アシツキ幽霊のサヤ先輩

 

 「ぎゃああああああああああああ」

 

薄暗い部屋の中から放たれる一筋の光から、絶叫が木霊する。そして、画面は暗転に包まれ“END”の文字が現れると同時に、スタッフロールが流れ始めた。

その連なる人名を眺めながら、俺はこの映画に一体何人の関係者が関わっているのかと、ふと疑問に思ってしまった。百人、二百人、それ以上だろうか。そのうちの誰かひとりでも、この映画の脚本に異議を唱える者はいなかったのかと、勘繰ってしまう。

まあ要するに、酷い映画だった。うん、間違いない。

 

「……おう。どうだったこの映画」

 

隣で一緒に鑑賞していた“先輩”が声を掛けてくる。

 

「……いや、正直くっそつまんなかったすけど」

 

正直に、俺は思った通りの感想を述べることにした。

 

「まあ……面白くはなかったな」

 

先輩はリモコンを操作しながら、そのまま映画のレビューを確認する。

その評価は──五段階中、星一つ半だった。当然と言えば当然だろう。それでも高すぎるくらいだ。俺なら最低評価の星一つを付けている。

 

「ほらやっぱり。ねぇ先輩。いい加減、映画を見る前はちゃんと評価も確認した方がいいっすよ。時間の無駄ですって」

 

「馬鹿野郎、そんなの見たら、先入観で正当な評価ができなくなるだろうが。私は私の評価しか信じないんだよ」

 

「じゃあひとりで見てくださいよ……俺まで懲役二時間に付き合う必要ないじゃないっすか」

 

「なんで私ひとりだけでクソ映画見なきゃいけないんだよ! どうせ時間なんてめちゃくちゃ余ってるんだから、お前も道連れじゃ!」

 

「ひ、ひどい……」

 

日課の一日一本ホラー映画鑑賞会が終わり、先輩は傍にあるゲーミングパソコンを起動して、愛用のゲームで遊び始めていた。

先輩との生活を続けて半年近くが経過したが、ようやくこの鑑賞会の目的がはっきりした。

彼女はただ単に、自分だけが時間を損するということが何となく気に入らないだけだ。それだけのために、俺を巻き込んで鑑賞会なんて開いている。

好きでもないホラー映画を毎日一本見せられるというのは中々苦痛だ。いや、それでも内容が面白ければいいんだが──問題はその大半がレビューサイトでも精々星一つか二つのいわゆる“Z級”という種類に属される映画だということだろう。

低予算。過剰な演出。チープな演技。そして、なぜかゴア描写だけは力を入れて、無駄にグロい。

 

ファンにはたまらない映画群なんだろうが、一般的な感性を持つ俺からしたらキツいったらありゃしない。本当に、なんでグロだけは無駄に力入れてるんだ。んなことに労力割く暇があったら脚本をどうにかしろ。殺すぞ。

と、何度も心の中で愚痴ってはいるのだが、いい暇潰しになっているのは確かだ。先輩の言う通り、俺たちには時間が有り余っている。なぜなら──

 

「……幽霊、なんだもんなぁ」

 

半透明になっている自身の腕を眺め、俺は呟いてしまった。

 

 

俺、堂山太陽(ライト)はどこにでもいる普通の青年だった。いや、普通というには少し“ヤンチャ”な見た目をしているが、根は真面目だと思う。自分で言うのもなんだけど。

いつからこのような外見になってしまったのか。その発端を考えてみると、やはり両親の存在が大きいと思う。我ながら、どうしようもない親だった。父はギャンブル中毒者でほとんど家に帰ってくることはなく、母は水商売をしており、小学生の頃には半分育児放棄をしている状態だった。中学を卒業する頃には家を出て、それ以来、両親とは会っていない。

ちなみに、ライトという名前は当時流行していた漫画の主人公が元になっている。その主人公は世紀の大量殺人者なわけだが、まあそんなやつの名前を自分の子どもに付けるような親だった。

そのような家庭環境で育ってしまえば、道を踏み外してしまうのも当然だろう。気が付けば、俺の交流関係は不良、ヤンキー、反グレ、反社会的団体といった者たちしかいなかった。

まあその中でも、俺は最底辺のパシリだったんだが。喧嘩なんてしたこともないし、人を殴ったことは一度もない。今考えると、そのような性格ではパシリの太鼓持ちになるのも必然だ。

そんな俺が死んだのは──今から半年前。世間がクリスマスシーズンでにぎわっている頃の話だ。

なんてことはない。よくある話だ。馬鹿な若者が、バイクの走行中に不注意により、事故死。日本全国で年に何度も耳にするニュースだろう。まさか、自分がその当事者になるとは思わなかったが、どうせクソみたいな人生だったし、運命だと思って受け入れるしかない。だが、奇妙なことに、俺の人生はそこでは終わらなかった。

 

事故により意識を失い、目が覚めた俺の視界に最初に入ったのが──血だらけで倒れている自身の体だった。

最初は事故った相手だと思い、血の気が引いたのだが、それにしてはどうも様子がおかしい。見慣れた服装、またもや見慣れた大破したバイク。不審に思い、ヘルメットを外してみると、そこには毎日鏡で見慣れている顔があった。

馬鹿な俺でも、その時にやっと理解した。俺は死んでしまったのだと。というか、よく見たら体が半透明になってるし、脚が消えていたから、もっと早く気付けという話ではあったが。

最初は死んでしまったことに対して多少の葛藤はあったのだが、その後は一週間ほど、幽霊生活を楽しんでいた。人間の環境適応能力というのは恐ろしい。いや、もう人間でもなくっているが。

幽霊として過ごすうちに、分かったことは二つあった。どうやら、俺の姿は誰にも見えないこと。そして、活動可能範囲に限界があるということだ。この範囲の問題は後々、俺が幽霊の中でも地縛霊という種類に属していることが原因だということが発覚した。要は幽霊になったものの、どこにでも移動できるというわけではない。この街から外に出ることはできなかった。

ぶっちゃけると、割とすぐに幽霊生活には飽きが来た。そりゃそうだ。誰からも存在を悟られないということは一生孤独で過ごさなきゃいけないってことになる。一日、二日ならともかく、それが永久に続くかと考えた時は──ちょっと気が狂いそうになってしまった。そこで、俺は名案を思い付いた。

仲間だ。まずは仲間を探せばいい。こんな俺でも幽霊になったのなら、他の幽霊も存在するはずだと。つまり、幽霊の集まる場所に行けば、同族と出会うことができるのではないかと考えたのだ。我ながら、頭が冴えていたと思う。

 

そして、その場所には一つだけ心当たりがあった。それがここ「十条病院」だ。

この病院は地元民なら一度は聞いたことがある心霊スポットだ。何でも、戦前から続く歴史がある病院だったらしいのだが、医療ミスが発覚し、あえなく廃業。その後はなぜか建物が取り壊されることがなく、廃墟として残り続け、心霊スポットとして名を馳せることになった。

ここなら必ず仲間の幽霊がいるはず。俺の直感は──正しかった。

 

「こ、こいつ! 屈伸しやがった! 煽りやがって。絶対ぶっ殺してやる‼」

 

「…………」

 

それが今、絶賛非対称対戦ゲームをブチギレながらプレイしている“サヤ先輩”だ。名字は知らない。

見た目は小学校低学年ほどの女の子。でも、幽霊歴は十五年以上の大ベテラン。霊の外見は死亡時の姿が反映されるらしく、最初は年下だと思っていたから、この事実を知った時はかなり驚いた。俺がこの廃病院で出会ったのは──彼女だった。

何でも、サヤ先輩は家族と一緒に交通事故で亡くなったとか。でも、幽霊になったのは先輩だけだった。両親はそのまま死んでしまったようで、しばらくの間は一人で孤独に幽霊として生活をしていたようだ。

だが、偶然訪れたこの廃病院で、老人の幽霊と出会うことができた。それからは親代わりとして、その老人の霊に育てられたようで、彼が成仏してからはここで独り暮らしをするようになったらしい。今でも彼のことはとても尊敬しているんだとか。

と、ここまでは結構いい話に聞こえるんだが、問題はサヤ先輩の性格だろう。

 

「っしゃあ! 処刑完了! ざまあみろ! 死ね!」

 

「…………」

 

説明するまでもないが、サヤ先輩はとてもまともな性格、趣味とは言えない。

いや、実際に面倒見はかなりいい方だと思うんだが、何か妙なところで歪んでいる。年齢は俺より上のはずなのに、容姿のせいかずっと幼く見えてしまう。

俺が言うのもなんだが、彼女の方が俺よりよっぽどヤンキー気質な性格をしている。だって、先輩って呼ばないと普通に殴ってくるし、敬語も使わないと蹴ってくるし、先程のように毎日強制的にホラー映画を見せられている。

まあそんなことで、この廃病院でサヤ先輩と出会った俺はこうして奇妙な共同生活を送るようになってしまった。ネットがない数十年前ならともかく、現代社会では幽霊でも楽しめる娯楽は山のようにあるし、何だかんだ言って退屈はしていない。第二の人生としてこの幽霊としての暮らしも悪くはないと思っている。

 

「で、ライト。お前は何見てんの」

 

「昨日録画したドラマっすけど」

 

ゲームを終えたサヤ先輩は図々しく隣に座って来た。

 

「これ、結構一話から話題になってる恋愛ドラマで面白いっすよ。先輩も見てみたらどうっすか」

 

「へぇ。で、それってゾンビとかサメとかクリーチャー出てくる?」

 

「……いや、出てこないっすけど」

 

「じゃあ、血とか臓物とか出てくる?」

 

「……出るわけないじゃないっすか」

 

「つまんね。じゃあいいや」

 

「…………」

 

先輩が映画やドラマを見る基準はこの二つ。

怪物が出てくるか、流血シーンがあるか、だ。本当に趣味が悪いとしか言えない。

 

「はぁ~何か退屈だなぁ。面白いこと起きないかなぁ」

 

スマホを手に持ちながら、先輩は呟く。

 

「最近は何か暇っすね。“客”も来ないですし」

 

「そう、それだよ。もう夏も近いってのに、ここ数週間誰も来やしない。どうなってんだか」

 

「言われてみると、もう六月ですもんねぇ。夏になると、やっぱり結構増えるんすか?」

 

「あぁ、そういえばライトは夏を経験したことはなかったな。ここの夏はすごいぞ……多い時は毎日客が来る」

 

「そ、それは……楽しみっすね」

 

ピー

 

そのような雑談をしていると、甲高い機械音が部屋に鳴り響いた。

ナイスタイミングだな。まさか、こんな時に客が来るとは。

 

「うおっ!? もしかして、誰か来た!?」

 

「どうやら、そうみたいっすね。ほら、カメラにカップルが映ってますよ」

 

壁のモニターには若い男女が映されていた。

大方、夏が近いということもあり、肝試しにやってきたカップルだろう。ありがちなパターンだ。

 

「フハハハハ! やっぱり夏は最高だな! アホな若者共が刺激を求めて不法侵入してくる季節だ! 飛んで火に入る夏の虫とはこのことだわ! さぁ、恐怖のどん底に陥れてやるぞ!」

 

「テンション高いっすね」

 

そう、俺たちはただ廃病院でニート生活を満喫しているわけじゃない。

有名な心霊スポットということは──それだけ大勢の人間が肝試しの場として訪れるということ。そんなやつらをもてなすのが幽霊の仕事ってわけだ。

この廃病院には百以上のカメラが仕掛けられていて、全ての映像をここの地下室から監視することができる。しかも、それに加えて、様々な仕掛けが至る所に施されているという忍者屋敷顔負けの場所と化していた。

いや、本当にどんだけ暇なんだよ。並大抵の時間じゃこんな設備整わないぞ。と、思う部分もあるのだが、本音を言うと──人間が驚き、恐れおののくさまを高みの見物で眺めるというのは結構楽しい。俺も、この余興に関しては積極的に参加していた。

 

「さあて! 久しぶりの客だからな! 思う存分もてなしてやるか!」

 

「先輩。何かあいつら、入口のところで立ち止まってるっすよ」

 

「え? なんで?」

 

「さぁ。ちょっと音上げてみますね」

 

まさか、カメラの位置に気付いた──ってのはないだろうが、どうも様子がおかしい。

マイクの音量を上げ、カップルの声が聴こえるように調整する。

 

『ねぇ、ちょっと変じゃない?』

 

『確かに、変だな』

 

はっきりと聴こえた。

何かを相談しているようだ。

 

『なんでここ、廃墟なのにWi―Fiが入るの?』

 

あ、やべえ。

 

「おいライトオオオオオオオオオオオオ‼」

 

「うおおおおおおおおおおお‼」

 

先輩が叫ぶのと同時に、俺はルーターのコンセントを強引に引き抜く。

 

『あれ、切れた。なんだったんだろ』

 

『やっぱバグだろ。こんなところにWi―Fiが通じてるわけないし、さっさと入ろうぜ』

 

あ、危なかった。

もう少しで、台無しになるところだった。

 

「だーかーらぁ! 客が来たらルーター引っこ抜けって言っただろ! バレるところだったじゃん!」

 

「も、申し訳ないっす……」

 

「ったく、まあ忘れた私にも落ち度はあるけど、そういうところだぞ。気を引き締めておけよ」

 

「う、うす」

 

元はと言えばパスワードを設定していないサヤ先輩が悪いんじゃねえかな。とはさすがに言えない。こればかりは俺のミスだ。そこは認めよう。すんません。

 

「よしよし、順調に進んでるな。今は一階の診療室か」

 

トラブルはあったが、見事にカップルは病院へと足を踏み入れていた。

 ここまで来たらこっちのもんだ。後は煮るなり、焼くなり、好きにできる。

 

「んじゃ、ここら辺で最初の仕掛け行っとくか。もしもしー? “オーブちゃん”?」

 

サヤ先輩は誰かに電話をかけるような素振りを取る。傍から見ると、おかしな光景だが、これにはちゃんとした理由がある。

この廃病院で暮らしている幽霊は俺とサヤ先輩だけじゃない。もうひとり──って言っていいのかな。とにかく、第三の存在がいる。それが「オーブ」だ。

名前ぐらいは誰でも聞いたことがあると思う。そう、心霊写真で御用達のオーブだ。俺も初めて知った時は驚いたんだが、あの埃の塊みたいなやつらは本当に実在するらしい。

だが、このオーブってやつらはサヤ先輩が言うには幽霊とはまた別の存在みたいだ。分かりやすく言うなら、魂ではなく、残留思念とでも呼べばいいんだろうか。あいつらに個々の意志はない。ただゆらゆらと、無数に宙を舞っているだけで、特に危害を加えるような真似はしない。

ただ、それはオーブ単体の話だ。そこにサヤ先輩が入ってくれば、また話は変わってくる。

 

「オーブちゃん、そこでちょっと棚でも揺らしてくれる? うん、軽くでいいからよろしくねー」

 

「本当に、念波って便利っすね。オーブとも会話できるんすから」

 

「まあねぇ。これも“アシツキ”の特権ってやつかな?」

 

悠々自適に、サヤ先輩は自身の脚を見せびらかしてくる。そう、先輩には普通の幽霊にはない脚がある。これは特別な意味を持っていた。

どうやら、霊の中でも、特に力が強い個体には脚があるらしい。これは「アシツキ」と呼称されていて、中々レアな存在なんだとか。一応、俺が彼女に大人しく従っている理由も、そういうことだ。

その力の一端を何度か目にしているが──まあ化け物としか言いようがない。神通力に空間操作、テレポートから分身まで何でもござれのオンパレードだ。この余興はそんなサヤ先輩のチート能力を存分に使って、人間どもをビビらせるためにあると言っても過言じゃない。

 

「……やっぱ、性格悪いよなぁ」

 

「ん? 何か言った?」

 

「い、いえ、何も」

 

おっと、危ない。本音が漏れてしまった。

 

「ほら、見てろ。オーブちゃんが動かすぞ」

 

先輩はモニターを指差す。

ちょうど、オーブが戸棚に待機している場面が映っていた。

 

ガタッ

 

『ひぃっ!? な、なにっ!?』

 

『落ち着けって。ほら、棚から何かファイルが落ちただけだって』

 

『な、なんで落ちたの? だって、窓も開いてないし、急にそんなのが落ちるっておかしくない?』

 

『……え。ぐ、偶然だろ』

 

女の方は中々鋭いな。その通りだ。

逆に男の方は駄目だこいつ。ホラー映画なら真っ先に死ぬタイプだな。

 

「フフフ……いいねぇ。中々雰囲気出てるんじゃないの」

 

「次はファイルを開くかどうかっすね。ここでルートが分岐する感じっすか」

 

「そう。開けばCルート。開かなかったらDルートだね」

 

この病院での行動はすべてサヤ先輩に操られている。

どんな行動を取ろうとも、それはこちらの掌の上。定められた末路を辿ることが決定されていた。

 

「ライトはどっちに賭ける?」

 

「んじゃ、Dで」

 

「そう。私はCだな」

 

「へぇ、先輩は開く方に賭けるんすか? あの女の方は勘が鋭いから、開けないと思うんすけど」

 

「ばーか。結局は好奇心には抗えないんだよ。見てろ。絶対に開けるから」

 

俺とサヤ先輩はモニターに釘付けになる。

さぁ、開けるか、開けないか──どっちだ。

 

 

『……なんだ。これ』

 

『どうしたの?』

 

『ほら、この落ちたファイルみたいなの。こんなラベルが貼ってある』

 

『新生児実験記録……な、なにこれっ!?』

 

『あ、開けてみるか』

 

『や、やめておいた方がいいって!』

 

 

女はファイルを開けようとする男を制止しようとする。

よし、やっぱり止める。賭けは俺の勝ち──と、勝利を確信したのだが、女の様子に一瞬、違和感を覚える。

こ、こいつ。本気で止めようとしてない。これは“振り”だ。あくまで止めようとしている仕草を取っているだけ。本音はこいつもファイルの中身が気になっている。

 

パラッ

 

そして、ファイルは開かれてしまった。

あぁ、クソッ。Cルート確定だ。賭けは俺の負けだ。

 

「ほら言っただろ! 開くって!」

 

「はぁ……また俺の負けっすか」

 

「じゃ、病院内の清掃よろしくぅ!」

 

「はいはい……終わったらやりますよ……」

 

これで俺の十連敗中。

やっぱり、経験値が圧倒的に足りないのが敗因だろう。伊達に十五年近く、サヤ先輩はこの病院に暮らしていないってことか。こんな場所に来る人間の心理を知り尽くしている。

 

 パラッ

 

『うわっ!?』

 

『ひ、ひぃっ!? な、なにこれ!?』

 

 

ファイルを開いたカップルは絶句していた。

そりゃそうだ。あの中身は新生児の解剖写真のカルテ。もちろん、サヤ先輩が作った偽物だが、クオリティは俺が保証する。一般人には絶対に見破れない。俺は幽霊だから平気だったが、生身の人間があんなの見たらまず吐くだろうと自信を持って言えた。

だが、これはあくまで下準備。本番はこれからだ。

 

 

「よし! オーブちゃん! ここで仕掛けて!」

 

頃合いを見計らい、サヤ先輩は廊下で待機しているオーブに指示を出した。

 

 

パタパタッ

 

『な、なにっ!?』

 

キャッキャッ

 

『こ、子どもの……声……?』

 

 

廊下を何者かが走り去る音と同時に、子どもが笑う声が診療室内に響いた。

勿論、本物を使っているわけじゃない。これはあくまでオーブの音響効果による賜物だ。本当に便利だな、オーブって。

しかし、これはマジで怖いだろうな。あんなファイルを見た後に、今度は子どもの幽霊と来たもんだ。同情するぜ。

 

 

『う、うわあああああああああああっ』

 

『タ、タカシッ⁉ ま、待って!』

 

 

おいおい、マジか。

彼氏のやつ、彼女を放って逃げやがったぞ。

 

「うわぁ、あれはないわぁ」

 

さすがのサヤ先輩もその行動には引いていた。

元はと言えばあんたが仕掛けたことでしょうが。

 

「どうするんすか先輩。男の方は先に逃げちゃいましたよ」

 

「うーん。できれば一緒に仕留めたかったけど、仕方ない。先に彼氏の方をやるか。女は腰抜けてその場から動けないみたいだし」

 

カメラにはその場で腰を抜かし、男の名を叫んでいる女の様子が映っていた。これはひどい。

 

「一番のカメラに切り替えて。どうせそこしか逃げ場所ないし」

 

「うっす」

 

モニターを操作して、カメラを一番に切り替える。

先輩の予想通り、そこには必死にドアを叩いている男の姿があった。

 

『ク、クソッ! なんで開かねえんだよ!』

 

そりゃそうだろ。そう簡単に逃がすわけがない。

今、病院の出入り口はサヤ先輩の力で完全に封鎖されている。正面玄関だけじゃなく、窓から非常口に至るまで、すべての出入り口が封鎖されていた。叩き壊そうとしても、防弾ガラス並に補強されているから無駄だ。

後は仕上げだけ。館内放送のスイッチを入れて、準備をする、

 

「先輩、いつでもいいっすよ」

 

「ご苦労。コホン、では失礼して……」

 

サヤ先輩はわざとらしく咳払いをした後、マイクに向けて、呟き始めた。

 

 

『ね、ね、ね、ね』

 

『な、なんだっ⁉』

 

一定間隔で「ね」という単語が病院内に響き渡る。

うーむ、不気味と言ったら不気味なんだが、果たしてこの意図にあの男は気付くだろうか。

 

『ね、ね、ね、ね』

 

『クソッ! 開けって! このっ!』

 

『ね、ね、ね、ね』

 

『そ、そうだ! 何か、椅子を使ってぶっ壊せば……!』

 

あぁ、ダメだこれ。気付く気配がない。

 

「……ちっ」

 

サヤ先輩も察したのか、マイクの音声を切ってしまった。

 

「やっぱこの作戦、見直した方がいいっすよ。“ね”が四つで“死ね”は回りくどすぎますって」

 

「結構自信あったんだけどなぁ。馬鹿相手だと、仕掛ける方も苦労するよ、ほんと」

 

「んで、どうするんすか。あいつ」

 

「もうめんどくさいし、私が直接襲ってくるわ」

 

そう言うと、サヤ先輩は天井をすり抜けて行った。

カメラにはパイプ椅子を全力でドアにぶつけている男の姿が映っている。あーあ、勝手に備品使いやがって。あの人キレるぞ。

と、そんなことを思っている間に、カメラの端に先輩が現れた。

 

『うっ⁉ あ、あぁっ……』

 

男も背後の視線に気付いたのか、顔を真っ青に染めて、その場で腰を抜かしてしまった。

ゆっくりと、サヤ先輩は男に近付く。そして、目の前にまで距離を詰めた瞬間──男は気絶してしまった。呆気ないが、まあ大体はこんなオチだ。間近で幽霊を見たら、誰でも正気を保てなくなる。

 

「うぃーっす。終わったわ」

 

「お疲れ様っす」

 

「で、女の方は?」

 

「あぁ、それなら……」

 

カメラを切り替えて、一階の女子トイレ内を映す。

ちょうど三番目の個室内で、女は震えながら耳を塞いでいた。

 

「え? トイレに逃げたの? そりゃ悪手だろ……逃げ場ないじゃん。しかも、ご丁寧に三番目の個室だし。トイレの花子さんじゃないんだから」

 

「この状態だと冷静な判断はできないんじゃないっすかね」

 

「まあ、入っちまったもんは仕方ないか。境遇には同情しちゃうけど、手加減をしないのがプロだからねぇ」

 

そう言うと、サヤ先輩は再び壁をすり抜けて、トイレの方向へと向かって行った。

廃病院で子どもの声を聴き、男に置き去りにされ、トイレに隠れる。こうして見ると、この女もとてつもない不幸な目に遭っているのだが──そもそもの話、いくら心霊スポットと言っても、無断で入るのは立派な犯罪行為だ。悪いのはそっちの方なんだぜ。多少の同情はするが、それだけだ。向こうから入って来た以上、襲われても仕方ないと俺は思う。

おっと、そうこうしているうちに、移動が終わったようだ。

 

コンコンッ

 

ガチャ

 

コンコンッ

 

ガチャ 

 

サヤ先輩はトイレのドアを手前からノックを鳴らし、中に人が入っていないか確認する。

しかし、これまたベタな演出だ。あんまりホラーを知らない俺でさえ、十回は見た覚えがある。最初にこの演出を考えたの誰なんだろ、天才かよ。

そして、先輩は三番目の個室の前に立つ。女の方は──口元を掌で覆いながら、息を殺していた。

 

コンコンッ

 

スタスタ

 

『……ッ⁉』

 

はい、これもテンプレだ。

一度去ったと思ったら、上から覗かれている。この緩急の付け方が見事だ。上げて落とす、って言うんだろうか。

ホラー映画でもよく見るけど、一度安心させるってのが肝だよなぁ。お約束ではあるんだが、理解していても怖い。うーむ、さすがという他ない。

 

バタッ

 

あ、気絶した。

カメラに向けて、サヤ先輩は勝利のVサインを送っている。これで仕事は終わりだ。今日の結果は──まあ六十点ってところか。高くもないが、低くもない。まさに平均点だ。さて、俺も合流するか。壁をすり抜けて、正面玄関へと向かった。

 

 

「お疲れ様っす」

 

「うぃーっす」

 

サヤ先輩は抱きかかえている女を降ろし、間抜け顔で気絶している男の隣へと並べた。

 

「さあ、今日の戦利品タイムだ! いくら入ってるかな~」

 

にやにやと、下衆な笑いを浮かべながら、先輩はカップルの懐を弄る。

そして、二人の財布を取り出し、中に入っている札を数え始めた。

 

「ひーふーみ……よしよし、男の方は全額貰っておくか。女は……電車賃として三千円は残してやるか。同情料だ」

 

「…………」

 

言うまでもないが、目の前で行われている行為は窃盗だ。

なぜ、こんなことをしているのか。そもそも幽霊に金なんて必要ねえだろ、と言いたいことはごもっともだが、この行為にも一応の理由はある。

 

サヤ先輩の言い分だと、この金はあくまで迷惑料として徴収しているらしい。このご時世、どんな娯楽にも料金が発生してしまうのは事実だ。インターネットの回線や携帯の通信料。映画のサブスクに電子書籍、暇潰しの手段は豊富になったが、どれも無料というわけにはいかない。そこで、先輩はここに来る人間から、その代金を賄うことにしたらしい。

手段を選ばなければ、いくらでも金は用意できるだろうに──わざわざそんな大義名分がないと、盗みができないところがいかにも小者っていうか、先輩っぽいと思う。本人の前ではとても言えないけど。

 

「よし、あとは記憶を消すだけだな」

 

そう言うと、先輩は二人の額に触れる。

これもアシツキ幽霊の特権だ。記憶を消去することで、廃病院に本物の霊が出現したということすら忘れてしまう。これにより、俺たちが暮らす十条病院はあくまでも心霊スポットとしての立場を維持していた。

本当に、何でもありだよなぁ。

 

「ほいっと、終わり。あとは適当な場所に飛ばしておくか」

 

刹那、カップルはその場から姿を消してしまった。

これで元通り。今夜の出来事をしっているのは俺たちだけ。あのふたりは何も思い出すことはなく、日常へと戻る──でも、今回のことを考えると、長続きはしないだろうな。南無三。

 

「んじゃ、客も帰ったことだし……記念にまたホラー映画見るか!」

 

「えぇっ!? 今日はもう見たじゃないっすか!」

 

「うるせぇ! 気分がいいから、もう一本見るんだよ! お前も付き合え!」

 

「そ、そんなぁ……」

 

ということで、俺は再び先輩の鑑賞会に付き合わされることになってしまった。

せめて、多少は面白くありますように。俺の心中にある願いは──ただそれだけだ。

 

 

「…………」

 

本日、二本目の鑑賞会が終了した。

画面が暗転し、スタッフロールが流れ始める。

 

「……何か、ちょっと面白かったっすね」

 

「……う、うん。あれ、おかしいな……絶対、地雷だと思ったのに」

 

「って、なに地雷見せようとしてるんすか」

 

意外な結果に、俺も先輩も困惑していた。

明らかに地雷っぽいタイトルだったのは間違いない。チェーンソーを振り下ろしている日本人形というツッコミどころ満載の表紙なのに──何というか、ものすごく丁寧に作られている作品だった。作り手の拘りがこちらにも伝わってくる。

人に勧められるかどうかと言われると、ちょっと解答には悩んでしまうが、俺は好きな映画だと思う。おかしいな。あんまりひどい出来の映画を見過ぎて、感覚がマヒしてしまったのかもしれない。

 

「レビューは……おぉ、星三個半。当たりじゃん」

 

「マジでそんな高いんすか⁉ い、いや……納得はしますけど」

 

驚いた。ホラー映画でその点数は中々見ない。

やっぱり、見る人が見れば面白い出来なんだな。自分の感性が狂っていないことに、少しほっとしてしまった。

 

「いやぁ、久しぶりの当たりだったなぁ。これがあるから、発掘はやめられないんだよねぇ」

 

 

「まあ……そうっすね。気持ちは分かるっす」

 

何となくではあるのだが、サヤ先輩がホラー映画を見続けている理由が分かった気がする。

確かに、この当たりを引いた時の達成感、満足感は中々のものだ。例えるなら、財宝を発掘する探検家の気分とでも言えばいいのだろうか。期待値が低ければ低いほど、衝撃は倍増する。

いや、それでもハズレの確率が高すぎるわ。半年続けて、片手で数えるほどしか当たりなかったぞこれ。

あ、危ない危ない。危うく、俺も先輩みたいに恐怖ホラー中毒者マニアになるところだった。

 

「……ふと気になったんすけど」

 

「ん? なに?」

 

「先輩の一番好きな映画って何なんすか。やっぱ、ホラーなんすか?」

 

「え、急になに」

 

「いや、そういえば聞いたことなかったなって」

 

よくよく考えてみると、サヤ先輩が一番好きな映画のタイトルを俺は知らない。

十中八九、ホラーというのは想像がつくのだが、一体どんな作品なんだろうか。

 

「え~……一番好きな映画って言われてもなぁ」

 

サヤ先輩は腕を組み、苦い顔をしながら、数十秒間考えていた。

そんな難しいこと言ったか。俺。

 

「う~ん……まあ、あるにはあるけどさぁ……あんま、教えたくないかな」

 

「えぇ? な、なんでっすか」

 

意外な返答に、俺は困惑しながら聞き返す。

 

「これってある程度色々な作品を見てる人なら分かるんだけどさぁ、自分が一番好きな作品って、結局それが一番面白いってわけじゃないんだよね」

 

「どういうことっすか?」

 

「面白さとは別に、共感するっていうのかな。まあとにかく、作者や監督と波長が合った作品が、一番好きな作品になるんだよ」

 

「波長……」

 

「うん。何気ない描写でも面白く感じちゃう。まるで、人生の一ページを切り取ったみたいに、作品自体が自分の生き様と同化してる。だから、他人から見たら、そこまで面白くないかもしれないんだよ」

 

何となく分かるような、分からないような。

うーん、俺が映画見るようになったのはここ半年だしなぁ。いまいちしっくりこない。

 

「好きな映画だからこそ、欠点も分かるっていうか。一般受けは絶対しないし、どちらかと言うと、めちゃくちゃ悪趣味だし……どうせ、他人には絶対合わないから、教えたくないってやつ」

 

サヤ先輩が悪趣味なのは今に始まったことじゃないと思うんだが、そういうものなのか。

まあ確かに、俺と先輩の嗜好はだいぶ違う。以前、お勧めの映画を見せられたことがあったのだが──案の定と言うべきか、あまり面白いとは思えなかった。そのことを正直に伝えたら、何か機嫌が悪かったことを覚えている。もしかして、あの時のことをまだ引きずっているのだろうか。

ちょっと、悪いことしちゃったかもと、俺は若干後悔していた。

 

ピー

 

そんなことを考えていた時、侵入者を知らせる警報が地下室に響いた。

 

「え? マジで?」

 

「ちょっ……今日二組目⁉ おいライト! 早くカメラ付けて!」

 

「う、うっす!」

 

まさかの一晩で二度目の来訪者に、俺とサヤ先輩も動揺していた。それだけ滅多にない出来事だ。

外のカメラに切り替えて、顔を確認する。そこにいたのは──

 

『ウェーイ! おいおい、本当にここ出んのかよ!?』

 

『ギャハハ! マジマジ、めっちゃ噂になってるし!』

 

髪を金髪に染め、派手な恰好をした、まさに“ヤンキー”風の恰好をしたやつらだった。

それも、結構数が多い。全員で七人だろうか。おいおい、そんな大勢で心霊スポットに来るんじゃねえ。こちとら定員は三人までって決まってるんだよ。怖がる気あんのか。

 

「うわぁ」

 

「……こっち見るの、やめてもらっていいっすか」

 

隣の視線が痛い。

これが共感性羞恥心ってやつか。こっちまで恥ずかしくなってきた。

 

「いや別に、私そういう偏見ないからいいけどさぁ……でも、あれはダメでしょ」

 

サヤ先輩は画面を指差す。

そこには早速、あいつらが残したと思わしきゴミが散乱していた。ポイ捨てグランプリ世界記録を狙えるほどの早業だ。クソ、誰が掃除すると思ってやがる。

 

「百歩譲って、騒ぐのは別にいいけどさぁ……ゴミを捨てるのはダメだよね。うん」

 

「……おっしゃる通りです」

 

「そういうちょっとした意識が、環境汚染に繋がってると思うんだよ。子孫のためにも、他の種族のためにも、地球は綺麗に利用しなきゃ」

 

「……すんません」

 

ちょっと待て。なんで俺がお説教されてる形になってるんだよ。絶対おかしいだろ。

 

……ん?」

 

その時、ふと、ヤンキー集団の中に見覚えがある顔を発見した。

おいおい、マジか。あいつは──“クロキ”だ。

 

「どしたの」

 

「な、何でもないっす」

 

あ、危ねえ。

知り合いがいるってことがサヤ先輩にバレたら、また弄られる。ここは他人の振りだ。

 

「まあいいや。相手がアレなら、こっちも加減する必要はないし……今回はJルートで行くか」

 

「えっ!? “J”っすか!?」

 

マジか。まさか、またをお目にかかれるとは思わなかった。

Jルート──それは数ある選択肢の中でも、最も恐ろしく、血生臭いものだ。あいつらには同情する。記憶を消しても、トラウマ確定だ。

 

「じゃ、さっそく準備にかかるか」

 

そう言うと、サヤ先輩は床に手を当て、何かを念じ始めた。

出るぞ、アレが。それは幽霊という概念を超えた、アシツキにしか許されていない力。

 

「ふ~ん!」

 

ドサッ

 

天井から降ってきたのは──サヤ先輩の“肉体”だった。

何を隠そう、先輩は自身の肉体を召喚して、現世に呼び寄せることができるのだ。しかも、死亡時の幼女の身体じゃない。ちゃんと、年相応に成長している。

いやもう何でもありの極致だわ。肉体があるなら、幽霊じゃないだろと言われても返す言葉もない。

 

「よいしょっと」

 

まるで着ぐるみを被るように、サヤ先輩は肉体へと憑依する。

 

「へへんっ。どう? 大人になった私も可愛いだろぉ!」

 

「かわっ……いい?」

 

顔を覆い尽くし、腰まで伸びている長髪。青白く、不気味な肌。色気の欠片もない白装束。

どう見てもその容姿は貞──っ。これ言ったら何か怒られそうだし、黙っておこう。

 

「あとは雰囲気を出すように、アクセサリーと武器だな!」

 

棚を物色し、愛用の小道具をサヤ先輩は身に着ける。

えぇ、マジでまたあれやんのか。最初はネタだと思ってたのに。

 

「じゃじゃーん! どうだ! 怖いだろう!」

 

「…………」

 

現れたサヤ先輩の恰好はホッケーマスクを被り、左手にはチェーンソー、右手にはハンマーを装備していた。

想像してみてくれ。黒髪ロングの女がホッケーマスクを被りながら、チェーンソーを振り回す光景を。どう考えてもギャグだ。和と洋のコラボレーションと言ったら聞こえはいいが、その実はカレーにプリンをぶち込んでいるのと同義。はっきり言って、センスの欠片もない。

先輩のファッションセンスは壊滅的だった。基本無料のゲームであり合わせの衣装を選んだ無課金アバターでも、もっとマシな姿だろう。マジでひどい。ギャグに片足突っ込んでいるどころか、腰までどっぷり浸かっていた。一応、薄暗い病院内というシチュエーションで、何とか首の皮一枚は繋がってはいるが。

 

「さあ! このチェーンソーで皆殺しにしてやるからなぁ! 赤キラーの実力見せてやる!」

 

ブンブンと、チェーンソーのスイッチを入れ、サヤ先輩は刃を左右に動かしている。

何となく察しが付いたかもしれないがJルートとは先輩が直々に客を襲う作戦だ。と言っても、本物のチェーンソーをぶん回して殺戮ショーをするわけがない。

今、先輩が持っているのは“霊体チェーンソー”だ。詳しい仕組みは俺にも分からんが、あの刃で斬りつけても肉体的に損傷はすることなく、精神的なダメージを受けるだけで済むらしい。だが、それだけではすぐに偽物だとバレてしまうので、またまた先輩の力により、幻覚効果で本物のような血飛沫が発生するようになっている。

これがかなりグロいから苦手なんだよなぁ。ビジュアルはプラッター映画顔負けの惨殺現場になってしまう。やっている本人は楽しいんだろうけど、見てるこっちは吐きそうになる。吐けないけど。

 

「じゃ、指示はよろしくねぇ」

 

「うっす」

 

ホッケーマスクの内側にはマイクが仕掛けられており、こちらのモニターから居場所を特定して、それをサヤ先輩に伝えるという方式だ。

今は霊体ではなく、実体があるために、壁をすり抜けるといった芸当はできなくなっているらしい。なぜ、わざわざこんな回りくどいことをしているのか。その理由は当然、先輩が楽しむためだろう。本当にいい趣味してるわ。

 

「よっしゃ! 全員ぶっ殺してやっからなぁ!」

 

「…………」

 

やっぱ、あの恰好はないわなぁ。うん。

 

『あー……あー……マイクテスト、マイクテスト。聞こえる? どうぞ』

 

「大丈夫っす。ばっちり聞こえますよ」

 

『よしよし、久しぶりに引っ張りだしてきたからな。壊れてなくて良かった』

 

通信は良好。問題なしだ。

 

『で、あいつらは今、どこにいるの?』

 

「えーっと、ちょっと待ってくださいね……

 

百近くある監視カメラの映像から、全員の位置を確認する。

この病院に死角はない。どこにいても、必ず居場所はこちらから特定できる。

 

「あぁ、分かりましたよ。えーっと、今、三グループに分かれて行動してるっすね。一階に三人、二階に二人、三階に二人」

 

『へぇ。じゃあちょうどいいな。順番に潰して行くか。場所は?』

 

「九番カメラだから、救急処置室っすね」

 

「りょーかいっと」

 

カメラを九番に切り替える。

そこにはヤンキー座りでタバコを吸いながら、屯っている三人組の姿が映っていた。

当然、灰皿なんて用意していない。吸い殻は床に無造作に散らばっている。こ、この野郎。誰が掃除すると思ってんだ。Jルートということもあり、多少は同情していたのが、その気は失せてしまった。お前らみたいな非常識なやつらはちょっと痛い目に遭うくらいがちょうどいい。

あれ、何か俺──サヤ先輩に似てきたのかな。怖っ。

 

『あ、やべ。俺ちょっと小便行きたくなってきたわ』

 

『おいおいマジかよ。ここ、トイレあんのか?』

 

『分かんね。ちょっと探してくるわ』

 

三人のうち、ひとりはトイレのために部屋の外に出た。

あーあ、犠牲者第一号決定だ。こんな場所で単独行動するとか自殺志願者か。どう見ても死亡フラグだっての。

 

「先輩。ひとりがトイレに離脱したんで、先にそっちからやった方がいいかもしれないっす」

 

「ん、了解」

 

廊下のカメラにはチェーンソー片手に、スキップで男子トイレへと向かうホッケーマスクを被った長髪の女が映されている。

不気味と言えば不気味だ。っていうか、普通にキモい。

 

『あ? なんだおま──ぎゃああああああああああああああ‼』

 

直後、男の悲鳴が病院内に響いた。

カメラには壁一面が鮮血に染まっており、傍には肩をチェーンソーでぶった斬られた男が倒れている。

 

「うげぇ……

 

思わず、声を漏らしてしまった。

幻覚だと分かっていても、やはりこの光景は慣れない。グロテスク過ぎる。

 

……なんだ。今の声。まさか、幽霊でも出たのか?』

 

『んなわけねえだろ。どうせ、ゴキブリか何かだ。からかいに行ってやろうぜ』

 

救急処理室にいたふたりも異変に気付いたのか、トイレの方向へと向かって行った。

移動する手間が省けたな。これで、一階の連中は全員トイレに集合することになる。

 

「先輩。そっちに残りの二人が行ってるっす」

 

『マジで? よし、オーブちゃん! BGMよろしくぅ!』

 

待て。今なんて言った。BGMだと。

突如として、画面から流れてきたのは──ピアノ調の不安感を煽る音楽だった。あぁ、さすがにこれはないだろ。またやらかしているよ。

 

テテンッ テテテンッ

 

『あ? なんだこれ』

 

『どっから流れてんだ?』

 

 二人組は突如として聴こえてくる音楽に困惑しながら、周囲を警戒していた。そりゃそうだ。映画の中ならともかく、現実でBGMなんて流れだしたら反応に困るわ。

一瞬、先輩を制止しようか悩んだが、もう遅いだろう。ここは好き勝手にやらせた方が賢明だ。

 

『おい、あそこ……誰か立ってないか』

 

『ああん? どこだよ』

 

片割れの男がトイレの前を指差す。

そこには血塗れでチェーンソーを構えた白装束の女、サヤ先輩が立っていた。

 

『な、なんだ……あれ……

 

目の前の異常な光景を前にして、男たちは完全に混乱していた。

だが、先輩はビビっていると思っているのか、ノリノリでチェーンソーのエンジンの電源を入れる。

 

ブゥゥン

 

『お、おい……ドッキリ、だよな?』

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼』

 

『なッ…… 待っ──』

 

ギュイイイン

 

先頭に立っていた男の首はチェーンソーによって、真っ二つに分断されてしまった。

だからグロいんだって。本当に幻覚か不安になるわ。

 

『う、うわあああああああああああああ』

 

もう一人の男は背を向け、その場から逃走を図る。

当然、逃がすわけもなく、サヤ先輩は腰に装備してある霊体ハンマーを取り出し、男の脚に向かって投げた。

 

ブンッ

 

ボキッ

 

『がっ……!?』

 

ハンマーは脚に命中し、男は倒れこんでしまった。

本人は完全に足が折れたと錯覚していると思うが、あのハンマーも実体を傷付けることはできない。あくまで精神的な負傷だ。

這いずり状態になりながら、男は逃げようとするが、既にサヤ先輩は背後にまで迫っていた。そして、腹を目掛けて、背後からチェーンソーを──

 

ブゥゥン

 

『ぎゃああああああああああああああああああああっ』

 

うわぁ。痛そう。

骨と肉が粉砕される音が周囲に響く。そのまま、先輩はチェーンソーの刃を上へと引き上げる。裂けるチーズのように、男の上半身は縦に割れてしまった。

 

『オオッ! オオッ!』

 

チェーンソーを真上に振り上げて、サヤ先輩は勝利の雄叫びを上げていた。ゴリラかよ。

 

『どう⁉ 見た⁉ めっちゃ様になってただろ!』

 

「はぁ……まあ迫力はあったんすけど……先輩、やっぱBGMはやめた方がいいっすよ」

 

『え? なんで? これ、私の追跡チェイス用の曲なんだけど』

 

「明らかに不自然ですって。恐怖より先に、困惑の方が先にきますよ」

 

『ちっ、うっさいなぁ。やめればいいんでしょ、やめれば。オーブちゃん、ストップ』

 

サヤ先輩が合図した瞬間、周囲に鳴り響いていた音楽が止まる。

 

『ごめんねぇ。オーブちゃん。私はやりたいんだけど、あのファッキンヤンキーがやめろって言うから』

 

『…………』

 

なんで俺が悪者になってるんだ。理不尽過ぎるだろ。

 

『じゃ、早く次のやつらがどこにいるか教えて』

 

「はいはい、分かりましたよっと」

 

二階のカメラに視点を変えて、次の獲物を探す。

確か、残りはそれぞれ男女の二人組だったはずだ。さて、どこにいるのかなっと。

 

「あ、見つけ──っ」

 

その光景を見た俺は言葉が詰まる。

何ということだろうか。二階の休憩室にそいつらは──“イチャイチャ”していたのだ。

 

『もう、ここじゃダメだって』

 

『いいじゃん。ちょっとくらい』

 

こ、こいつらマジか、おい。せめて、場所ぐらい選べよ。こんな不気味なところ、発情期の犬でさえ盛らねえぞ。

何か、めちゃくちゃムカついてきた。今すぐ、サヤ先輩に知らせて天誅を──

 

『なぁ? いいだろ?』

 

『ダメだってぇ』

 

…………

 

も、もう少し。もう少しで──“見えそう”だ。何がとは言わんが。

 

『ねぇ、見つかった?』

 

「えっ⁉ あ、あぁ……ちょ、ちょっと待っててください」

 

サヤ先輩からの通信が入り、現在の状況を思い出す。

ど、どうしよう。あともうちょっとなんだよなぁ。適当に探すフリでもして、時間でも稼ぐか。

 

「あ、あれぇ? おかしいなぁ。どこにもいないっすね」

 

『ハァ? んなわけないだろ。この病院に死角なんてないんだけど』

 

チッ。さすが先輩だ。誤魔化せないか。

あと少しなんだ。せめて、十秒待ってくれ。

 

「ねぇ、まだ⁉」

 

も、もうちょい。

 

「ちょっと、さっさとしてよ。こっちも待ってんだけど」

 

あ、あと数センチ。

 

『あーもう! いつまで探してんだよ⁉ 使えねえなぁオイ‼』

 

「うるせぇ‼ 少し黙ってろ‼」

 

『は、はあああああああああっ⁉ て、てんめえ! 今なんつったオイ! 殺すぞボケッ‼』

 

あ、やべえ。

思わず心の声が漏れてしまった。

 

『おいゴラァ! カスライトォ‼ 返事しろや!』

 

……ひえー」

 

怒号からマイクから鳴り響く。

やばい。かなり怒ってるよ。どうしよう。

 

『なぁ? いいじゃん』

 

『もう……ちょっとだけだからね』

 

ヒラリ

 

「ッ⁉」

 

み、見えた。

よし、十分だ。満足した。さっさと先輩に知らせよう。これ以上長引かされたら、本当に殺される。もう死んでるけど。

 

「あっ! 見つけました! 三十五番カメラです! 休憩室にいます!」

 

『テメェ! さっきなんつった! 全部聴こえてんだからな‼』

 

「す、すんません! ちょっと見つからなかったからイライラしてて! それより先輩! あいつら、今から休憩室でおっぱじめようとしてますよ!」

 

『は、はぁっ⁉ マジでっ⁉』

 

「大マジっす! 早く行かないと間に合わないっすよ!」

 

『こ、こんにゃろ……この神聖な場所で下品な真似は許さんからなああああああああああ‼ 待ってろビッチども‼』

 

ふう。良かった。何とか怒りの矛先が変更したようだ。

サヤ先輩はブチギレながら、階段を駆け上る。そして、脱兎の如く、二人がいる休憩室へと辿り着いた。

 

ガラッ

 

『え?』

 

『な、なんだ?』

 

突然、扉を開けられた男女は困惑しながら急いで衣服を身に纏う。

そこに現れたのはチェーンソーを持った──以下省略。二人の思考は凍結《フリーズ》したに違いない。

 

『死ねえええええええええええええええ‼』

 

『はぁっ⁉』

 

ビシュッ

 

部屋に入るなり、先輩はチェーンソーを振り上げ、突撃する。

突然の出来事により、抵抗すら敵わず、二人は一瞬にして首と胴体を切断されてしまった。

 

『ぜぇ……ぜぇ……これが本当の悪即斬じゃ……』

 

サヤ先輩は意味の分からない一言を放つ。

っていうか、息切れてるし、どんだけ必死なんだ。

 

『おいライト……残りはどこだ』

 

「あ、あぁ……ちょっと待ってください」

 

こりゃ相当頭に来てるな。あまり刺激しない方が良さそうだ。

カメラを動かし、最後のふたりを探す。

 

「み、見つけました。三階の集中医療室っすね」

 

『よし、全員ぶっ殺してやる……』

 

ホッケーマスクにより、表情は見えなかったが、恐らく先輩は鬼の形相を浮かべながら三階へと向かった。

 

 

「しかし、まあ……なんでここにクロキがいるんだか」

 

監視カメラの映像を見ながら、俺は呟く。

恐らく、いや間違いなく、そいつは二度と会いたくない人物のひとりだった。ちなみに、次に会いたくないのはクソ親父とクソお袋だ。

クロキ──本名、黒木クロキは俺を散々こき使っていた反グレ集団のリーダーをやっていた男だった。その性格はサヤ先輩の性格から更にゲロとクソを煮詰めて、ドブ川で熟成させたような男。とにかく、どうしようもないやつだってのは確かだ。人を踏みにじることに一切の躊躇をしない。まさに屑の化身。真偽は不明だが、ヤクザとも裏で繋がっていて、人を殺したこともあるという噂もある。

こいつには散々、キツい目に遭わされた。毎月のように上納金を支払わされるわ、暇潰しとして一方的に嬲られるわ。そもそもの話、こんなやつらとつるんでしまった俺にも原因はあるのだが、それでも他人を不幸にする能力だけは一級品のものを持っていると言える自信がある。

正直、ここにあいつが来たのはいい気味だ。いくらクロキでも、サヤ先輩には敵うわけがない。精々、チェーンソーでぶった斬られて、間抜けな声を上げながら死に晒してくれ。

 

『ねぇ、レオ。またあんた吸ってんの?』

 

『スゥー』

 

『別にいいけど、よく吸えるよね。こんな不気味なところで』

 

マ、マジかよ。こいつ。

カメラ越しに、その光景を目にして、俺は言葉を失ってしまった。

クロキが吸っていたのは煙草ではない──何らかの薬物だった。床に白い粉が散乱しており、それをストロー状の物体で吸引している。

ここがどこだか分かってんのか。あの心霊スポットとして有名な十条病院だぞ。そんな場所で薬物を摂取するなんて──常識知らず、恥知らず、怖い者知らずの三拍子が揃っている。

 

「……先輩。ちょっといいっすか」

 

『ん? なに?』

 

「三階にいる男……ここでヤクやってますよ」

 

『は、はぁっ⁉ ヤクって……あのヤク⁉ マジでっ⁉』

 

「間違いないっす。ストローで吸うあれっす」

 

『お、おいおい……モノホンの犯罪者じゃん……引くわ』

 

いくらサヤ先輩でも、さすがに萎縮していた。

そりゃそうだよな。現代日本で、薬物中毒者と会うなんてことはめったにない。後にも先にも、この廃病院で薬やるやつなんてあいつくらいしかいねえよ。本物のイカレ野郎だ。

 

「先輩、きちっとぶっ殺してくださいっす!」

 

『おう! 任せとけ!』

 

ここまで素直に先輩を応援できるのは初めてかもしれない。

クロキ、お前が調子に乗れるのはここまでだ。何と言っても、相手はあの無敵のアシツキの幽霊なんだからな。年貢の納め時が来たようだ。

 

バンッ

 

……あ?』

 

集中治療室の扉が勢いよく開かれる。

 

『はっぴぃ……はろうぃん』

 

『は?』

 

ちょ、先輩。それは違う。まだ六月だから。ハロウィンは程遠い。

 

『レオ。なにこれ? ドッキリ?』

 

『俺が知るかよ。誰だお前』

 

『はいはい。どうせ、タカかトラが変装してるんでしょ。こんなのに騙されるわけないんだから』

 

クロキの連れの女は何者かの変装と思い込んでいるようで、不用心にサヤ先輩に近付く。

 

『それにしても……なにこれ。全然怖くないんですけど。コンセプトがブレブレでしょ。幽霊か殺人鬼なのか、どっちか分かんないしめちゃくちゃセンスないよ。というか、クソダサい』

 

オイオイオイ、禁句を言っちまったよ。死ぬわアイツ。

よくよく観察すると、先輩の体は小刻みに揺れている。面と向かってダサいと言われたのが相当効いているようだ。

 

ブゥゥン

 

『え──』

 

グシャッ

 

『は?』

 

女の胴体はチェーンソーによって、一刀両断されてしまった。

その光景にはクロキも動揺したのか、口をぽかんと開け、目を丸くしている。

 

『は? 死んだ? お前、マジで殺したのか?』

 

…………

 

『おいおい、猟奇殺人犯の不審者か何か? イカレてんなぁおい』

 

あれ、何か思ってた反応と違うぞ。

もっと、こう──恐れおののいて、怯える姿が見たいんだが、クロキは目の前で女が惨殺されたにもかかわらず、物珍しそうな目で、サヤ先輩を観察していた。

 

…………?』

 

逆に、その態度に先輩が動揺しているのか、監視カメラの方をちらりと確認している。

幻覚が効いてないわけではない。こちらからも、殺人現場がしっかりと映っている。つまり、クロキにも通じているはずだ。なのに、なぜこいつは平然としているんだ。

 

『あぁ、今、すっげえ気分がいいんだ。邪魔しないでほしいんだがな』

 

クロキの眼は──完全にキマっていた。

ま、まさかこいつ。薬物のせいで、頭がおかしくなってるのか。だから、この光景を見ても一切取り乱していない。なんてことだ。こんな形で幻覚が通用しないなんて、予想外過ぎる出来事だぞ。

ちょっとやばいかもしれない。今すぐこのことを知らせないと──そう思った瞬間、クロキはサヤ先輩に向かって駆け出していた。

 

『オラァッ!』

 

『げぼあッ⁉』

 

ドゴッ

 

「う、うそだろ……

 

クロキは──サヤ先輩に向かって、蹴りを放った。

そして、それは見事に腹のど真ん中に命中。先輩は数メートル近く吹き飛び、壁に衝突した。ぜ、前代未聞だぞ。あいつ、幽霊を蹴りやがった。

その刹那、カメラからサヤ先輩の姿が消えた。

 

「あがぁっ⁉」

 

「せ、先輩っ!? だ、大丈夫っすか!」

 

「な、なんだあいつ……っ⁉ 私を蹴りやがったぞ……! いってえええええええええええええ」

 

瞬間移動で三階から地下室に飛んできた先輩は痛みに悶えながら、床を転がりまくっていた。

 

「ぐぅぅっ……な、なんだよぅ……あいつぅ……」

 

「え……せ、先輩。泣いてるんすか」

 

「泣いてねえわい!」

 

本人は否定しているが、どう見ても泣いている。こ、こんな情けない先輩は初めて見たぞ。

 

「というか先輩……痛覚とかあるんすね。てっきり、その手の物理攻撃は利かないと思ってました」

 

「ば、馬鹿野郎……霊体ならともかく、実体の時は普通に効くわ……お腹痛い……」

 

腰を丸めて、土下座に近い姿勢を取りながら、情けない声で先輩は答えた。

な、成程。完全無敵だと思っていたが、こんな弱点があったのか。それにしても、普通は反撃なんて食らわないはず。やっぱり、クロキがおかしいんだ。

 

……も、もういいや。あとはお前に任せる」

 

「えっ? ど、どういうことっすか」

 

サヤ先輩は肉体から抜け出して、元の霊体の姿へと戻った。

 

「だから、私はもういい……お前があいつ気絶させてこい……」

 

「え、えぇっ!? む、無理っすよ! だって俺、先輩みたいに普通の人間には見えないし、触れることもできないんすから!」

 

そう。アシツキならともかく、下級霊の俺では普通の人間では姿を捉えることができず、干渉すらできない。

いくら何でも、俺だけでクロキを仕留めるのは無茶だ。

 

「ほら……これでいいだろ」

 

先輩は人差し指を俺に向ける。

すると、ほんの一瞬、俺の全身は発光した。

 

「今、何したんすか?」

 

「私の力で、お前の力を強化したから、少しの間は人間に触れられるはず……それで頑張ってこい」

 

「えぇ……」

 

ほ、本当に何でもありだ。そんなことができるなんて、こっちも初耳だぞ。

どうやら、完全にサヤ先輩はクロキにビビっているようだった。もう顔も合わせたくなく、俺にあいつを押し付けようとしている。

 

「いいだろ……お前、あのヤクチュウと知り合いなんだろうし」

 

……え。ど、どうしてそのことを」

 

「んなもん、態度見たら分かるわボケェ……いいから行ってこいやぁ」

 

……う、うす。じゃあ行ってくるっす」

 

一応、隠していたんだが、見抜かれていたのか。

とにかく、先輩がこうなってしまった以上、動けるのは俺しかいない。仕方なく、俺はクロキがまだ居座っている三階へと向かった。

 

 

「フンフフーン。おぉ、口笛めっちゃ響くな。ここ」

 

扉の外から、クロキの様子を伺う。

マジか、あいつ。連れの女の死体が傍にあるっていうのに、呑気に口笛なんか吹いてやがるぞ。本格的に頭おかしいわ。

しかし、まあ──こんな形で再会するとは思わなかったな。サヤ先輩は俺の姿があいつにも見えるようになっているって言っていたけど、どうやって襲うべきか。

 

「…………」

 

数分の間、俺はその場で立ち止まり、色々考えてしまった。

まだ新参とはいえ、俺だって立派な幽霊だ。どうせやるなら、あいつを死ぬほどビビらせたい。それに、サヤ先輩を傷付けた件に関しても、多少は思う部分もある。

そして、導き出した。今、俺が取れるベストな行動は──

 

「おぉ! クロキさんじゃないっすか! 久しぶりっすね!」

 

……あ? なんだお前」

 

正面から堂々と、あいつの前に姿を現すということだった。

 

「誰って、やだなぁ! 忘れちゃったんすか? 俺っすよ、俺。堂山太陽、ライトっすよ!」

 

「ライト……は? お前、ちょっと前に事故で死んだだろ」

 

「その通りっす! ほら、脚ないでしょ? 幽霊になっちゃったんすよ」

 

俺は自らの脚を見せびらかす。

クロキの様子は──少し驚いてはいたが、怖がっているようには見えなかった。

 

「ははっ。マジか。幽霊って本当にいたのかよ。で、お前なんでここにいるんだ」

 

「なんでって……やだなぁ。そんなの決まってるじゃないっすか」

 

そうだ。死者が生者の前に現れる理由なんてものは一つしかない。

 

「俺、アンタを殺しに来たんすよ」

 

「……は?」

 

バタッ

 

「がっ……⁉ なッ……は、離せッ……!」

 

クロキの首を締め上げる。

掌には確かに、生命の鼓動を感じる。あぁ、これが命か。今の俺にとっては手が焼けるほど熱い。だが、心地良くもある。この男の生死は俺が握っているのだ。

 

「は、はなッ──!」

 

クロキは必死になり、拘束を解こうとするが、相手は幽霊だ。触れられるわけがない。

やっと、自分が殺されかけているという事実に気付いたようだ。間抜けなやつめ。

 

「どうっすか。ヤク中のアンタでも……やっぱ“死”の恐怖はあるらしいっすね」

 

「ご、ごのっ……やめッ……」

 

「よくも今まで扱き使ってくれましたね。言っておくが、この世界には幽霊も呪いもあるんだよ。アンタがこれまで平然と生きてこられたのは運が良かっただけだ」

 

「がっ……⁉」

 

「でも、その悪運もここで終わりっすね。今からアンタは死ぬんすよ。精々、残された時間で懺悔でもしてください。あぁ、でも地獄行きはもう確定してるか」

更に力を込める。

既にクロキの顔は真っ赤に染まっており、宙に向かって、必死に腕を振っていた。

 

「あぁ、最後に伝え忘れたことがあった」

 

「ア、アァ──」

 

「死ねよ。この屑野郎」

 

────」

 

ぱたりと、クロキの腕は床に崩れ落ちる。

ふう。これで終わりだ。あースッキリした。

 

「満足、した?」

 

背後から、サヤ先輩が声を掛けてきた。

 

「……それなりには」

 

「そう。ちょっとびっくりした。本当に……殺しちゃうかと思ったから」

 

「ははっ。まさか……こんなやつ、殺す価値もないっすよ」

 

先輩の言う通り、クロキは殺してはいない。頸動脈を圧迫し、締め落しただけで、まだ辛うじて生きていた。

まさか、こんなところで本人から散々かけられた締め技が活躍するとは思わなかった。

 

「いいの? そいつ、相当怨みがある相手だったんじゃないの」

 

「まあ……そうっすね。殺してやりたいってことは何度もあったっす。でも……」

 

「でも?」

 

「先輩のおかげで、踏みとどまれました」

 

……ぷっ。なにそれ」

 

サヤ先輩は軽く微笑む。

正直、幽霊になりたての頃にクロキと再会していたら──こいつを本当に殺していたかもしれない。だが、今は違う。

俺たち幽霊の本分は人間を殺すことじゃない。あくまで怖がらせることだ。俺はそのことを先輩から教えてもらったんだ。だから、こいつは殺さない。人間を裁けるのは人間だけだ。

 

「で、こいつらどうするんすか?」

 

「そうだね。余罪も大量にありそうだし、警察署の前にでも放置しとくか」

 

「いいっすね、それ。あ、そうだ。先輩、ペンあります? できれば油性の太いやつで」

 

「ん? ほら、何に使うの?」

 

サヤ先輩の念力により、どこからかペンが飛んできた。

 

「ほら、こうやって……

 

俺はクロキの顔に落書きを開始した。

 

「私はヤク中です。検査してくださいっと……これで警察に突き出せば、面白いでしょ?」

 

「ぷっ! お前最高かよ! その案、採用!」

 

こうして、クロキたちの財布から全額を抜き取った後、先輩は彼らを警察署の前へと飛ばした。

あばよ。クソ野郎。お前とはもう二度と会うことはないだろうよ。精々、豚小屋で不味い飯でも食ってろ。

 

 

「あー今日は疲れたなぁ。まさか、二組も来るとは思わんかった」

 

「そうっすねぇ。あ、もう夜明けじゃないっすか」

 

既に窓からは朝日が漏れている。

幽霊に睡眠は必要ないが、やはり日が昇り始めると、一日の終わりと始まりを実感する。

 

「マジか。じゃあ記念に、またホラー映画でも見るか」

 

「えぇっ⁉ これで三本連続じゃないっすか! さすがにもういいっすよ!」

 

「いや、今度は違う。お前に見せるのは……私が一番好きなホラー映画だ」

 

「それって……」

 

先輩が一番好きな映画。

数時間前の会話を思い出す。確か、俺とは趣味が合わないから、教えたくないって言っていたのに、どういう心境の変化だろう。

 

「なんで急に見せてくれる気分になったんすか?」

 

「……まあ、お前もここに来てから多少は成長したみたいだからな。この映画の面白さも、ちょっとは理解できるレベルまで来たかもしれないし」

 

「そ、そうっすかね? へへっ」

 

よく分からないが、サヤ先輩に認められたということだろうか。

何はともあれ、そこはちょっと嬉しい。

 

「よし! さっそく再生するか!」

 

「うっす!」

 

そして、二時間が経過した。

 

「終わったな。で、どうだった?」

 

…………

 

数秒、俺は沈黙する。

正直に伝えるべきだろうか。いや、それはちょっと不味い気がする。しかし、嘘を吐くというのも先輩を裏切るようで、気が進まない。

よし──ありのままの感想を伝えよう。やっぱり、嘘はダメだ。

 

「先輩」

 

「ん?」

 

「正直、あんまり面白くなかったっす」

 

「ぶち殺すぞテメェ」