青銀の魔法使いソーラ

中編/ミッカ

 

「ああ…またか」

 無惨に割れ、ガラスの破片となったフラスコをソーラは見つめた。カビが生えそうなほど陰湿な部屋に甘ったるさと硫黄を混ぜた臭いが立ち込める。汚れとクモの巣を被った窓は少し開かれ、黒い虫がいそいそと逃げ出した。もうずっと洗ってないベッドには山済みの非難させた本が鎮座し、その内一冊は薬の作り方の頁が開かれていた。本に載ってある通りに薬草やらトカゲの黒焼きやらを粉々にして入れてみたのだが、結果はご覧のとおりである。

(下手の横好きは卒業しねえとなあ)

 彼はため息を口から吐き出し、すっかり危険区域と化した机の上を片付け始めた。

 

 数分歩けば、町の騒音が消え去る深い森の奥に、倒れていないことが不思議なほどぐにゃぐにゃに建てられた家があった。煙突が付いた屋根がある最上階の窓から濃い紫色の煙が吐き出され、家一帯が最悪な臭いに包まれた。鳥は鳴き叫び、動物たちは戸惑い逃げおおせていたが、深い森の奥の騒動など町の人々は知る由もない。

 『魔法使い』

 それは、自分の精神力や体力、第六感といった目に見えぬ力を具現化し、物を媒体としてこの世界に解き放つことのできる種族である。ある時には力なき人々に敬われ、ある時には恐れられ、滅ぼされかけたこともあった。現在では、その未知なる力に憧れ、もてはやされている時もあれば時代遅れだと一蹴されることもあり、その反応は千差万別となった。

 ソーラはそんな魔法使いの末裔の一人である。現在は独立し、このバランスの悪そうな掘立小屋に住んでいる。箒で飛んで一番近い町で活動することもあり、杖から放つ魔法で様々な依頼をこなす所謂「何でも屋」を営んでいる。魔法使いへの差別は昔の話となり、ソーラは順風満帆とも言える生活を送っていた。しかし、彼には物心ついたころより一つの悩みを持っていた。

 

「魔法薬が上手く作れない……!」

 

 ソーラの一族は元より攻撃魔法に長けていた。杖のみならず、剣、弓矢、盾にまで魔法を滲み込ませ、襲い掛かる敵を蹂躙していった。あまりの強さに人々のみならず同族の魔法使いにまで恐れられ、一族の周りに居つく者は極僅かになる。その為に彼らの数はすっかり少なくなり、一族を知るものはマニアックな歴史研究家ぐらいとなった。ソーラが恐れられず、町の人々の頼りにされていることがその証明である。

 そんな戦闘一族の末裔ともいえるソーラは、粉々となったフラスコを箒と塵取りで回収した。もうすぐ生まれてから百を超えようとしているのに、彼は生活で使えそうな魔法を発することが苦手だった。町では炎を出してごみを一気に燃やし尽くしたり、荒くれ者を完膚なきまでに叩きのめしたりして頼られていたが、細かい作業となると全然上手くいかないのである。

(何がダメなんだ……?いや何がダメかわからんからいつも失敗するのか)

 

 ガラスの破片をあらかた集め終え、古びた木製のゴミ箱に流し込みながら彼は自問自答した。換気してもなお、失敗を自覚させる臭いは一向に消える気配がない。色々と気分が悪くなり、ソーラは青と銀のバイカラーの頭をぼりぼりと乱暴に掻いた。本に載っていた材料は全て使ってしまったので、もう手元には薬を作れそうな材料はない。依頼料の六、七割は食材(と間食)に消えてしまうので、これから買いに行くというのもなかなか手間がかかる。こうなっては取れる手段は一つである。何とか危険はなくなった机に本を乗せ、頬杖を突きながら頁を適当にめくる。

(取りに行くなら……材料がすくねー方が良いな)

 材料が少なければ、手間も工程も省けるだろうという安直な考えで材料の少ないものを探す。そんなものはないと半ばあきらめていたが、分厚い本は彼に味方をした。

『万能風邪薬 材料……子ドラゴンの喉仏 親ドラゴンの血(五百ml以上)』

 この本を読んだ回数は多いとは言えないが、それでもこれまで実践したどの魔法薬よりも材料の数は少ない。彼は舌なめずりをしながら、ベッドの上にあるドラゴン生体図鑑を捲り始めた。

 

 数日は外で活動できるであろう荷物を背中にしょい込み、ソーラは箒に跨った。細かい作業は苦手だが、箒で空を飛ぶことは大得意である。風の向かう方向と共に空を駆け抜け、日も傾かぬうちに目的地にたどり着いた。彼の住む森のさらに奥に、人々が近づけない青き山があった。山頂にはマグマの代わりにぽっかりと巨大な穴が開いており、大小さまざまな鉱石が植物の代わりに鎮座していた。特にクリスタルの輝きは太陽の光に反射し、暗い穴の中はいつも光が入り込んでいる。不思議な効力が働いているのか、反射しているのが太陽の光であろうと月の光であろうと常に温度が変わらず、着込んだ方がよい程度には冷え冷えとしていた。このクリスタルを使えば三世代は遊んで暮らせる巨額の富を得ることができるだろう。しかし、それを許さぬ者たちがいた。

 

 ソーラは穴に入り込むと、音を立てないように慎重に足を巨大にクリスタルのうちの一つに下ろした。意識を体全体のみに集中させ、目を閉じる。箒も同じく音をたてないように置き、その場で息を吸いながら横に足を広げ、手を腰より上で構える。数秒その状態を維持し、手を素早く前に広げるとともに、息を吐き出し、目を見開いた。その瞬間、彼の体は半透明になり、音の一つも立てなくなる。ソーラは安堵のため息をつき、箒に跨った。箒も同じく半透明になり、この穴に彼の存在を知るものは誰一人として感じ取れなくなる。国ひとつは出来るであろうクリスタルの穴の中には大きな水たまりやこの地に適応したであろう虫たちがちらほらと見えたが、その中でも目をはる生き物がいた。

 

(いるねえ)

 目的の物を見つけ、彼はエメラルドの目を細めた。巨大な角に巨大なトカゲに酷似した身体、空を自力で悠々と跳べるであろう翼を持つ「ドラゴン」であった。ソーラは生物学には無頓着であったが、それでもこの地のドラゴンはかなり希少であると理解していた。群れで生活するのかどうかは彼の知識にはなかったが、幸いにも仲間はいなさそうである。首をきょろきょろと動かし、何かを探しているように見えること以外に異常は見られなかった。

 ソーラは腰に携えていた杖を取り出し、天を指し高く掲げた。杖はその形状を淡い光を発しながら変化していき、全てを貫くボウガンとなった。ドラゴンの首に狙いを定め、矢に魔力を集中させる。引き金に指をかけた瞬間、“彼のものではない”魔法の爆発音が脆弱に満ちたクリスタルの中を駆け巡った。

「遂にたどり着いたぞ!ここで一攫千金だ!!」

 下品な男の大声がクリスタル内に響き渡ると、それに続いておうおうと数人がはやし立てた。目の前に広がる宝の山に興奮していることが足音からも伝わる。

(面倒なことになった)

 彼らに会うことがないように、ソーラは箒に乗りなおし空中でじっとすることにした。興奮冷めやらぬ男たちの騒音が続いたが、しばらくすると何かを見つけたようにピタリと止まった。

「いたぜ……!」

 最初に騒ぎ立てたリーダー格の男の目線の先には、大人の背ほどの子ドラゴンがぽつんと佇んでいた。大きな水溜まりで遊んでいたのだろうか。体からは水が滴り、鱗がクリスタル内の光を反射しキラキラと輝いている。リーダー格の男はニヤリと笑い、手を掲げ捕縛魔法を飛ばした。手の平から放たれた巨大に網は子ドラゴンを一瞬にして捕らえ、身動き一つとれなくしてしまった。子ドラゴンは自分の身に起きた異変に大声を出し暴れるも、網が身体から離れることはない。男たちは歓喜の雄叫びを上げ、その場に滞在用の設備を整え始めた。

 

(おいおい、なーにやってんだか)

 ソーラは空中から一連の流れを見ていた。町に出て人の依頼をこなすこともあるが、彼は何者の味方でもない。魔法使いは自分本位のものが多く、協調性・共感性がないものはざらにいる。ソーラもその一人である。彼はどんくさい子ドラゴンの事なんてどうでもよかったし、寧ろ彼らが子ドラゴンから少し離れたら、ボウガンで子ドラゴンの首と胴体を貫きばらしてやろうとも考えていた。しかし、今はその時ではないことも熟知していた。クリスタルの穴中に怒りに満ちた足音が鳴り響く。ソーラの不安は的中した。明らかに親であろうドラゴンが咆哮を上げ男たちに突進していく。鋭い牙と爪を隠すことなく見せつけ、男たちは焦りの声を上げ始めた。リーダー格の男も焦りの表情をしだすも、即座に首を横に振り恐怖をかき消した。背中に背負った弓矢に黒ずんだ魔法を込め、ドラゴンの額に解き放つ。腕がいいのか、一発で命中した。避けることなく立ち向かっていったドラゴンだが、黒ずんだ矢に当たった瞬間、うめき声をあげ倒れ伏した。

「どうだ思い知ったか!血の巡りを瞬時に悪くしちまう魔法だ!」

 男が二発目を放とうとしようとした瞬間、突如として炎の幕がドラゴンと男たちの前に広がった。

「なんだ!?こんな炎の幕、誰が出せんだよ!」

 男が突然起きた出来事に喚き散らしている間に、ソーラは眉間にしわを寄せながらドラゴンに近づいていった。矢を即座に抜き、止血と回復魔法を施す。何が起きているかわからないとでもいうように、ドラゴンは目のみをちらちらと動かした。処置を終え、箒で空中に舞いながら、ソーラは怒りに満ちた声色で叫んだ。

「血ぃ悪くしてどうすんだよ……俺のもんだぞ!!!」

 ボウガンの狙いを男たちに定め、閃光を放ちながら矢を放つ。矢は男たちに届く僅かな距離で分裂し、辺り一帯を光で埋め尽くした。

「ぎゃあああああああ!」

 誰も見たことがない高度過ぎる魔法に、男たちは目をふさぐしかできなかった。ソーラは隙を作らず、ボウガンの形状を変え、手に馴染む杖に形に戻す。杖の先から炎を作り出し、大きく振りかぶる。目をつぶったままの男たちはなすすべもなく炎に包まれ、更に絶叫を上げた。子ドラゴンも悲鳴を上げたが、炎により網がちぎれ、暴れている間に運良く逃げ出すことができた。翼を広げ、火の手が届かぬところに避難する。炎の着火点には、青と銀の頭をしたものがいた。

「こんのお!」

 リーダー格の男は、炎にもめげず自力で抜け出し、空を見上げた。エメラルドの瞳を持つ青年(そう見える)が、箒に悠々と乗ったまま自分を哀れんだように見下げてくる。男は歯ぎしりをしながら両手を体の前で丸め、魔力の球体を作り上げる。

「ここまで来んのにドンくらいかかったと思ってんだ!」

 手を前に突き出し、魔力をソーラに向かって攻撃する。青年と思われている魔法使いは、つまらなさそうに杖をくるくると回し雷を纏わせていく。

「ふーん頑張ったね。でもざ~んねん」

 ソーラは杖を振り上げ、バチバチと音を立てながら纏わせた雷を男が付き出した魔力へ解き放った。

「俺昼前に家から来たんだよね」

 雷はガラスを割るように魔力の球体を貫き、男へと向かった。青き山の山頂から、豪雨の落雷を思わせる音が鳴り響いた。

 

 山頂のどんちゃん騒ぎを終わらせた後、ソーラはそそくさと家に戻った。あの男たちとドラゴン、どちらの仲間が来られても面倒だったし、疲れて魔法薬を作る気にもなれなかったからである。あれから数日たち、ソーラは町の依頼をこなしつつ魔法薬の練習も少しばかりするといういつもの日常に戻った。依頼は絶好調であったが、魔法薬は相変わらず上手くいくことはない。今日もまた材料を全て駄目にしてしまった。

(また行くか~?)

 また安直なことを考えた直後、埃とクモの巣まみれの窓が激しく揺れた。突風が吹いたと思ったが、どうにもそうではない。鳥たちは騒ぎ立て、動物たちもいそいそと逃げる音がする。

(まさか……この前の親ドラゴン!?)

 ソーラは杖を持ち、どたどたと階段を駆け下りていった。ここで暴れられたら面倒どころでは済まない。穏便に済むよう祈りながら、一階のドアを開けた。

 

「ぎゃお!」

 ドアの前には、大人の背ほどの子ドラゴンがいた。口からは牙をちらつかせ、手足の爪をバタバタと動かしているが、敵意は感じられない。どうしたものかとソーラが目を丸くしていると、子ドラゴンは急に縮こまり始め、体から光と霧を放ち始めた。ドラゴンの生態を詳しく知らないその青銀の魔法使いは目の前の変化にも動けずにいた。光が消え去り、霧が晴れ始めると、ソーラは目を更に丸くする羽目になった。

「人……間!?」

 そこには牙と爪を持った厳つい子ドラゴンはおらず、角と尾を持った中世的な“人間”がいた。子ドラゴンがいないこと、そして子ドラゴンと同じ爬虫類の目をしていたことが、今目の前で起こったことを表していた。ソーラに考えをまとめさせる暇も与えず、子ドラゴンであるその人間は声を発し始めた。

「よ、ろしくう」

 屈託のない笑顔とは、まさに今焦りを隠せない魔法使いの目の前にあるのだろう。

「ええええええええええ~!?」

 

 静寂が続いていた森の中に、一人の魔法使いの驚嘆の声が響き始めたのだった。