短編/人間ドラマ/中津修治

 

 塔のてっぺんからすうっと直線上に伸びた先に月が浮かんでいる。どこか弱々しく、そして静かに輝いているそれは綺麗な満月である。無性に掴んでみたくなって手を伸ばしたものの、誰にみられているわけでもないが恥ずかしくなって手を引っ込め、煙草をふかした。

 夏の夜の事である。

 この頃は、こうしてベランダで煙草をふかし乍ら、本を読む。部屋からの明かりで文字の羅列がうっすらとではあるが浮かび上がってくるのだ。

 月を眺めていると、手の甲に煙草の灰が落ちてきた。不快感はなく、落ちないようにそっと灰皿までもっていき、中へ放り込んだ。唇を尖らした間抜け面であったが誰にみられているわけでもない。

 また月を見れば、プレートの形がいかにも情けない表情に見えてきた。そんな風にしたって私は何もしてやれないさ、ただ君はそういう運命なのだと諦めておくれ。

 二本目を吸い終えたが、どうも物足りなさを感じて三本目もそのまま火をつけた。風が木々を揺らしている。自然がおこすことに意味などありはしないさ。いや、自然でなくともそうだと知っている。本当は全てに意味などない。

歌いたかった。だから歌った。意味はないけど少し心地が良くなって、夜空を見上げた。

 なんてことはない、月に表情などなかった。私がそう思っただけ。意味はない。灰皿に吸い殻を入れ、さてと立ち上がったところでふと風が吹いた。風に運ばれてきた香りは、私にどこか懐かしさを感じさせた。

 遠い日の思い出、心地の良い懐旧の情が哀愁を運んでやってくる。たとえ意味などなくても生きていける。そう思えた夏の夜。