が工事中なため、ちょうどいい数の観光客が訪れていた。浴衣姿でインスタ映えしそうなジュースを持ち、自撮りする女子高生たち。見たもの一つ一つに興味を持っては買ってとせがむ子どもたち。それに振り回され、財布を確認する親。カメラを構え、レンズの向こう側を見る人。手を繋いで優雅に歩くカップル。そして折り畳み傘を左手首にかけ、リュックを背負う私。

 

古い街並みを撮影しようとポケットからスマホを取り出した。カメラアイコンを押し、目の前にかざす。少し色を変えて画面に写し出された。

 

人が写らないように立ち位置や角度を調整する。後は書生姿の男性を避けて……。

 

洋服が多い中ひと際目立つ和服の男性。うしろ姿が美しい。盗撮になるかもしれないけど、写真におさめよう。

 

「あれ……」

 

スマホの画面と肉眼で交互に見る。いない。画面にいるはずの書生さんが、その場にいない。どういうこと、違和感なく映っているのに。もしかして私のスマホが壊れているの?

 

「あ、行っちゃう」

 

導かれるようにスマホをかざしたまま、書生さんを追いかけた。

 

城下町のど真ん中を堂々と歩く書生さん。人にぶつかりそうになっても、避けるのは書生さんだけ。偶然目に入った他人のスマホ画面を見たが、そこに書生さんは写っていなかった。見えているのは私だけ。不思議で仕方ないが、それよりも書生さんがどこに行こうとしているのかを知りたい好奇心が勝っていた。

 

 

書生さんの存在に気づいてから初めて店に入った。木造の建物に、店内はやたらビールと美女を主張するポスターなど、昭和を感じさせるようなものが壁一面に貼られている。端には無料で遊べるスペースインベーダーのゲーム機。書生さんはそんなものに目もくれず、コーラの自販機の前に立った。普通の自販機ではなく、瓶に入ったコーラが出てくる自販機だった。出できた瓶コーラを取り出すと、迷わず自販機に設置されていた栓抜きを使った。書生さんが使うまで、栓抜きがあんな所にあったなんて気づかなかった。書生さんの手慣れた行動に疑問を持った。書生の姿をしているのだから、明治時代からタイムスリップした人だと思い込んでいた。でも、日本でコーラが発売され始めたのは昭和時代。どういうこと……。

 

「お嬢ちゃん真剣に瓶コーラの自販機を撮ってるわね、そんなに珍しいかしら?」

 

突然店のおばちゃんに話しかけられ、肩が小さく揺れる。違うんですと弁解しようとしたときには、書生さんは店から出ていこうとしていた。

 

「ま、まあ私、令和生まれなんで」

 

冗談きつすぎだろと思いながらも、急いで書生さんを追いかけた。

 

 

書生さんが次に入ったのは休憩所。フェア中なのか、地元の人たちが無料でビールを配っていた。

 

コップに溢れそうなほどに入ったビールを手に取り、扇風機に近い席に座る。すでにカップルが座っているのに、まったく気にしていない。というか気づいていない。

 

「お姉ちゃんもビール飲まない?

 

頭を隠すようにタオルを巻いたおじちゃんがビールを差し出してくる。

 

「すみません、私未成年なんです」

 

「そうやったか、すまんな。お茶も無料で配ってるから飲んでいきな」

 

「ありがとうございます」

 

お茶を受け取り、書生さんから少し離れた席に座る。スマホ以外の荷物を置き、再び画面に注目する。

 

そうか、ビールを飲んでいるから、書生さんは成人男性なんだ。とても些細なことではあるけど、ゆるぎない事実が一つ分かったことでうれしさを感じた。この感覚、あいつにも感じたことがある。恋……? そんな訳ない。吹っ切れたとはいえ、新しい恋に走るのは早すぎる。そもそも、後ろ姿ばかりを追いかけているせいで、相手の顔も見ていないのに。

 

「あ……」

 

いつの間にか書生さんが休憩所を離れようとしていた。私も急いでリュックを背負い、休憩所を出た。

 

 

次は店ではなく、城下町から離れ角を曲がる書生さん。曲がった先には赤いレンガの道と、その道を挟むように洋と和が入り交ざった建物が並んでいた。明治時代にタイムスリップしたかのような完璧な世界観。書生さんも、本来の居場所を見つけたように、ひし形の模様が入った紺色の羽織とともに溶け込んでいた。

 

「こら、あなた危ないわよ!

 

瓶コーラのおばちゃんより何倍も大きな声が耳を刺激する。

 

「ここは車も通るんだから、携帯なんて眺めないでちゃんと前を向いて歩きなさい」

 

「はい、すみません……」

 

声でかおばちゃんは「これだから最近の子は……」とグチグチつぶやきながら通りを抜けた。ごめんねおばちゃん、それじゃあ書生さんを見失ってしまうから。

 

「はっ!」

 

もう一度スマホをかざすが、もう遅かった。どこを向いても、書生さんが見当たらない。同時に画面には、バッテリー残量が少ないと表示された。しょうがない、もう帰るか。

 

記憶をたどりながら、元通った道を歩き出した。

 

書生さんはどこへ行ったのだろう。あの短時間で見失うなんて最悪だよ。また見つかるかもしれないと、残量が少なくてもスマホをかざし続けていた。城下町を抜けるころにはさすがに諦め、ポケットにしまった。

 

 

ぽつぽつと雨が降り始めた。左手首にかけてあった折り畳み傘を……あれ、ない!

 

リュックの中も探ったがなかった。いったいどこで無くしたんだ。左手首が軽くなったのを早く気づいていればよかった。

 

雨もだんだんと激しくなり、いったん近くの屋根に雨宿りした。屋根にたまった水が大粒になって落ちていく。

 

落ちた衝撃で私の靴を濡らした。その光景を眺める視界の片隅に、風も吹いていないのに不自然に揺れるもの。柱に、無くしたはずの折り畳み傘がかけられていた。

 

「なんで……」

 

バッテリー残量五パーセント、通知が来た。撮った記憶のない、城下町の街並み、瓶コーラ、書生さんの飲んでいたビール、レンガ通りの写真が数枚送られた。

『傘、忘れていたよ。後、予定のない日は、僕とデートしよう』のメッセージとともに。

 

ここでやっと気づいた。書生さんの羽織と、私のスマホケースの色と模様が、同じ紺色とひし形だということを。

 

 

 

 

 

 「ねえ、あなた誰」

 

 一人旅から帰ってきてすぐ、玄関に入ってはリュックをベッドに放り投げ、スマホを取り出す。画面からは見慣れた推しの画像ではなく、それによく似た書生姿の男が映っていた。そう、あの人だ。謎の写真を数枚送り付け、折り畳み傘を見つけたあの人だ。

 

『誰って、君のスマホだよ』

 

「なに訳わからないこと言ってるのよ。もういい、中野さんに直してもらう!」

 

 スマホだけを持ち、隣の五〇一号室のインターホンを鳴らした。

 

「沙絢ちゃん、帰ってきたんだ」

 

 扉から出てきたのは中野さん。IT企業で働くお兄さんだ。機械音痴な私を助けてくれた優しいお兄さん。出会って一年ほど経っているが、一度も部屋に入らせてもらったことがない。こうやってスマホやパソコンを直してもらうときは、玄関前の廊下、もしくは私の部屋で作業をする。

 

「ねえ中野さん、このスマホおかしいの。書生姿の男が画面に現れて、僕は君のスマホだよとか言い出すの」

 

「ふーん、ちょっと見せてくれない」

 

 中野さんにスマホを渡す。一通り確かめた後、画面を綺麗にふき取り返された。

 

「特に問題はなかったよ」

 

「でも、本当に――」

 

「少なくとも、俺がスマホを持っている間、彼は現れなかったね。でも、もし沙絢ちゃんの話が本当なら、彼は自我を持ったスマホの姿かもしれないね」

 

 納得いかない。スマホが自我を持つことなんてあるの。

 

「害とか……出てこない?」

 

「ないよ。むしろ便利になってると思うよ。ほら、もう遅いし部屋に戻って」

 

 中野さんの言っている意味が分からないまま、冷たいスマホを持って帰って行った。

 

 

 

 

 翌日、中野さんの言葉の意味をすぐさま理解することができた。

 

『沙絢、朝だよ』

 

 警告音のようなうるさいアラームとともに、全身を包んでくれるような低くて優しい声。画面の向こうには頬を赤らめた書生さんがいた。

 

『寝起きの沙絢、可愛い』

 

「はあ!?」

 

 恋愛ノベルゲームの攻略対象が言うようなセリフを放つ書生さんが恥ずかしくなり、画面を下に伏せた。

 

 それでも弾丸トークは止まらない。

 

『午後から雨が降るみたいだから、傘を忘れないように。朝食は食パンだけ? 駄目だよ。沙絢は痩せてるんだからいっぱい食べなきゃ。完成していないレポートが二つもあるね。今日中に僕と一緒に終わらそうか。あと、今日は推しの誕生日からちょうど一か月前だよ』

 

 天気予報から今後の予定、リマインダー機能も備え、私の体重と推しの誕生日までも知り尽くしている。そりゃそうよね。私の個人情報なんて、全てスマホに記録されている。本体である書生さんが知らないはずがない。

 

 その後も書生さんは私の生活管理を毎日抜け目なくしてくれた。おかげでバランスのいい食事と運動をとるようになり、一人暮らしである寂しさが消えた。外でスマホをかざせば、私を誘導するように書生さんの歩く姿が映される。背景との違和感はあるが、私にデート気分を味わわせてくれた。

 

「ねえ、書生さんは名前あるの?」

 

 書生さんと出会って二週間、彼の名前を知らないことに今更気づく。

 

『ヒカル』

 

 シャーペンをかんざし代わりにする私を見つめながら答えた。

 

 黄土色の髪と瞳に、少年っぽさを残しながらも大人のオーラを放つその容姿にふさわしいと思った。だからってこれから彼をヒカルと呼びたいとは思わない。私の中で、『書生さん』が強く定着してしまっていた。

 

「ヒカル……ふーん」

 

 意味もなくメモ用紙にローマ字でヒカルと書いてみた。アルファベットの順番を少しいじっただけで、新たな名前が導き出された。

 

「ハルキ」

 

 どこかで聞いたことのある名前。知り合いにいるはずが、それがいったい誰なのか思い出せない。

 

『沙絢』

 

「なに!?」

 

 書生さんの声と、手のひらのほんのりと熱い感触が我に返らせた。

 

『そんなジッと見つめられると、照れる』

 

 ほんのりと熱かった端末がさらに熱くなる。書生さんも耳までトマトのように顔が赤い。

 

「ごめん、そんなつもりなかった。それより、顔赤過ぎない?」

 

『赤くもなるよ。沙絢のこと好きだから』

 

 

 

「スマホに告られた!?」

 

 大学からの帰り、高校の後輩であり、幼馴染でもある亜紀と大輔とファミレスに来ていた。私の発言に驚きを隠せない二人。打ち合わせでもしたのかと思うくらい、同時に頭を抱えていた。

 

「沙絢、ついにゲームと現実の区別がつかなくなった」

 

「彼氏いないからって変な妄想するなよな」

 

「だから違うって!」

 

テーブルを勢いよく両手でたたく。手のひらがヒリヒリしている間に、今までの経緯を説明した。予想通り二人は納得がいかない表情をしたまま。スマホが自我を持ち、私に恋愛感情を抱いているなんて話信じられるわけがない。証拠を出せと言われても、書生さんはなぜか姿を現してくれない。

 

「まあでも、お前は嘘つけないからその話信じるよ」

 

さすが幼馴染。話が通じてよかった。

 

「で、返事はしたの?」

 

どうせまだなんでしょと言いたそうな顔で見つめてくる亜紀。ええそうですよ、まだですよ。

 

「やめとけ」

 

 普段よりも少し低い声で言う大輔。

 

「わかってるよ。自我を持っていたとしても、スマホはただのスマホなんだから……恋愛感情なんて抱かないよ」

 

声に出した答えがモヤっと胸に引っかかる。本音を言っているはずなのに、嘘をついたような罪悪感に覆われる。私は書生さんとどうなりたいの。今の関係のままではいられないの。

 

「ねえそれよりも近所のイケメンなお兄さんの話が聞きたい」

 

しばらく続いた重い空気を壊したのは亜紀だった。

 

「中野さんのこと? 別に面白い話なんてないよ」

 

「えーほんとにー?」

 

末っ子特有のいたずらっ子な表情を向けられる。いつの間にかスマホも大輔に奪われていた。

 

 

 

 

 

 

「なぜこうなる」

 

 今日は推しの誕生日。書生さんと出会って一か月ちょっと過ぎた。家でツイッターを開き、同担のフォロワーさんたちとネット内で祝うはずが、待ち合わせ場所であるロビーにいる私。しかも待ち合わせ時間の十五分前。普段着ない花柄のワンピースにいつ買ったかもわからない勝負下着をつけて。

 

 こうなった原因は大輔だ。私のスマホを奪った直後、

 

『予定が空いたのですが、その日どこか一緒に出掛けませんか』

 

 と綴られたメッセージを中野さんに送ったのだ。既読される前に取り消そうとしたが、まるで私からメールが届くとわかっていたかのようにすぐに既読されていた。

 

『いいよ』と優しい性格からは想像のつかない素っ気ない返事。

 

 その後もやり取りが続き、誤解を解くこともできず、今に至ったのだ。

 

 傾いた髪留めのリボンを必死に直すが、後ろに留めているからかうまく直せない。

 

「あれ、沙絢ちゃん早いね」

 

 待ち合わせ時間ちょうど、大きくて暖かい手がリボンを直してくれた。見慣れたスーツ姿ではなく、白Tにジーンズとラフだけどどこかクールな中野さんが登場した。あごに申し訳程度にあったひげも剃り、元々の童顔が更に若返って見えた。

 

「リボン、ありがとう」

 

「どういたしまして。じゃあ、行こうか」

 

 スッと自然に手を前に出される。付き合ってもいない人と手を繋ぐなんて意味があるのか。しかしこの彼氏いない歴イコール年齢の女沙絢、誰でもいいから一度は異性と手を繋ぎたいと思ってしまう。お姫様が王子様に手をのせるように、中野さんの手を取った。

 

 デートプランを考えたわけでもなく、ただ次の駅まで続く商店街をぶらぶらと歩いた。違和感こそ最初はあったが、徐々にお互いの手が一体化するように、当たり前のように手を繋いでいた。店の中に入るわけでもなく、珍しいものを見つけては「かわいいね」などと感想を言い合う。

 

「ねえ、おなか空かな……い」

 

 足に重みがかかったころ、通りかかったタピオカ屋を指さす。「ありがとうございました」の声とともに店から出てきたのは約束をドタキャンしたアイツと、ショート髪の女の子。きっと彼女だ。二人は片手にミルクティーを持ち、空いた手は十センチ先にあるお互いの手を繋ごうか繋がないかさまよっている。初々しい。誰が見ても付き合いたてのカップルだということが一瞬でわかる。繋がれた自分の左手を見下ろす。周りからすれば、私と中野さんもカップルに見えているのかな。それとも、差がありすぎる身長のせいで兄妹に見えているかもしれない。

 

 

ふと、ある日の帰り道の記憶が掘り起こされる。スマホを鞄にしあうのが面倒くさくなった私は、家に着くまで片手に持ち歩いていた。冷たいはずの端末が温かい。画面を開けば外出時は普段現れない書生さん。『沙絢と手を繋いでいるみたいで、嬉しい』と言い、微笑みかけた。

 

「タピオカか……」

 

 中野さんの声で我に返る。

 

「もしかして嫌だった?」

 

「流行っているらしいけど、一度も食べたことがなくてさ。どんな味があるんだ?」

 

 まじか。仕事帰りにスーツ姿でネクタイを緩めて買いに行っていると思っていたのに。

 

 店員さんに渡されたメニュー表を二人で眺める。

 

「うーん、中野さんは無難にミルクティーっぽい」

 

「そう? なら沙絢ちゃんはこのいちごミルクかな」

 

「え、当たり! なんでわかったの」

 

 メニュー表から視線を外し、中野さんに顔を向ける。中野さんも私を見ていたらしく、鼻先がくっつきそうな距離にいた。

 

「あ、ごめん」

 

 とっさに顔をそらす。心臓の音が大きくなって収まってくれない。同時に、よくわからない罪悪感に襲われた。

 

 

「今日は楽しかった、ありがとう」

 

「こちらこそ、急に誘ったのに、ありがとう」

 

 月とほんの少しの星が輝く時間、中野さんと私はそれぞれの玄関前に立っていた。

 

「あ、忘れ物」

 

「え、探しに行きますか」

 

 中野さんが一歩ずつ、一歩ずつ近づく。すると、おでこに生暖かい感触と、チュッと短い音。

 

「おやすみ」

 

 振り向かずに帰っていく中野さん。なにあれ。今、私に何をしたの? え、ええ……。

 

「大人の男って、恐ろしい……」

 

「ただいま」

 

スマホと向かい合い、書生さんからの「おかえり」を待つ。画面に書生さんが映し出されたが、黙ったまま。ただいまともう一度言ってみる。

 

『予定のない日は、僕とデートしようって言ったよね』

 

 まさか、中野さんと出かけたこと、怒ってる。

 

「あれは大輔が勝手に――」

 

『僕、沙絢のこと好きって言ったよね』

 

その言葉をきっかけに、私の中の火がついてしまった。

 

「だからなによ。私と恋人になりたいの? 人間がスマホ、ましてや無機物と付き合えるわけないじゃない」

 

『本気の恋をしたことがないからそんなことが言えるんだ』

 

「そんなことない」

 

『ないよ。だから失恋した時も、すぐに吹っ切ることが出来たんだ』

 

「そんなこと……ない」

 

『君のほうがよっぽど無機物だよ』

 

書生さんの言葉が一つ一つ胸に深く刺さる。言い返せない。全てが図星だから。そうよ、私は本気になれない、ならない。傷つくのが怖いから、自分が情けなく感じてしまうから。なら、本当の恋ってなに。こんな私でも経験できるの。

 

「教えてよ……」

 

頬を伝った涙が真っ暗な画面を濡らした。

 

その日から、書生さんが姿を現すことはなかった。

 

 

 

 

淡々と静かな毎日をおくる。電車のなかで、帰りの歩道で、片手にスマホを持っていても熱くならない。それでも、おかえりと言ってくれる日がまた来るのを信じたい。

 

「おいそこのお前、どけや~」

 

 後ろからネクタイを頭に巻いてそうな酔っぱらいサラリーマンの声。左側に避けるが、それでも酔っぱらいリーマンはぶつかってきた。

 

「あっ!」

その衝撃で持っていたはずのスマホが地面を打つ。画面はクモの巣のようにヒビが入ってしまった。

 

「嘘でしょ……書生さん、ねえ書生さん」

 

なにも反応しない。

 

「ヒカル!」

 

名前を叫んでも、反応しない。

 

 急いで中野さんのもとへ走る。エレベーターを使わずに上り、壊れるほどインターホンを押した。

 

中野さんが顔を出し、話し出す間も与えずスマホを渡した。

 

「中野さん、書生さんが、どうしよう助けて」

 

「わかったから落ち着こう、ね」

 

中野さんがスマホと共に異様に暗い部屋の奥へ行く。

 

 しばらくして眉を下げて帰ってきた。

 

「奥まで深いヒビが入ってる。残念だけど、直してあげられない」

 

「そんな……書生さんはどうなるの」

 

「データは他の端末に移行できる。だけど君の言う書生さんは端末本体だから……」

 

 それ以上はなにも言えなくなる中野さん。

 

「そっか……ありがとう」

 

全身に力が入らない。ほんとバカ、なんで今気づくの。失ってから気づくとはよくいったものだ。私は書生さんが好き。いつの間にか、彼に本気で恋をしていた。

 

 壁に体を支えてもらいながら、賑やかな記憶が残る部屋に帰った。

 

 

 

何日寝込んだかわからない。いつ新しいスマホを買おうと決心したのかもわからない。最短一分で吹っ切ることができたはずの私が、友人に助けをもらいながら時間をかけて傷を癒すことになるとは。

 

その間、カメラの画質がどれだけ進化したことか。最新モデルはどれも格好良さが増していた。

 

「カバーどれにいたしましょうか?」

 

サービスでついてくるスマホカバーを店員さんが提示する。

 

「いえ、もう持っているのでいらないです」

 

幸いなことに新しいスマホは前と同じ大きさだった。ピカピカのスマホとは対照に、古さが目立つひし形の模様が入った紺色のカバーを着させる。

 

このスマホは書生さんではないことくらいわかっている。それでも、書生さんと過ごした時間は確かにあったことを証明したかった。

 

「え、凄いきれい」

 

あの日のように、晴れた空にスマホをかざす。肉眼で見る時と変わらない鮮明で綺麗な空が写る。街中を写せば、人混みのなかに書生さんが立っていたりして、なんて淡い期待が芽生える。

 

「……あれ」

 

スマホと肉眼、交互に見れば、スマホにしか映らない場違いな格好の男性……。

 

え、なんでいるの!?

 

何度見返してもそれは確かに書生さんの後ろ姿だった。

 

迷いもなく彼を追いかける。もし本当に彼だとしたら、今すぐ謝って仲直りして、本当の気持ちを伝えたい。必死にその広い背中を追いかけた。

 

人混みを抜け出したかと思えば、見知ったアパートに入っていった書生さん。扉が全開になった部屋の奥へ入った。

 

「中野さんの部屋……なんで」

 

いけないとは分かっていても、全開の扉が私を中に招待している気がした。スマホをしまい、ゆっくりと部屋の中に入る。

 

長い廊下の端にぽつんと落ちた名刺。『中野春樹』と書かれていた。中野さんの下の名前、ハルキなんだ。なんで今まで知らなかったんだろう。

 

 部屋の奥はまだ昼間だと言うのに異様に暗い。その中一際目立つ赤いカーテン。そうか、カーテンを閉めているから暗いのか。勢いよくカーテンを開ける、が、太陽の光ではなくコルクボードを埋めるように大量の写真が飾られていた。ほとんどがハーフアップにした髪を赤いリボンで留めた少女の横顔、後ろ姿、笑った顔……。

 

「これ……私?」

 

撮った人が、まるで私よりも小さい撮り方と角度。城下町の街並み、瓶コーラ、書生さんの飲んでいたビール、レンガ通りの写真。確信がついた。

 

トン、トンと足音が近づく。音のする方を向く。白T にジーンズ、申し訳程度のあごひげ。

 

「書生……さん……?」

 

パソコンの光だけが照らす部屋の中、不気味に、だけど優しく、彼は微笑んだ。

 

 

「あ、ばれちゃった?」