秘密基地マスター

阿久津庵

 

「ダメだよ、馬場クン。キミの企画には目新しさがまるで無い。分かる? オリジナリティだよ、オリジナリティ」


 上司は机を二度叩くと、僕の出した企画書を突き返してきた。オリジナリティね。言うのは簡単だが、抽象的過ぎてさっぱりイメージが湧いてこない。どうしたものかな、と歩きながら考えていたが、いつの間にか僕の足は会社近くのラーメン店にへと向かっていた。

 

 昼の時間帯ということもあり、店内はそれなりに賑わっていた。僕は醤油ラーメンを注文し、手近な椅子に腰を下ろす。

 顔を上げると、神棚の位置にテレビが設置されていた。里山だろうか。画面には、地元の小学生の駆け回る姿が映し出されている。ちなみに、子どもたちを監督しているのは、先生ではなく普通のおじさん。地元の人なのだそうだ。

 画面の中の彼らを見ていると、何だろう。妙に懐かしい気分になってくる。

 

 マスターは、元気にしているだろうか?

 

 

  

「おかしいじゃん、なんで広場でサッカーしちゃダメなの」

「決まりなんだってさ。……それで、これからどうする?」

 

 当時小学生だった僕たちは、遊ぶことに飢えていた。
 鬼ごっこはやり飽きたし、野球もサッカーもするための場所がない。皆で知恵を出し合っていると、やんちゃな友人が言いだした。

 

「裏山に行こうぜ」

 

 悪くない。あそこなら広い空間も確保できるし、大人の目を気にしなくて済む。かくして、僕たちは裏山を遊びの拠点とすることにした。

 だけど、それだけでは物足りない。大人たちには内緒で、自分たちだけの隠れ家を作ろう、という提案がなされた。思ったことは即実行。辺りの切り株や枝葉を駆使し、僕たちは腰かけやハンガーを作りあげた。不格好だが楽しかった。

 

 そして、マスターが現れる。
 その日も学校が終わり、僕は秘密基地に向かった。だが、里山の手前に広がる野原。そこで僕は足止めを食らった。

 すでに友人たちの姿はあったのだが、辺りに漂う空気は明らかに異質だった。ある者は怯え、ある者は目を輝かせている。そんな中、真っ先に駆け寄ってきたのは、特に頭の切れる友人だった。

 

「どうしたの、イノシシでも出たか」
「馬場君、いいから来て!」

 

 走り出した彼を追い、僕たちはすぐさま秘密基地に向かう。
 異常を把握するのに時間はかからなかった。
 それは、僕たちがかき集めて作った藁の寝床で、豪快な寝息を立てていた。
おっさんだ。
 みすぼらしい服装とやつれた中年顔。生活水準の低さは嫌でも感じ取れる。……もっとも、当時の僕たちにそんなことを気にする余裕はなかったが。

 

 しばらくすると、おっさんは大きなあくびとともに起床。まどろみの中、その二つの目で僕たちを捉えると、彼は反射的に「うおおっ!」という素っ頓狂な声を上げた。

 

「おじさん、誰?」
「待て。そんなことより、坊主。ここはどこだ?」
「どこって。僕たちの秘密基地だけど」

 

 おっさんは、たっぷり三十秒考えると、なぜか得意げに鼻を鳴らした。

 

「なるほど、な。……坊主、オレが誰か知らないのか?」
「知らないよ。誰だよ」

 

 その答えに満足したらしい。おっさんは藁の上で胡坐をかくと、ニヤリと口角を上げてみせた。

 

「オレは、秘密基地マスターだ」

 

 咄嗟に隣を見た。友人は、僕と同じような顔で困惑している。何だ、この男は? 僕たちの警戒心は強まっていく。
 そんなことなどお構いなしに、おっさんは調子よく続ける。

 

「日本中を練り歩き、秘密基地の素晴らしさを伝授するさすらいの旅人……それが、秘密基地マスターだ!」

 

 僕たちは大いに絶句した。あまりに小学生を舐めている。いくら純真無垢な子どもとはいえ、突拍子もなくそんなことを言われて納得できるはずがない。

 

「信じられるか、そんな話」
「そうだそうだ、論より証拠だ!」

「どこでそんな言葉覚えたんだ、坊主?」

 

 まあいいや、とおっさんは口をつぐむ。

 証拠を求められるのは想定内だったらしい。膝を打ったかと思えばおもむろに立ちあがり、辺りの木材を手に取った。そして、僕の持っていた工具を奪い取ると、あっという間に小柄なテーブルを作りあげたのだ。簡素なものだが、今思い返しても即席にしては間違いなく上等だったろう。
 僕たちは、諸手を挙げておっさんを称賛した。

 

「すげえ!」

「こんな簡単に作っちゃうのかよ!」

 

 論より証拠。それが証明されれば、話は早い。僕たちはおっさんに物作りのノウハウを求めた。おっさんは、いくつかの条件と引き換えにレクチャーすることを約束してくれた。この頃には、みんな、おっさんのことを『マスター』と呼ぶようにまでなっていた。とんでもない手のひら返しである。
 レクチャーに当たり、マスターは次の三つを課した。

 対価、いわゆる条件である。

 

「一つ、オレをこの秘密基地に匿うこと」

 

 多くは望まない。マスターにとってかかれば、いかなる秘密基地でも雨風さえしのげれば問題はないのだそう。
 つまるところ、寝床を用意しろというわけだ。

 

「二つ、食べ物を持ってくること」

 

 衣食住という言葉があるように、食はやはり欠かせないもの。ある程度の食糧なら山から採取できる気もするが、まあ、レクチャー料だと思えば安いものだろう。
 この流れで行けば、最後には「衣」が来るだろうと踏んでいたが、違った。

 

「三つ、オレのことは決して大人たちには話さないこと」

 

 詳しく訊いてみると、世知辛い世の中ゆえ、大人に知られてしまうと色々と厄介なのだそう。もっとも、これに関しては言われるまでもなかったが。
 不満を抱く者は誰一人いなかった。それは単純に対価が軽いというだけでなく、何より見返りが大きかったのだ。

 

 マスターのレクチャーはテーブルに始まり、ターザンロープやハンモック、挙句の果てには丸太のブランコまで作りあげてしまった。
 殺風景だった秘密基地は、次第に鮮やかになっていく。少しずつだが、秘密基地を訪れる友人も増えていった。
 僕たちの秘密基地とマスターの噂は、クラスを超え、学年を超え、誰もがその名を知る有名人になっていった。

 

 小学生の夢が詰まった秘密の楽園。
 そして、その楽園を作りあげた中年のおっさん。秘密基地の賑わいは一日一日、確実に増していった。もはや秘密と呼べる代物でないことは明白だが、それでも僕たちは楽しかったし、忘れられない最高の時間だった。しかし、マスターの横顔はそれに反してどこか辛そうに見えた。子どもというのは案外そういったものに敏感だ。恐らく、誰しも違和感は抱いていただろう。そんな、虫の知らせにも似た微かな予兆。

 

 ある日を境に、マスターは忽然と姿を消した。

 もちろん僕たちは慌てたが、それも最初の二、三日だけだった。気づいたのだ。マスターが姿を消した、その理由が。 
 ――僕たちに教えるべきことは、すべて言い終えた。
 だから、マスターはまた旅に出たのだ。

 

 

 

「次のニュースです。象牙刑務所から脱走したとして捜索が続いていた××受刑者でしたが、先日、逮捕されました」

 

 あれから一週間が経った。

 テレビの画面には、中年顔のおっさんが映っている。もちろんただのおっさんではない。僕たちの、よく知る人物だ。

 

 マスターは旅人ではなく、脱獄犯だった。
 刑務所から脱獄した彼は、潜伏場所として例の里山……秘密基地を選んだ。そして、僕たちに秘密基地マスターと自称、さすらいの旅人を演じていたのだ。

 

「いいか、坊主共。オレのレクチャーを受けたからって満足しちゃダメだぞ。一番大事なのは創造性、つまるところ、オリジナリティだ。オレをびっくりさせるようなものを作りあげて初めて一人前だ。忘れるなよ」

 

 それは、記憶上マスターが最後に残した言葉。
 たとえ欺かれていたのだとしても、彼の存在を僕たちは否定しない。彼が秘密基地マスターであったことは、紛れもない事実なのだから。


 僕はラーメンを平らげ、熱気のこもった店を出る。

 

「行くか」

 

 あの地へ。

 

 

 

 小学生時代のことを思い出した、次の休日。僕は一人裏山の秘密基地に足を運んでいた。インテリアや遊具はほとんど無くなっていたが、大まかな地形や感じられる雰囲気は、あの頃からちっとも変わっていなかった。

 

「……十五年ぶりくらいかな」

 

 懐かしさに浸りつつも、僕の頭の中は別のことを考えていた。創造性とは何か。オリジナリティとは何か。マスターが僕たちに課した、最後の問題だ。その答えを、僕はまだ見つけ出せていなかった。
 別に、答えを知りたくてやって来たわけじゃない。ただ、ヒントが欲しかったのだ。またここに来れば、何か得られるものがある。閃きが生まれる。そんな気がしたのだ。

 

 滴り落ちる汗を拭い、僕は里山の奥地を目指す。
 たどり着いた先は、かつて僕たちが作った藁の寝床。
 そこでは、中年のおっさんが豪快な寝息を立てていた。